鑑真の足跡を訪ねて九州の旅 その3
鑑真和上が乗った遣唐使船は天平勝宝5年(753)12月20日正午ごろ秋目浦の港に着きました。その後、鑑真ら八人の唐から来た高僧は、唐から同行した日本人の僧延慶(えんけい)の案内で、早くも12月26日には大宰府に到着しています。
秋目浦から大宰府までどのような経路をたどったかについては淡海三船の「東征伝」には記載されていません。
安藤更生氏は秋目浦から有明海まで船で行き佐賀県嘉瀬付近に上陸し、ここから筑後川を経て大宰府へ入ったのだろうと推定していますが、確定ではありません。
遣唐使船は最終的に難波津まで行っているので、有明海に入らず博多まで船で行き、博多から大宰府へ行く経路も考えられるのではないかと、西山先生は話しておられました。いずれにしても確定したことはわかっていません。
<佐賀県立森林公園>
佐賀県立森林公園に「鑑真和上嘉瀬津上陸の碑」や、井上靖書「若葉して」の碑が建立されていました。
<鑑真和上嘉瀬津上陸の碑>
<中国からの地図>
<瓊花>
<若葉して>
その後は、柳川まで移動して鰻せいろの昼食後、船で柳川城下町の堀巡りをしました。また、お雛さま飾りも見学しました。
<柳川城堀めぐり>
<かんぽの宿柳川の雛飾り>
秋目浦から大宰府までどのような経路をたどったかについては淡海三船の「東征伝」には記載されていません。
安藤更生氏は秋目浦から有明海まで船で行き佐賀県嘉瀬付近に上陸し、ここから筑後川を経て大宰府へ入ったのだろうと推定していますが、確定ではありません。
遣唐使船は最終的に難波津まで行っているので、有明海に入らず博多まで船で行き、博多から大宰府へ行く経路も考えられるのではないかと、西山先生は話しておられました。いずれにしても確定したことはわかっていません。
<佐賀県立森林公園>
佐賀県立森林公園に「鑑真和上嘉瀬津上陸の碑」や、井上靖書「若葉して」の碑が建立されていました。
<鑑真和上嘉瀬津上陸の碑>
<中国からの地図>
<瓊花>
<若葉して>
その後は、柳川まで移動して鰻せいろの昼食後、船で柳川城下町の堀巡りをしました。また、お雛さま飾りも見学しました。
<柳川城堀めぐり>
<かんぽの宿柳川の雛飾り>