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聖地比叡山で南都北嶺を体感する(その1) 東塔

奈良交通の西山厚先生同行のツアーで、比叡山の三つのエリア、(1)東塔(とうどう) (2)西塔(さいとう) (3)横川(よかわ)、を巡ってきました。 今回のテーマが「南都北嶺」を体感するとなっていたので、少し興味を引かれました。
ここで、南都とは興福寺のことで、北嶺とは比叡山延暦寺のことを指します。 

日本に仏教が伝来し、飛鳥時代に飛鳥寺が建立され、次いで607年に法隆寺(若草伽藍)が創建されました。 奈良時代になると南都6宗(三論宗、成実宗、法相宗、俱舎宗、華厳宗、律宗)が開かれましたが、その中でも法相宗(興福寺、薬師寺、法隆寺、清水寺)は徳一で最も勢力が大きかったとのことです。

平安時代になると、天台宗(最澄)、と真言宗(空海)が加わり、8宗派になりました。

最澄(767-822)は、780年(13歳)に得度し、785年に受戒しましたが、19歳にして考えがあって、僧侶を辞して、比叡山に登り、山岳修行に入りました。12年間、山岳修業を続けました。 最澄は延暦7年(788)に、比叡山寺を造立し、自作の薬師如来像を安置し、道場としました。堂宇は薬師堂、文殊堂、経堂の3堂があり、これらの中央に本尊を祀る薬師堂があったので、根本中堂と呼ばれるようになりました。 

794年に平安京に遷都した桓武天皇は、比叡山に行幸し、比叡山寺を都の鬼門の鎮護霊場に定めました。 最澄の名が桓武天皇にまで聞こえ、天皇の命に従い、804年に中国に渡り、中国天台山の国清寺で遣唐僧として修行して、翌年の805年に帰国しました。最澄は帰国して、天台法華宗を開宗し、816年に、比叡山山上に近江宝塔院(東塔)と山城宝塔院(西塔)を造立し、それぞれに経巻1000部を納経しました。

824年、最澄入寂の翌年に、嵯峨天皇から比叡山大乗戒壇の設立の、勅許が出て、延暦寺の勅号を賜りました。比叡山全体の寺院を総称して延暦寺と呼びます。

833年に最澄の弟子の円仁が自ら写経したお経を納めるため、横川(よかわ)に宝塔(如法塔)を建立しました。 これが、横川の起こりです。

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比叡山の3エリアマップ
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3エリア解説板
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比叡山入口
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国寳殿
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文殊堂へ登る石段
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文殊楼
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文殊楼表
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急な階段で上へ登ります
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文殊楼解説
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谷崎潤一郎小説紹介
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根本中堂(修理中)
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根本中堂入口(工事中)
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大講堂
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大講堂説明
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吉川英治小説紹介
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鐘楼
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