法隆寺金堂釈迦三尊像と光背銘

 東野治之(とうのはるゆき)著 「聖徳太子ーほんとうの姿を求めて」 岩波ジュニア新書、2017.4.20、を読みました。 奈良大学でもときどき講義を拝聴しましたが、この本は聖徳太子について色々な角度から深く検討されている一流の学者ならではの、素晴らしい内容でした。 

 この本の中で、聖徳太子のほんとうの姿を求めるための一つの定点として、法隆寺金堂の釈迦三尊とその光背銘を取り上げておられます。 国宝の釈迦三尊像は聖徳太子のために、623年に司馬鞍首止利によって造られた傑作です。中尊の釈迦如来坐像は高さが87.5cmあり、立ち上がると身長は175cmとなり、聖徳太子等身大の像です。造形は中国の北魏や南北朝時代の仏像とよく似ており、一見厳しそうなお顔ですが、よくよく仰ぎ見ると大変やさしく慈悲深いお顔をされております。私は正月の吉祥悔過のときに夜に拝観する機会がありましたが、とても優しい表情をしておられ、魅せられました。

 東野先生は、釈迦三尊像の光背の銘文(14字×14行=196文字の本格的漢文)を特別に調査された結果、銘文は蝋型鋳造という技法で作られたことを物的に証明されました。その結果、この銘は後から刻印されたものではなく、像が造られたときに刻まれたものであることを示されました。これは実はすごい話で、数ある太子関係の史料の中で最も信頼できる史料となります。

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以下に金堂釈迦三尊像光背の銘文を紹介します。

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**法隆寺釈迦三尊光背銘 (参考文献(2))**
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法興元丗一年歳次辛巳十二月鬼
前太后崩明年正月廿二日上宮法
皇枕病弗悆干食王后仍以勞疾並  
著於床時王后王子等及與諸臣深
懐愁毒共相發願仰依三寳當造釋
像尺寸王身蒙此願力轉病延壽安
住世間若是定業以背世者往登淨
土早昇妙果二月廿一日癸酉王后
即世翌日法皇登遐癸未年三月中
如願敬造釋迦尊像并侠侍及荘嚴
具竟乘斯微福信道知識現在安隠
出生入死随奉三主紹隆三寳遂共
彼岸普遍六道法界含識得脱苦縁
同趣菩提使司馬鞍首止利佛師造
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読み下し文(参考文献(1))

法興元丗一年(ほうこうげんさんじゅういちねん)、歳(ほし)は辛巳(しんし)に次(やど)る十二月、鬼前太后(太子の母)崩ず。明年正月廿二日、上宮法皇、病に枕して弗悆(ふよ)。干食(かしわで)王后、仍(より)て以(もっ)て労疾(ろうしつ)、並びて床に著(つ)く。時に王后(おうこう)王子等、諸臣及与(と)、深く愁毒を懷(いだ)き、共に相(あい)発願すらく、「仰ぎて三宝に依(よ)り、當(まさ)に釈像(しゃくぞう)の、尺寸王身(しゃくすんおうしん)なるを造るべし。此(こ)の願力(がんりき)を蒙(こうむ)り、病を転じて寿を延(の)べ、世間に安住せむ。若(も)し是れ定業(じょうごう)にして、以て世に背(そむ)かば、往きて浄土に登り、早(すみや)かに妙果(みょうか)に昇らんことを」と。

二月廿一日癸酉(きゆう)、王后即世(そくせい)す。翌日法皇登遐(とうか)す。癸未(きび)年(623年)三月中、願いの如(ごと)く敬(つつし)みて釈迦尊像并(あわ)せて侠侍(きょうじ)、及び荘厳具(しょうごんぐ)を造り竟(おわ)る。斯(こ)の微福(びふく)に乗じ、道を信ずる知識、現在安隠(げんざいあんのん)にして、生(しょう)を出でて死に入り、三主(さんしゅ)に随(したが)い奉(たてまつ)り、三宝を紹隆(しょうりゅう)し、遂(つい)には彼岸(ひがん)を共にし、六道(ろくどう)に普遍(ふへん)せる、法界の含識(がんしき)、苦縁(くえん)を脱するを得て、同じく菩提(ぼだい)に趣(おもむ)かむことを。司馬鞍首止利仏師(しばのくらつくりのおびととりぶっし)をして造ら使(し)む。

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解釈文(筆者)

法興元丗一年、辛巳(かのとみ、推古29年=西暦621年)12月に鬼前太后(聖徳太子の母)が亡くなった。その翌年(622年)の正月22日に上宮法皇(太子)も病に倒れ、また看病の疲れか妃の干食王后(かしわでおうこう)(膳菩岐々美郎女)も並んで床についた。時に、王后と王子等及び諸臣ともに深く愁えを懐いて次のように発願した。「三宝の仰せに従い、釈像の尺寸王身、すなわち太子と等身大の釈迦像を造ることを誓願する。この誓願の力によって転病延寿すなわち、病気を平癒し寿命を延ばし、世間で安住することを願う。もし、前世の報いによってこの世を去るのであれば、死後は浄土に登り、はやく妙果に昇らんことを願う」

しかし、622年2月21日に膳夫人が薨じ、翌日、聖徳太子も薨じた。そして、癸未(みずのとひつじ、推古31年=623年)3月中に、願いのごとく謹んで釈迦尊像と挟侍および荘厳具を造りおえた。この小さな善行により、道を信じる知識(造像の施主たち)は、現世では安穏を得て、死後は、三主(太子の母、聖徳太子、膳妃)に従い、三宝を紹隆して、ついに彼岸を共にし、悟りに至り、六道を輪廻する一切衆生も、苦しみの因縁から脱して、同じように菩提に至ることを祈る。この像は司馬鞍首止利という仏師に造像させた。

参考
(1)東野治之「聖徳太子」岩波ジュニア新書、2017.4.20 
(2)奈良六大寺大観「法隆寺」第一巻、p.23、岩波書店、1972

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