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千年震災 その2

元東大史料編纂所教授の保立道久氏はその著書「歴史のなかの大地動乱―奈良・平安の地震と天皇」(岩波新書、文献1)の中で、「三大実録」の貞観地震の記述について、読み下し文と、現代語訳を掲載しているので、引用させて頂く。

『日本三大実録』貞観11年5月26日条<原文>
五月・・・廿六日癸未 陸奧國地大震動 流光如晝隱映 頃之 人民叫呼 伏不能起 或屋仆壓死 或地裂埋殪 馬牛駭奔 或相昇踏 城(郭)倉庫 門櫓墻壁 頽落顛覆 不知其數 海口哮吼 聲似雷霆 驚濤涌潮 泝洄漲長 忽至城下 去海數十百里 浩々不辨其涯諸 原野道路 惣爲滄溟 乘船不遑 登山難及 溺死者千許 資産苗稼 殆無孑遺焉

<保立氏、読み下し文、文献1 p130>
 陸奥国の地、大いに震動す。流光、昼の如く隠映す。しばらく人民叫呼(きょうこ)して、伏して起きることあたはず。あるいは屋仆(たおれ)て圧死し、あるいは地裂けて埋殪(まいえい)(埋死)す。馬牛は駭奔(がいほん)し、あるいは互いに昇踏(しょうとう)す。城郭・倉庫・門櫓(もんろ)・墻壁(しょうへき)など頽落(たいらく)して顚覆(てんぷく)すること、その数を知らず。海口は哮吼(こうこう)し、その声、雷霆(らいてい)に似る。驚濤(きょうとう)と涌潮(ようちょう)と、泝洄(そかい)し、漲長(ちょうちょう)して、たちまちに城下にいたる。海を去ること数十百里、 浩々としてその涯を弁ぜす。原野道路、すべて滄溟(そうめい)となる。 船に乗るいとまあらず、山に登るも及びがたし。 溺死するもの千ばかり、資産・苗稼(びょうか)ほとんどひとつとして遺(のこ)ることなし。 

<保立氏、現代語訳、文献1 p130~p131>
 陸奥国の大地が大いに震動した。流光が昼のように空を隠映(おおい照らした)。その直後、人民は叫び呼び、伏して起きあがることもできない。あるいは家屋がたおれて、その下で圧死したり、あるいは地面が裂けて、その中に埋まって死んでしまう。馬牛は、驚き走って、互いに踏みつけ合うという有様である。城郭や倉庫、また櫓門、垣壁などが崩れおち、ひっくり返ることが数知れない。海口は吠えたてて、その声は雷電のようであった。そして、激しい波と高潮がやってきてさかのぼり、また漲り(みなぎり)進んで、たちまち多賀城の直下まで到来した。海を離れること数百里の距離まで冠水した様子は、広々としてその果てを区別することができない。原野や道路はすべて青海原のようになってしまった。舟に乗る余裕もなく、山に登る時間もなく、その中で、溺死するものが千余人にも及んだ。資産や田畠の作物は、ひとつとしてのこることなく全滅してしまった。

地震の特徴
1.地震と津波は夜襲ってきた
  「流光、昼の如く隠映す」とあるので、地震は夜発生し、津波は夜に襲ってきたと考えられる。 地震による発光があり夜空を昼  のように照らしたとある。都司氏は海底に堆積した泥のようなものの中にバクテリアによるメタンが満ちて、地震のときにそれが  泡のように上がってきて、火がつくらしい、と述べています。この発光のメカニズムについてはまだよく分かっていません。
2.多賀城が地震の直撃を受けた
  奈良時代から陸奥国の国府は多賀城に築かれた。この記録によれば、「城郭や倉庫、また櫓門、墻壁が崩れ落ちた」とあるので、多賀城と城下は地震の直撃を受けたことが分る。
3.海口は吠えたてて、その声は雷電のようであった
  津波は「海口が吠え、雷電」のような轟音を響かせ押し寄せる。多賀城城下まで津波は押し寄せている。
4.海を離れること数十百里の解釈
   平安時代の1里は500mと600mの説がある。数十百里は数十里から百里までの間であると解釈できます。70里と解釈し、1里=600mとすると42kmとなります。津波は川をさかのぼり42km上流まで到達したと考えられます。

文献
(1) 保立道久「歴史のなかの大地動乱―奈良・平安の地震と天皇」(岩波新書、2012年)

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