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平城宮跡東区朝堂院朝庭における大嘗宮遺構

平城宮跡における大嘗宮遺構

 奈良文化財研究所では令和の大嘗祭にちなみ、これまでの発掘調査に基づき最近「特別史跡 平城宮跡 大嘗宮」(2019年11月発行)というパンフレットを作成し配布しています。本稿はこれを基にしています。

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大嘗祭とは

天皇が即位後最初に行う一世一度の新嘗祭(にいなめさい)を大嘗祭(だいじょうさい)という。新嘗祭は毎年11月下旬に五穀豊穣や国家安寧などを祈願する収穫祭で、新米を炊いたご飯や、新米で醸造したお酒などを神々に供え、天皇自身もこれを飲食する祭儀です。
大嘗祭では通常の新嘗祭とは異なり、臨時の祭場大甞宮(だいじょうきゅう)を造り、祭儀が終わると、建物は直ちに取り壊されます。
 平城宮で即位した天皇は、元正(711年)、聖武(724年)、孝謙(749年)、淳仁(758年)、称徳(765年)、光仁(771年)、桓武(781年)の7代です。孝謙天皇は平城宮の外で大嘗祭をおこなったとみられます。

平城宮東区朝堂院朝庭部では、発掘調査によって5期分の大嘗宮の悠紀院の遺構が検出されています。現在、平城宮跡東区朝堂院朝庭部には、奈良時代後半の光仁天皇即位にともなう大嘗宮跡の遺構がレンガ敷きなどで復原表示されています。その区画の全体規模は、東西約65m、南北約45mです。

大嘗宮の建物配置
 平安時代の「儀式」に書かれている大甞宮の建物配置図をパンフレットから抜き出して
以下の図に示します。これによると、大嘗宮は東の悠紀院(ゆきいん)と西の主基院(すきいん)を東西対称に配置し、それぞれ南半部には南北棟の正殿と御厠(みかわや)が置かれ、北半部には稲を精白するための臼屋(うすや)と米を炊くための膳屋(かしわや)が置かれます。これらの建物は柴垣によって囲まれます。両院の北側には天皇の控えの御座所および湯屋としてつかわれる廻立殿が設けられる。

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光仁天皇の大嘗宮(イラスト:早川和子 作)
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平城宮第二次大極殿跡から朝堂院方向
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第二次大極殿と朝堂院(12堂)銅板表示
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朝堂院朝庭は草刈り清掃されている(北から南方向)
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光仁天皇期大嘗宮遺構表示(発掘調査は東の悠紀院のみ実施) 北から南方向
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大嘗宮遺構(北から南方向)
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南東から撮影した大嘗宮遺構。後方に第二次大極殿跡が見える
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主基院の建物遺構
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若草方面のススキ
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オギ(平城宮跡で後日、看板を見つけました)
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平城宮阯保存記念碑
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史跡平城宮阯碑
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