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斉明天皇の神まつりと吉野宮を体感する その1

2019年9月15日橿原考古学研究所の有史会のバス旅行で、研究所の重見 泰先生の案内の下、久しぶりに晴天下の飛鳥と吉野・宮滝の遺跡を巡って来ました。 コースは以下の通りです。

 近鉄橿原神宮前駅⇒ミハ山→飛鳥稲渕宮殿跡⇒(稲渕へ)男綱→飛び石→南淵請安墓→飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社⇒キトラ古墳壁画体験館「四神の館」⇒比曽寺跡⇒吉野歴史資料館(橿考研出張企画展「発掘 古代の宮滝遺跡」)→宮滝遺跡→桜木神社⇒浄見原神社⇒近鉄橿原神宮前駅

飛鳥の神名火(「ミハ山」説)
  天武天皇が飛鳥浄御原の宮から眺めた神名火山はどの山か?かって、岸俊男氏は、飛鳥京の南正面に位置し、「三輪山」と発音が似た、小字「ミハ山」を神名火山と見なしました。この山は三角形の形の良い山で、山頂付近には大きな岩座がむき出しになっていますし、飛鳥川上流に位置する点でも神名火山の条件に合致するとのことです。 地元では俗称「フグリ山」と呼ばれています。

持統天皇は天武天皇が崩御した時、次の歌を詠んでいます。

天皇の崩じたまひし時に、大后の御作りたまひし歌一首
『 やすみしし、我が大君の 夕されば 見したまふらし 明け来れば 問ひ たまふらし 神岳の 山の黄葉を 今日もかも
問ひたまはまし 明日もかも 見したまはまし その山を 振り放け見つつ 夕されば あやに哀しみ 明け来れば うらさび暮らし  あらたへの 衣の袖は 乾る時もなし 』
(万葉集 巻 第二 159)

冬の川にかかる橋のたもとでバスは停車し、徒歩で祝戸荘方面へ向かいました。都塚古墳が左手中腹に見えます。私にとっては何十回も来ているおなじみの場所ですが、重見先生のお話を聞いていると、何か古代史の歴史の舞台に立った気にさせられます。FMラジオを忘れて来たので、今回は近くでお話をききました。

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神名火山=ミハ山
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祝戸荘・稲渕方面
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都塚古墳
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稲渕宮遺跡

 飛鳥川上流の稲渕川の西岸の地に造営された宮殿遺跡である。1977年(昭和52年)の発掘調査で見つかった、宮殿に関連した掘立柱建築群と中庭に大形の川原石がびっしりと敷き詰められた遺構が発見された。南側に四面庇付きの間口6間以上、奥行4間以上の正殿(東西棟)、中庭を挟んで北側に間口8間以上、奥行4間の後殿(東西棟)、東側に脇殿とみられる南北棟が2棟コの字型に配置されている。

明日香村の現地の説明板の地図の方角が何故か右側が北となっているので注意が必要である。

 この遺跡は出土した土器や硯から7世紀中頃の遺跡であり、653年に中大兄皇子らが難波から飛鳥にもどったときに造営された飛鳥川辺の宮と見なす見解が有力である。

なお、奈文研で発掘調査を担当された小笠原好彦先生は、最近出版した本の中で、現場は飛鳥中心部からはかなり離れているので、岸俊男説を紹介して、万葉集に詠まれた南淵に宮があった弓削皇子の宮も候補としてあげられるだろうと書いている。

 (小笠原好彦 「検証 奈良の古代遺跡-古墳・王宮の謎をさぐる」 吉川弘文館、2019年8月1日発行)

 
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玉藻橋付近
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勧請橋 男綱
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飛び石

犬養先生揮毫の万葉歌碑が建つ。 
歌碑がないときから先生に連れて頂き、万葉が詠まれたこの場所を訪ねたことが懐かしく思い出される。

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竜福寺と竹野王碑
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南淵先生墓への道標
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南淵請安先生説明
 608年小野妹子が裴世清を送って隋へ派遣されたとき、高向玄理、僧旻らとともに長期留学生(最短でも20年、中国政府国費留学生)の身分で中国に渡った。隋が滅亡し唐が興隆する様を体験して、640年に帰国し、大化の改新に役割を果たしたとされる。
僧旻は孝徳朝で重用されるが、南淵先生はそれまでに亡くなったらしい。しかし、先進国の文化をもたらし、日本の朝廷に大きな影響を与えた。

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南淵先生の墓

 南淵請安の墓は川向の朝風付近にあったが、こちらに移されたそうです。
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神社祠
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犬養孝揮毫万葉歌碑

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元の南淵請安墓(朝風)方面?
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飛鳥川上坐宇須多技比賣命神社

斉明天皇雨乞いの淵?
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飛鳥川上坐宇須多技比賣命神社
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石段
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