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万葉集 巻一の一 歌碑

  出雲の十二柱神社を出て国道165号沿いに1キロほど西に歩くと、黒崎という集落の東に加賀の白山から勧請したという白山神社(白山比咩(しろやまひめ)神社)があります。 祭神は、白山比咩(しろやまひめ)命と菅原道真です。
本来参道の入口はもっと南の旧初瀬街道沿いにあり、現在も鳥居が立っていますが、国道165線によって参道が分断されています。初めて参拝するときは、旧街道の参道入口から入り直すと、神社や旧街道の雰囲気が伝わって良いと思います。

白山神社拝殿
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本殿
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本殿
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南側参道と鳥居
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  白山神社の南東隅に万葉集がこの地からはじまったことを讃える「万葉集発燿讃仰碑」 (保田與重郎書、1972年(昭和47)建立)が立っています。また、この石碑のそばに、万葉集全二十巻四千五百一六首の冒頭を飾る雄略天皇御製の巻一の一の歌碑が桜井市によって建てられています。

白山神社の背後の山手の黒崎小字「天の森」に、第二一代雄略天皇の「泊瀬朝倉宮の跡」と伝える小台地があるため、保田氏らがこの地に顕彰されました。 

万葉集発燿讃仰碑
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雄略天皇歌碑
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保田與重郎書
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岩波文庫、佐竹他校注「万葉集」(一)、原文万葉集(上)
  万葉集はすべて漢字で書かれています。奈良時代末には日本の有力氏族は漢字の読み書きができ、庶民も万葉歌を作ったようです。また、当時の日本の有力氏族は、中国の漢籍・漢詩にもかなり通じていたと察せられます。

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万葉集巻一の一
泊瀬朝倉宮に宇御めたまひし天皇の代 大泊瀬稚武天皇

天皇御製の歌
籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます児
家告らな 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ
しきなべて 我こそいませ 我こそば 告らめ 家をも名をも
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泊瀬朝倉宮御宇天皇代 大泊瀬稚武天皇
天皇御製歌
籠毛与 美籠母乳 布久思毛与 美夫君志持 此岳尓 菜採須児
家告奈 名告紗根 虚見津 山跡乃国者 押奈戸手 吾許曾居
師吉名倍手 吾己曾座 我許背歯 告目 家呼毛名雄母

文献:佐竹他校注「万葉集」(一)、原文万葉集(上) 岩波文庫
文献:犬養孝著「万葉の旅(上)」、平凡社
「注:この歌は原文の読み方に諸説あって定まらない。」とある。
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十三重石塔残欠(鎌倉時代後期?)
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雄略天皇の泊瀬朝倉の宮の伝承地としては、黒崎・天の森の他に、上岩坂の十二神社境内地があります。
また、最近の発掘調査で、5世紀〜7世紀の建物跡が見つかっている、春日神社付近の脇本遺跡が、泊瀬朝倉宮の有力候補地となっています。

天の森 方向
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