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談山神社 2017観音講まつり(1)

 奈良県桜井市多武峯の談山神社では、2017年6月1日より7月31日まで観音講まつりが開催されており、期間中、神廟拝所では秘仏の如意輪観音像が特別公開されています。 また、本社拝殿では国宝の粟原寺(おうばらでら)三重塔伏鉢が、奈良国立博物館から里帰りし、特別公開されています。日本書紀には書かれていない粟原寺の縁起が刻印されており、貴重な金石文が刻まれた伏鉢を真近で見ることができ感激です。なお、粟原寺跡(桜井市粟原)には、礎石が残されており、国の史跡に指定されています。

2017年観音講ポスター 

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神社鳥居
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談山神社説明
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後醍醐天皇寄進石燈籠
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説明板
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本殿と拝殿楼門
 拝殿は懸造(舞台造)で本殿、楼門とともに日光東照宮のモデルとなったといわれている壮麗で優雅な建物です。

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拝殿内部
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三重塔伏鉢のイラスト
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国宝 粟原寺伏鉢(奈良時代 和銅八年(715年))

  銘文によれば、粟原寺は天武天皇と持統天皇の子、草壁皇子の菩提を弔うため、藤原不比等と関係が深い中臣大嶋が発願し、比売朝臣額田が甲午年(694年)から22年かけて造立し、和銅八年(715年)に、この伏鉢を上げたことが分ります。中臣大嶋は寺院造立を発願するも、神祇官であるという立場上、存命中は寺院は造立せず、おそらくは大嶋の妻であると推定される比売朝臣額田が大嶋の没後、22年かけて、草壁皇子を弔う大伽藍を造立したものと考えられます。柿本人麻呂の歌にあるように、桜井から女寄峠を越えて大宇陀に入る道は、草壁皇子が狩を行った所で、菟田野や大宇陀には薬草園もあったので、粟原は草壁皇子と関係が深い土地柄であったと考えられます。
 なお、銘文の最初に伽藍の境界を画する四方の土地名が刻まれていますが、粟原寺は広大な伽藍であったことがうかがえます。

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銘文読み
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拝殿軒端の銅製釣燈籠
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釣燈籠
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楓の森
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拝殿廊下
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本殿(祭神 藤原鎌足)
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亀甲文石畳

  本殿の藤原鎌足尊像の御破裂は、天下異変の前ぶれの神威発揚として、平安京の朝廷では恐れられていました。多武峯から朝廷へ報告があがると、朝廷では恐懼し、占いにより日時を定めて、聖旨を奉じて使臣を多武峰に派遣しました。使臣は神前に奉幣・告文を納め、この亀甲石畳の上で、神霊を慰め、尊像のお面の平癒を祈願しました。尊像破裂は醍醐天皇の898年2月7日以来、1607年に至るまで710年間の間に35回もあり、告文使は33回も多武峰に登っています。
 この亀甲文の石畳にはそのような歴史が秘められています。

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拝殿中央の間 伽羅木の天井
  本殿を拝する中央の間の天井には、藤原鎌足の長男で遣唐僧であった藤原定恵が唐から持ち帰ったと伝えられる伽羅(きゃら)の木を用いた格天井が造られています。珍しいものですので是非ご覧ください。

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