FC2ブログ

法隆寺若草伽藍 その3

 今回は法隆寺若草伽藍から出土した瓦について報告します。 

6月29日はラッキーなことにある催しで、帝塚山大学の清水昭博先生の御案内で法隆寺iセンターに立寄り、若草伽藍の瓦の説明を受けました。
 
法隆寺iセンターは斑鳩町立観光協会のビジターセンターで、訪問者に親切に色々と有用な情報を提供してくれます。
 
この建物の1、2Fに法隆寺に関する展示コーナがありますが、1Fの展示コーナには、若草伽藍で出土した瓦の復原瓦が展示されており、なかなか見ごたえがあります。 

<法隆寺iセンター>

  IMG_8531s.jpg

--
 日本では飛鳥寺で初めて瓦葺が採用されて以来、続いて建立される寺院は瓦葺きとなります。飛鳥寺は百済から派遣された工人の参加の下、588年に造営が開始され596年には完成します。 聖徳太子は601年に斑鳩宮の造営を開始し、605年には斑鳩宮に移ります。そして607年に若草伽藍が完成し、斑鳩宮と斑鳩寺が建立されました。

<若草伽藍出土瓦1>(復原)

軒丸瓦
 法隆寺iセンターに展示されている、若草伽藍出土軒丸瓦の復原瓦を示します。この瓦の文様は「素弁9弁蓮華文軒丸瓦」と呼ばれます。真中の丸い円(中房)の中心に丸い粒(蓮子)があり、そのまわりを6個の粒(蓮子)が円周に沿って配置されています。 9枚の花弁の端(弁端)には、それぞれ小さい粒(珠)があります。 この文様はシンプルですっきりした美しさがあります。

 この瓦の文様のルーツは飛鳥寺の軒丸瓦にあるそうです。飛鳥寺の瓦は8弁で中房の蓮子の数は4個だそうです。それが豊浦寺では4個と6個の2種類となり、法隆寺若草伽藍では独自性を発揮して9弁で蓮子の数は6個になります。
このように、飛鳥寺→豊浦寺→法隆寺若草伽藍、と文様の変遷の歴史をたどることができるそうです。

軒平瓦
 写真の下部にあるのは、若草伽藍出土の軒平瓦の復原瓦です。 清水先生のお話によると、飛鳥寺、豊浦寺の軒平瓦には文様がなく、文様のある軒平瓦は法隆寺若草伽藍がスタートだそうです。 軒丸瓦における複雑な9弁の文様の採用といい、手彫唐草文軒平瓦の採用といい、何かこの時代を切り開いた聖徳太子の新しい息吹きを感じました。

IMG_8973s.jpg

<若草伽藍出土瓦2>(復元)

忍冬弁6弁蓮華文軒丸瓦
IMG_8976s.jpg

<法隆寺西院創建瓦>(復原)

複弁8弁蓮華文軒丸瓦
 法隆寺若草伽藍は670年に火災に会い焼失したと日本書紀にある。 法隆寺西院伽藍は再建説が有力となっているが、瓦の文様にもそのことが反映されている。 天智天皇が川原寺を建立した時に、軒丸瓦のデザインが新しくなり、複弁の軒丸瓦が誕生した。法隆寺西院創建瓦の文様も複弁8弁蓮華文軒丸瓦となっている。

均整忍冬唐草文軒平瓦
IMG_8977s.jpg

----------------
<夢殿模型>
IMG_8522s.jpg
 


 
 

プロフィール

青龍

Author:青龍
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
萩 (2)
訪問者数
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR