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両槻会第43回定例会 桜咲く飛鳥を散策

 2014年3月29日(土)両槻会の第43回定例会、「塔はなぜ高いのか―五重塔の源流をさぐるー」講演の事前散策で、川原寺から飛鳥資料館まで飛鳥の史跡を散策しました。集合場所の近鉄飛鳥駅では約40名の参加者に28ページにもおよぶ部厚い資料が配布されました。飛鳥を熟知したスタッフによりを満喫できるコース設定がされており、途中の史跡では、塔に関する研究が専門の京都府立大学向井佑介先生の説明があり、参加者一同は桜咲く飛鳥路の散策を満喫しました。午後は飛鳥資料館で向井佑介先生による講演がありましたが、それについては続編で報告します。
 今回の散策コースは以下の通りです。

近鉄飛鳥駅(10:00)==川原寺跡~橘寺~川原寺北面遺跡~飛鳥川左岸遊歩道~木の葉堰~弥勒石~甘樫丘(昼食)~犬養万葉歌碑~飛鳥寺~飛鳥坐神社~飛鳥資料館(12:40頃)

1.川原寺跡

川原寺は飛鳥時代に三大寺・四大寺として栄えた大寺ですが、川原寺の創建の記述はなく、日本書紀の天武2年(673)の条に「写経生を集めて川原寺で一切経の写経を始めた」という記事があるだけである。寺域は東西200m、南北330m以上あり、伽藍は一塔二金堂の川原寺式伽藍配置をしています。昭和49年の発掘調査で川原寺裏山の板蓋神社西南側の崖から千数百点の方形三尊塼仏片や塑像片、緑釉塼、金銅金具、貨銭、鉄釘など遺物が総計で1万4000点も出土し注目を集めました。天部像と思われる仏頭の塑像も出土しガンダーラ仏との類縁が議論されました。

 向井先生のお話ではお寺の伽藍配置は660年頃までは塔、金堂、講堂などの建物が中軸線上にあったが、660年ごろから、塔の配置が中軸線からずれて配置されるようになる。川原寺は東に塔、西に金堂を対置し、さらに奥にもう一つ金堂(中金堂)が配置されている。故森郁夫先生は西に金堂、東に塔を対置するのは阿弥陀思想の影響があるとおっしゃた。当時、宮廷でも盛んに無量寿経が流行しており、阿弥陀如来を讃えることが行われた。

<仏陀山東南院弘福寺(中金堂跡)>

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<塔基壇>
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<塔礎石>

 基壇上に礎石のレプリカが置かれている。真ん中に心礎があり、その廻りに四天柱の礎石があり、さらに礎石が二重に周囲に置かれている。一番外側が側柱の礎石である。創建時の心礎はレプリカの下にあった。発掘調査によって、無文銀銭と金銅小円板が出土しており、塔を建てる時の祭祀儀式を知る貴重な資料である。


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<塔跡から経蔵・講堂方面>

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2.橘寺

 寺伝ではこの地に欽明天皇の別宮(橘宮)があり、聖徳太子の生誕地としている。606年(推古天皇14年)に聖徳太子が3日間勝鬘経を講義したとき瑞祥が起こり、天皇に命じられた太子が橘寺を創建したという伝承があり、橘寺は聖徳太子創建七カ寺の一つに数えられている。伽藍は東面する一塔一金堂の四天王寺形式と考えられていたが、講堂も回廊で囲む山田寺式伽藍配置であるという説もある。
向井先生のコメントでは橘寺も創建がいつか分からないが川原寺よりは古そうである。橘寺から金堂のものと考えられる塼仏が出土している。7世紀中頃の飛鳥時代の寺院では金箔を貼った塼仏を壁に貼りめぐらせ金堂内をきらびやかに荘厳していたと考えられる。

<本堂>
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<桜>
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<黒駒>
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<境内>
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<境内地図>
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<五重塔礎石>

塔創建の様子が分かる遺構である。地下式の心礎で中心の円形の溝で心柱を受ける。端にある小さい円は添え柱を受ける。普通4本であるがこれは3本である。塔の建物は心礎より約2m上の面に作る。地下心礎の造り方は基壇を造ってから穴を掘るか、1段造って心礎を置くかなどの方法がある。

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<二面石>
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<会津八一歌碑>
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<梵字形池>
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<石舞台方面>
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<岡寺三重塔>
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<聖徳太子生誕の地碑>
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<川原寺北面遺跡>
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<飛鳥川左岸の桜>
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<弥勒石>
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3.甘樫丘

<畝傍山、二上山>
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<耳成山、香久山>
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<藤原京方面>
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<飛鳥寺方面>
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<犬養孝先生万葉歌碑>

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4.飛鳥寺

日本書紀によると588(崇峻元)年、蘇我馬子の発願により百済王から僧や寺造営工人が派遣され飛鳥寺造営が開始され、596年(推古4)年飛鳥寺が完成した。606(推古14)年、鳥仏師造像の丈六の金銅釈迦如像が金堂に安置された。これこそ現在、我々が目にする「飛鳥大仏」である。

1956(昭和31)年から始まった奈良国立文化財研究所による発掘調査は、法隆寺斑鳩宮などの発掘調査で著名な浅野清氏が全体を指導し、坪井清足氏等が第一線で活躍された。この調査により飛鳥寺は塔を中心として北・東・西の三方にほぼ同じ大きさの金堂を置くという一塔三金堂形式(飛鳥寺式伽藍配置)であることが明らかになった。本尊は北の金堂に安置されその跡に現在の安居院が建つ。寺域は東西200m、南北300mの規模です。講堂跡には来迎寺が建っています。

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<塔跡>

向井先生の説明によると、塔の心礎は地下約3メートルにあり、橘寺とは違って四角の礎石に十字の溝がありその中心に四角の穴があって真ん中に宝物を入れていたそうです。

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<飛鳥寺跡寺域の礎石>

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5.飛鳥坐神社



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