法華寺 国宝仏11面観音立像
2013年6月7日に、はじめて奈良市にある光明皇后ゆかりの法華寺に行ってきました。これまで、尼寺ということで、何か入り難かったのですが、今回、奈良の国宝仏を巡拝する企画があって、参加しました。
6月7日は、聖武天皇の皇后・光明皇后の命日で、国宝の本尊秘佛が特別に開扉(期間:6月5日~6月10日)されました。法華寺は聖武天皇の国分寺・国分尼寺建立の詔に基づき、光明皇后の発願によって建立された総国分尼寺で、現在は門跡尼寺です。平安時代に栄えた建物は今はなく、静やかに本堂や浴室(蒸し風呂)が建っています。
<写真1>法華寺門

<写真2>池から本堂

<写真3>本堂正面

<写真4>浴室

<写真5>庭園入口

<写真6>護摩堂(不動明王)

<写真7>鐘楼

<写真8>蓮の花

<写真9>カキツバタ

〇 十一面観音菩薩立像
本堂に入ると、奥に置かれている厨子が開扉されていました。この中に御本尊がおられます。
じっと目を凝らすと、うす暗い厨子の中から、目が下方を向き、紅い唇が印象的な、豊艶で女性的な、意思の強そうな、子を育てる母親の様な強さを持った十一面観音菩薩立像が浮かび上がって来ました。
室生寺金堂で拝顔した国宝の11面観音像は色彩豊かで官能的なお姿であったが、それとはまた違い、素朴であるが、躍動感があり、何か惹かれるものがありました。
右手は左手に比べて大変長く、右手の指先で天衣をつまむようなしぐさをしていました。
左手にはこれから咲こうとしている蓮の花が一輪入れられた水瓶を持っておられます。天衣は波の波紋を模した木肌が美しくなびいていました。右足の指先は台から少しはみ出しており、これから出かけるぞというような動きに見えました。
頭部の化仏も均斉整って配置され、さらに小さい阿弥陀さまが散りばめられていました。
この十一面観音立像は、阿修羅像を彫った問答師によって、光明皇后を写して、造られたという伝説があります。
また、光明皇后が書いたとされる、天平16年10月3日付「藤三娘」という署名のある楽毅論を写経した書が残っていますが、これを見ると、光明皇后は、男子のような力強い字を書き(上手とはいえないが)、文字の順序を違っても返り点で文字順を示すなど、あまり細部にこだわらない、大らかな性格であったように見受けられます。
十一面観音立像のお姿はこのような光明皇后の力強い性格を彷彿とさせるような像でした。なお、光背は蓮の蕾と巻いた葉で構成される類例を見ないものでした。
<写真11>会津八一の歌碑

「ふぢはらの おほききさきを うつしみに あひみるごとく あかきくちびる」
(藤原の 大き后を 現身に 相観る如く 紅き唇)
<写真10>料金表

参考文献:会津八一:“自註鹿鳴集”岩波文庫,1刷1998、7刷2012、660円
白洲正子:“十一面観音巡礼”、新潮社、1975.
和辻哲郎:“古寺巡礼”、岩波文庫、1979、45刷2001、660円
6月7日は、聖武天皇の皇后・光明皇后の命日で、国宝の本尊秘佛が特別に開扉(期間:6月5日~6月10日)されました。法華寺は聖武天皇の国分寺・国分尼寺建立の詔に基づき、光明皇后の発願によって建立された総国分尼寺で、現在は門跡尼寺です。平安時代に栄えた建物は今はなく、静やかに本堂や浴室(蒸し風呂)が建っています。
<写真1>法華寺門

<写真2>池から本堂

<写真3>本堂正面

<写真4>浴室

<写真5>庭園入口

<写真6>護摩堂(不動明王)

<写真7>鐘楼

<写真8>蓮の花

<写真9>カキツバタ

〇 十一面観音菩薩立像
本堂に入ると、奥に置かれている厨子が開扉されていました。この中に御本尊がおられます。
じっと目を凝らすと、うす暗い厨子の中から、目が下方を向き、紅い唇が印象的な、豊艶で女性的な、意思の強そうな、子を育てる母親の様な強さを持った十一面観音菩薩立像が浮かび上がって来ました。
室生寺金堂で拝顔した国宝の11面観音像は色彩豊かで官能的なお姿であったが、それとはまた違い、素朴であるが、躍動感があり、何か惹かれるものがありました。
右手は左手に比べて大変長く、右手の指先で天衣をつまむようなしぐさをしていました。
左手にはこれから咲こうとしている蓮の花が一輪入れられた水瓶を持っておられます。天衣は波の波紋を模した木肌が美しくなびいていました。右足の指先は台から少しはみ出しており、これから出かけるぞというような動きに見えました。
頭部の化仏も均斉整って配置され、さらに小さい阿弥陀さまが散りばめられていました。
この十一面観音立像は、阿修羅像を彫った問答師によって、光明皇后を写して、造られたという伝説があります。
また、光明皇后が書いたとされる、天平16年10月3日付「藤三娘」という署名のある楽毅論を写経した書が残っていますが、これを見ると、光明皇后は、男子のような力強い字を書き(上手とはいえないが)、文字の順序を違っても返り点で文字順を示すなど、あまり細部にこだわらない、大らかな性格であったように見受けられます。
十一面観音立像のお姿はこのような光明皇后の力強い性格を彷彿とさせるような像でした。なお、光背は蓮の蕾と巻いた葉で構成される類例を見ないものでした。
<写真11>会津八一の歌碑

「ふぢはらの おほききさきを うつしみに あひみるごとく あかきくちびる」
(藤原の 大き后を 現身に 相観る如く 紅き唇)
<写真10>料金表

参考文献:会津八一:“自註鹿鳴集”岩波文庫,1刷1998、7刷2012、660円
白洲正子:“十一面観音巡礼”、新潮社、1975.
和辻哲郎:“古寺巡礼”、岩波文庫、1979、45刷2001、660円