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黒塚古墳

黒塚古墳(国史跡、出土品は国重要文化財)

1.いつ頃の古墳か
 ・古墳時代前期(3世紀後半から4世紀)、初期ヤマト政権時代の古墳
 ・古墳時代の埋葬の様子が分る貴重な古墳で国の史跡指定されている
 ・墳丘の主軸を東西方向に置き後円部を東にする前方後円墳
 ・全長132m、後円部直径72m、高さ11m

2.いつ調査されたか
  大和古墳群学術調査委員会(委員長:樋口隆康 橿原考古学研究所所長)が平成9~10年
 (1997~1998)の2年間調査.ホケノ山は1999年から調査された.

3.埋葬施設
 ・未盗掘の石室(地震で石板が崩れ盗掘免れた)で埋葬物がそのままの状態で確認。
 ・後円部中央に主軸と直交して南北に埋葬施設がある. 
 ・全長8.3メートルで川原石と板石を用いた合掌型の竪穴式石室. 
 ・長さ6メートル、直径1メートル以上のクワの巨木をくりぬいた割竹型木棺.
 ・現在木棺は腐り、粘土の棺台が残っている.
 ・中央部は鮮明な朱色、水銀朱が付着、被葬者の埋葬された場所

4.出土物
 ・棺内:画文帯神獣鏡1面が被葬者の頭上に立てられていた.
     遺体の両脇に鉄刀と鉄剣が置かれていた.日常使用していたものと推測
 ・棺外:1)鏡 三角縁神獣鏡33面。粘土棺床と壁の間に、鏡面を内側にして立てていた。
       鏡の平均直径は22センチメートル、重さ1キログラム。
        鏡裏には中国の吉祥句を記した文章、神仙、神獣などが表現されている。
     2)鉄鏃が170点以上出土(口巻部残る)
     3)Y字形鉄製品
     4)小札類

5.柳本藩
 ・中世には楊本(やなぎもと)氏が柳本小学校付近に柳本城を構えて本拠とした.
 ・江戸時代(寛永年間1624-44)に、織田信長の弟で茶人として有名な織田長益(ながます)
 (有楽斎(うらくさい))の五男尚長(ひさなが)が、柳本藩1万石として、柳本城の旧地に陣屋を
  設けた.また、四男長政(ながまさ)は、芝村藩1万石として、桜井市芝に陣屋を設け、明治まで
  存続した.

6.黒塚古墳展示館 
  黒塚古墳に近接して、天理市立黒塚古墳展示館が設けられ、石室の実物大のレプリカや出土した
  鏡のレプリカなどが展示されている

・開館時間:午前9時~午後5時まで  休館日:毎週月曜日と祝日(GWは祝日も開館)
      月曜日が祝・休 日の場合は翌日も休館.年末年始は12月28日~1月4日
・入館料無料

7.その他 
 初期ヤマト政権のあり方や邪馬台国の所在地論争と無関係でない。

天理市立黒塚古墳展示館
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