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飛鳥寺の瓦

 2012年10月12日、奈良世界遺産市民ネットワーク主催の小笠原好彦氏による古代史講座「飛鳥寺に葺かれた10弁・11弁軒瓦とその背景」が開催されました。

「日本書紀」崇峻元年(588年)の記事によれば、日本最古の寺である飛鳥寺(当時は法興寺と呼ばれた。)は、百済から仏舎利と僧6名、寺院建築工2名、鑢盤博士1名、瓦博士4名、画工1名が派遣されて、その技術指導の下で造営されました。

瓦博士が4名も派遣されたのは何故か、飛鳥寺は百済の首都扶余では例がない、1塔3金堂(中金堂、東金堂、西金堂)式であるのは何故か、等多くの疑問点があります。

 小笠原氏は瓦製造の模擬実験を踏まえて、瓦製造には最低二人が必要なこと、また、その後多くの寺院の瓦の調査から、2種類の組の瓦(花組、星組)があること、元奈良文化財研究所の清水昭博氏(現在、帝塚山大学准教授)による瓦の系統図「蓮華百相」(図録)の研究を紹介されました。

花組の工人達は主として大和の寺院の瓦を作り、星組の工人達は斑鳩の法隆寺や河内、摂津、吉備など上宮家に関係した広い範囲で活動した。

最後に、いつも独創的な考えを述べられる小笠原氏は今回も以下の2つの面白い考えを提起されました。

1.飛鳥時代に難波には館(むろつみ)と言われる迎賓館があり、飛鳥京に入る前に百済、新羅、隋等の使者がそこに滞在した。豊崎宮跡から飛鳥寺と同笵の瓦が出土し、考古学者はその説明に苦慮しているが、その理由は、使節を迎える館を立派に見せるため、飛鳥寺と同様に瓦葺きにしたので、飛鳥寺と同笵瓦が出土しているのではないか。

2.飛鳥寺の瓦の窯跡がまだ見つかっていない。あれだけの寺の瓦を焼いたのだから相当大規模な窯跡がどこかにあるはずだ。さて、皆さんはどこから見つかるとお考えかと提起されました。蘇我氏の本拠地は、葛城の室の宮山(御所市)近辺にあったのではないか。とすれば、その辺りではないかと、大胆に提起されました。

古代史は本当に面白い、皆さん、是非飛鳥寺の瓦窯あとを見つけましょう。
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