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五條市の史跡を歩く その4

<光仁天皇皇后井上内親王宇智陵>
  
聖武天皇の第一皇女の井上(いがみ)内親王(717-775)は5歳のとき、斎王に卜定され727年11歳のとき伊勢の斎宮に下向しました。その後19年間、斎王として伊勢神宮に奉仕しましたが、744年に弟の安積親王が薨去し、746年に斎王の任を解かれ、奈良へ退化しました。

その後、白壁王(のちの光仁天皇)の妻となり、他戸(おさべ)親王を産みました。770年(宝亀元年)に白壁王が天皇に即位(第49代光仁天皇)すると、井上内親王は皇后になり、他戸親王は皇太子になりました。ところが、他戸親王が天皇に即位することをよく思わない反対勢力、藤原百川や藤原永手は光仁天皇の異腹の皇子・山部親王(のちの桓武天皇)を即位させようと企んでいました。

772年に光仁天皇の皇后、井上内親王が天皇を呪詛し、謀反を企んだという事件が起こり、皇后の座を廃されました。
光仁天皇の同母姉の難波新王が亡くなると、これも井上内親王の仕業とされ、内親王は他戸親王とともに、宇智郡の没官宅に幽閉され、その1年後の775年4月25日(27日の説もあり)同じ日に二人は亡くなりました。

<光仁天皇皇后井上内親王宇智陵>
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その後、山部親王が体調不良になり、弘仁天皇も病に陥り全国的に災害が続きました。山部親王は異変を井上内親王の怨霊の仕業と見なして恐れ、井上内親王の名誉回復に努め、皇后名を復活し、御霊神社を作り、井上内親王を主神としました。

<御霊神社> 五條市霊安寺町
祭神 井上内親王,他戸親王、早良親王
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五條市の史跡を歩く その3

栄山寺(えいざんじ) (五條市小島町)

 荒坂窯跡からバスで吉野川沿岸に所在する古刹・栄山寺へ移動しました。 藤原不比等(659-720)の長男・藤原武智麻呂(680-737)は719年(養老3年)、平城京から60キロほど南下したこの吉野川の風光明媚の地に、もともと前山寺(さきやまでら)と称された、栄山寺(えいざんじ)を建立しました。藤原武智麻呂を祖とする藤原南家の菩提寺として鎌倉時代から室町時代まで大いに栄えました。

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<本堂>
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<説明>
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<ご本尊:薬師如来坐像> 国重要文化財、室町初期
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<石燈籠> 国重要文化財
 本堂正面に建つ石燈籠で、弘安七年(1284)の銘があり、国の重要文化財に指定されています。
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<八角円堂> 国宝
 境内に現存する奈良時代の建物国宝八角堂は、藤原武智麻呂(680-737)の第二子藤原仲麻呂(706-764)が父武智麻呂を供養するために、天平宝字(757-765)末年に建立したと伝えられています。武智麻呂のお墓は奈良市佐保山にありましたが、「後阿陀の墓」(栄山寺後方の山腹)に改葬され、そのときに八角堂が建立されました。

 この八角堂は国宝の法隆寺夢殿と対比されますが、平面は差し渡しで三割ほど小さく、軒の出も約八割です。また夢殿の庇と身舎(もや)は八本の柱ですが、八角堂の身舎の柱は4本で格子天井となっています。内陣に4本ある八角形の柱や天蓋などに花文や飛天の極彩色の絵の跡が残っています。本尊は大日如来坐像で、堂内に十二神将像(国重要文化財)阿弥陀・地蔵・如来形の像が安置されています。

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<八角円堂> 国宝、奈良時代
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<屋根に石製宝珠>
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<梵鐘> 国宝
 もとは山城国道澄寺(どうちょうじ)の梵鐘をここ栄山寺に移されました。銘文が四区に陽鋳されており、菅原道真撰、小野道風の書と伝えられています。銘文より、道澄寺は藤原武智麻呂五世の孫道明とその叔父橘澄清の共同建立になり、二人の名より道澄寺と名付けたこと、藤原道明の寄進により、917年(延喜17年)11月3日に完成をみたことが分ります。高雄の神護寺(京都市右京区)、宇治の平等院と並び平安の天下の三名鐘として知られます。

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<釣鐘堂>
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<精巧な造りの龍頭>
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銘文
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<南朝栄山寺行宮跡> 国史跡
 南北朝期に栄山寺は南朝の後村上・長慶・後亀山三天皇の御在所となった所で、行宮跡として国の史跡に指定されており、本堂前に石碑が建っています。
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<塔ノ堂(大日堂)> 国重要文化財、室町時代
 塔ノ堂(大日堂)という名称は天文年間(1532-1555)に本堂とともに焼失した多宝塔にちなむそうです。
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<石造七重塔> 国重要文化財、鎌倉初期
 大日堂の前に凝灰岩製で鎌倉時代初期の造立とされる石造り七重塔が建っています。なかなか重厚感があります。
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五條市の史跡を歩く その2

 猫塚古墳から京奈和自動車道の高架橋をくぐって荒坂窯跡へ徒歩で移動しました。

荒坂窯跡(奈良県史跡)は荒坂峠の北方に位置し関屋川を望む北向きの丘陵斜面に築かれています。この近くに合計11基の窯跡が確認されているそうです。最も残りが良い第1号窯は全長9.1mのトンネル式の登窯で11の階段を持ち、上部に煙道があります。発掘調査により、この窯跡は7世紀後半に飛鳥川原寺の瓦を焼いた官営の窯跡であったと考えられています。

 ここで焼かれた瓦は重阪(へいさか)峠越えで、曽我川の水運を利用して飛鳥へ運ばれたのではないかと考えられるそうです。この窯は須恵器と瓦の兼用窯であったことが分っています。

現地では窯跡が屋根付きで保存されており、小屋の中に入って見学しました。瓦造りに水は不可欠ですので、関屋川のすぐそばにある様子も確認しました。

<トタン葺きの屋根が荒坂窯跡>
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<関屋川の谷筋の斜面に造営>
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<トンネル式登窯:上部に煙道あり>
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<同上>
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<現地説明板(半地下式は誤り)>
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五條市の史跡を歩く その1

 2015年5月16日(土)考古学者の小笠原好彦先生の案内で、奈良県五條市の遺跡を訪ねました。 五條市は奈良方面から高野山へ行くときの経路となっています。 飛鳥・奈良時代の歴史を理解する上で五條市の遺跡は大変重要です。小雨が残る中、まず猫塚古墳と荒坂窯跡に立寄りました。

<猫塚古墳(ねこづか古墳)奈良県指定史跡 (五條市西河内町)>
一辺32m、高さ約5mの2段築成の方墳で、墳丘周囲には幅約15mの周濠跡が認められます。墳丘は葺石で覆われ、円筒埴輪列をめぐらす他、墳頂には家形埴輪、器財埴輪が立てられていました。5世紀中頃の築造と推定されます。1958年から発掘調査が行われ、竪穴式石室が発掘されました。石室は紀ノ川流域の結晶片岩を用いて造られています。

<現場説明板>
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<猫塚古墳>
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この古墳から蒙古鉢形眉庇付冑(もうこばちがた まびさしつきかぶと)(国宝、奈良国立博物館所蔵)が出土したことで有名です。

<蒙古鉢形冑(レプリカ、市立五條文化博物館>
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石室内から埴製枕、漢式鏡、短甲片、石室外から環頭剣や鉄鏃、鉄鍛冶関係の遺物、砥石、碁石など多種類の副葬品が出土、きわめて大陸的色彩の強い遺物として注目を集めました。

<出土品(レプリカ、市立五條文化博物館)>
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この古墳は5世紀中頃に紀ノ川をさかのぼって大陸文化がこの地域に波及したことを考察する上で重要な古墳です。




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