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宇陀市 墨坂神社

近鉄榛原駅から宇陀川に出ると、対岸に朱と白の社殿が美しい墨坂神社(宇陀市榛原萩原)が目にとまります。祭神は墨坂の神です。本殿は春日大社旧社殿を1864(元治元)年に移築したものです。参拝した日は、「大とんど」の日で、正月の飾り物を持ち寄って燃やすため、境内にうず高く積まれ、消火のため消防自動車が待機していました。

日本書紀の崇神天皇9年の条に、天皇の夢に神人があらわれて、「赤の楯を八枚、赤の矛を八本で、墨坂の神を祀りなさい。また黒の盾を八枚、黒の矛を八本で、大坂の神を祀りなさい」というお告げがあって、夢の教えのままに墨坂の神、大坂の神を祀ったとあります。

口碑によればもとの墨坂神社は西峠付近の「天の森」にあり、社記では、1449年(文安6年)、現在地に遷宮したとする。11月3日の秋祭りには、もとの社地からの渡御行列があります。

墨坂神社一の鳥居
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宇陀川
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吹き流し
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看板
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手洗い所
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三の鳥居
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拝殿
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本殿
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八柱神
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大とんど
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宇陀市 宇賀神社

日本書紀に宇陀の穿邑(うかちのむら)という地名がでてきます。その、宇陀市菟田野宇賀志に鎮座する宇賀神社を参拝しました。祭神は天照大神ですが、この地をおさめていた兄猾(えうかし)・弟猾(おとうかし)であったのかも知れません。

日本書紀(宇治谷孟訳「日本書紀(上)」講談社学術文庫)の神武東征神話に宇陀の県の人々の二人のかしら兄猾(えうかし)・弟猾の話がでてきます。天皇が二人に出頭を命じた所、兄猾は出頭せず、弟猾だけが出頭して、「兄猾は仮に新しい宮を造り、御殿の中に仕掛けを設けて、おもてなしをするように見せかけて、殺そうとしている」と密告します。天皇は道臣命(みちのおみのみこと)を遣わして、悪計を調べさせた所、殺害心があったことがあきらかになり、道臣命は大いに怒り「卑怯者目が、お前が造った部屋に自分ではいるがよい」と、中に押し込め、仕掛けに落として圧死させました。その屍を斬ると、くるぶしを埋めるほどの血がながれたので、その地を宇陀の血原となずけたそうです。

宇賀神社
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拝殿
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本殿
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看板
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こもうけ石
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宇賀神社の裏手の小川は血原川、橋の名前も「血原橋」です。また、観光協会の看板もありました。

血原
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血原川
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宇陀市 桜実神社

 国道166号線を通り宇陀市菟田野佐倉にある桜実神社を参拝しました。祭神は木花咲耶姫(このはなさくやひめ)です。本殿右側に国の天然記念物に指定されている八ッ房スギがあり、以前から一度見てみたいと思っていました。見てびっくりです。一体このような杉があるものか、大小8本の幹が、一つの根元から出ており、まるで八岐大蛇のような姿をしていました。高さ14m、周囲8mの老木で、垂れた枝には鉄梯子の支えがしてありました。一体樹齢は何年たっているのでしょうか?桜実神社はこの杉を神木として祀っていたのではないかと思いましたが、由緒などはよく分かっていないようです。

なお、桜実神社のすぐ近くに、神武軍が陣営を築いたと伝わる高城の跡があります。このとき、神武天皇が植えた杉が八ツ房杉だと伝わります。

桜実神社鳥居
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拝殿と本殿
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拝殿正面
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看板
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八ツ房杉(天然記念物)
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反対側
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鉄梯子で支柱
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石碑
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宇陀市 八咫烏神社

 日張山・青蓮寺に行く途中、宇陀市榛原高塚に鎮座する八咫烏神社に立寄りました。八咫烏は「日本書紀」の神武東征神話に登場します。神武軍は熊野から大和へ入ろうとしましたが、山中険しく道もなく、天照大神によって遣わされた八咫烏が道案内をし、宇陀の下県(しもつこおり)につき、そこを宇陀の穿邑(うかちのむら)と名付けました。

 八咫烏神社は式内社で、「続日本紀」によれば、705年(慶雲2年)に創祀され、祭神は鴨県主(かものあがたぬし)の祖の建角身命(たけつぬみのみこと)です。3本足の八咫烏が日本サッカー協会(JFA)のシンボルマークに使われるようになって、当社が知られるようになり、境内にサッカーボールを載せた八咫烏の大理石像が造られていました。神社から鳥居方向を見ると、真正面に日本書紀に登場する稲佐山が見えました。また、参道から榛原方面に大和富士と呼ばれる「額井岳」の姿が望めました。

 宇陀地方は吉野・熊野や和歌山、東国や伊勢に出る交通の要衝に位置し、神武神話の神代の時代から、古代史に幾たびも登場する歴史ファンにとってはたまらない地域なのです。

八咫烏神社(一の鳥居)
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八咫烏神社(二の鳥居)
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看板
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二の鳥居(稲佐山)
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拝殿
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本殿1
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本殿2
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清酒(ヤタガラス)
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八咫烏(サッカーボールをヘディング)
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額井岳
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菟田野 青蓮寺

宇陀市菟田野宇賀志の山中にある中将姫伝説で名高い尼寺、日張山・青蓮寺(しょうれんじ)に行ってきました。ご縁があってこのお寺のことは聞いていましたが、念願かなってはじめて行く機会を得ました。思った通りかなりの山奥でしたが、近くまで車で行くことができ、手洗い場近くで駐車できました。「是より ひばり山参詣道 5分位」の標柱がある階段を登って行くと、5分で山門に到着し、さらに階段を登って行くと、平地が開け手入れが行き届いた素敵な境内が開けていました。この境内は四周を山に囲まれ、風が吹き込まず、穏やかな陽だまりの中にありました。

手洗い場
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登山道
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歌碑
なかなかに 山のおくこそ すみよけれ くさ木は人の さかを 言わねば
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山門
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山門
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 伝説によれば中将姫は横佩の右大臣藤原豊成の先妻の息女ですが、760年(天平宝宇4年)継母の讒言によって、14歳のとき奈良町の屋敷から、遠く離れた菟田野の日張山に配流され、殺される運命にありましたが、武士嘉藤太夫妻の情けで命を助けられ、念佛三昧の生活を送りました。その約2年後、藤原豊成が狩猟のため日張山に来た際、偶然再会し助けられ、奈良町の屋敷に連れ戻されましたが、念佛の道捨てがたく、當麻寺で剃髪し法如尼と称せられました。當麻寺で當麻曼荼羅を感得して後、19歳のとき日張山へ登り一宇のお堂を建て、自らの影像と嘉藤太夫妻の像を刻み安置して、日張山青蓮寺と名付けました。

ひばり山青蓮寺略記
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開山堂
 中将姫御影像安置
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阿弥陀堂
 中将姫19歳・法如坐像
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嘉藤太夫婦のお墓
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世阿弥謡曲「雲雀山」
  日張山・青蓮寺が舞台となっています。
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庫裏
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謡曲演技
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2016.1.24追記

無常の鐘
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境内
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仏足石
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石像
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