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薬師寺特別拝観

薬師寺の正月期間は特別拝観(1600円)券を購入すると、金堂、大講堂、東院の通常拝観に加えて、西塔(初層内陣)、食堂(内陣)、玄奘三蔵院(平山郁夫画伯の壁画含む)の拝観ができます。
 
初めに中門をくぐって右手に聳える12年ぶりの東塔の姿を見てから、金堂の薬師三尊像(国宝)と吉祥天像(国宝)を拝観しました。お正月なので金堂内は大勢の参拝者で溢れていました。12年ぶりに金堂とその両側に東塔と西塔が並び立つ薬師寺式伽藍配置が壮快です。

1968年(昭和43)に写経による金堂復興を発願した高田好胤元住職は、全国を行脚し、1976年(昭和50)には写経が100万巻を突破し、当時の金額で約10億円を集め、法隆寺の西岡常一棟梁を薬師寺に招き、金堂を再興し、1976年(昭和51)には落慶法要を行いました。

最初は金堂のみの復興を願っていましたが、写経勧進が進められ、西塔、中門、回廊、僧房、大講堂、食堂が復元され白鳳伽藍が整いました。また、境内には当初はなかった玄奘三蔵院も新たに創建されました。

現在では、すでに870万巻を超える写経が集まり、莫大な資金力によって、今後もさらに経蔵、鐘楼、南大門などの復興を計画しています。


東塔と西塔
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特別拝観
西塔(初層内陣)
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 西岡棟梁が心血注いで復元した西塔は、東塔の白鳳時代の建築様式を徹底的に調べ尽くして桧(台湾産)で実現したもので、金堂と同様に、青丹よしと黄金の飾り金具が陽光に映えて、とても美しかったです。
 
 本来、東西両塔の初層には、釈迦の生涯を八場面に分けた塑像が配置されていました。西塔には釈迦の後半生の4場面(成道、転法輪、涅槃、分舎利)の塑像があったことが、残欠があるので分かっています。平成27年に初層に著名な彫刻家によるブロンズ像が奉納され、特別拝観の対象(500円必要)となっていますが、今回拝観した第一印象は、法隆寺五重塔の塔本塑像に比べて、とてもグロテスクな感じがして、余り親しみを持てませんでした。

釈迦八相のうち
五相: 成道
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六相: 転法輪
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七相: 涅槃
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八相: 分舎利
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食堂(内陣)

食堂外観
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食堂特別拝観入口
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 最近完成した、食堂の内部の建築構造はどうなっているか、古代建築を見られる良い機会だと期待して入ったのですが、興ざめでした。建物は木造ではなく鉄骨造りで表面に見えてくる柱、梁、組み物などは木材で化粧する工法を採用しています。法隆寺の大宝蔵院を造営した工法と似ているように思います。

 外観だけが白鳳時代(?)の古代様式ですが、内部には柱がなく参拝や法話を行う広いホールになっており、食堂の機能を復元したものはどこにも見当たりません。 低い天井には雲海が渦巻くイメージを、光輝アルミ合金によって実現した現代アートになっており、とても違和感を覚えました。正面には法隆寺金堂6号壁画のような阿弥陀浄土図の壁画があり、光があたって大変目立っていました。 また、周囲には合計14枚の壁画に仏教伝来の様子が描かれていますが、全ストーリーを把握するためには、50mも歩く必要があります。 

壁画「仏教伝来の道と薬師寺」14枚の内容は次の通りです。
 ①旅立ち ②遣唐使船 ③大和へ ④瀬戸内 ⑤帰帆 ⑥御津の浜松 ⑦大和川 ⑧飛鳥川 ⑨畝傍 ⑩耳成 ⑪天香具山 ⑫飛鳥寺院幻想 ⑬藤原京 ⑭平城京

 食堂では天平時代には約300名の僧侶が食事をとったそうですが、現代の寺院に僧侶はそんなに多くいないので、どう活用するのかと思いました。 

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境内地図
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大門
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正面:玄奘三蔵院伽藍 右:本坊 写経道場 慈恩殿
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玄奘三蔵院山門
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玄奘三蔵堂殿
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大唐西域壁画殿
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 初めに、八角形二重屋根の「不東」と書かれた額のかかっているお堂の中の玄奘三蔵像を拝観ました。次に、壁画殿に移動し、平山画伯の「大唐西域壁画」を拝観しました。 2000年の12月31日に拝観して以来、4回目の拝観です。以前はガラスの囲いなどはなく、すぐ近くで拝見しましたが、今回はガラスのせいで離れてみて、全体が一望でき大変良かったです。何度見ても素晴らしい構図と絵です。格天井には蒼い空に星がきらめくシルクロードの夜の星空をじっくりと眺めることができ、青色がとてもよかったです。平山画伯は敦煌壁画の保存を訴えた恩人であると中国でもよく知られています。

暮れなずむ薬師寺東塔と西塔
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薬師寺復元経過
718年 平城京に薬師寺を移す
724年 東院建立
730年 東塔建立
1528年 金堂、講堂、中門、西塔、僧房等焼失
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1968年 高田好胤住職 写経による金堂復元勧進開始
1971年 金堂起工式
1976年 金堂落慶 西僧房復元
1981年 西塔落慶 東僧房復元
1984年 中門落慶
1991年 玄奘三蔵院落慶
1996年 大講堂落慶
2017年 食堂落慶

2020年初詣は薬師寺

  明けましておめでとうございます。皆々様、本年もどうかよろしくお願いいたします。

 今年の初詣は薬師寺へでかけました。 昨年末に東塔の工事用の素屋根が外され、12年振りにその勇姿を表わしたので、ぜひ拝観したいと思ったからです。東塔の解体修理に関する現地説明会については、これまでその都度本ブログで報告してきましたが、今年の4月22日~26日には落慶法要が行われ、5月1日からは東塔内陣の拝観が予定されています。東塔解体修理の時に、使用されている用材の伐採年代を年輪年代法により測定すると、どうやら元薬師寺を移築したのではなくて、平城京遷都に際して、新しく作られたようです。
 薬師寺の南門に着くとすでに中門回廊越しに東塔の姿が見えました。しばらく外から眺めてから、特別拝観券(1600円!)を購入して境内へ入りました。午後3時~5時まで拝観しました。

薬師寺食堂、玄奘三蔵伽藍については次回とします。

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東塔落慶行事告知ポスター
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回廊外から東塔
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中門
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仁王(吽形)
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仁王(阿形)
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金堂
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東塔1
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東塔2
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金堂と東塔1
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金堂と東塔2
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西塔(内陣 涅槃像公開)
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金堂(国宝 吉祥天像公開)
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富雄丸山古墳第3次調査現地説明会

 2019年11月30日に奈良市教育委員会による富雄丸山古墳の第3次発掘調査の現地説明会が開催されました。富雄丸山古墳は奈良市西部の富雄川西岸の矢田丘陵より派生する尾根上に立地しています。暗峠越えの旧街道は富雄丸山古墳のすぐそばを通っています。また、第二阪奈道路は丸山古墳のすぐそばを通っています。

今回の現地説明会の要点は次の通りです。
(1)墳頂部の調査(A調査区)
1972年に調査された粘土槨を再発掘しています。今回の調査では墓壙一段目の輪郭が一部再確認されました。旧発掘区埋土から、斜縁神獣鏡の断片、(鉄刀、鉄剣、刀子、鉄鏃、銅鏃、埴輪(普通・鰭付円筒埴輪))の断片、円板形土製品が出土しました。なお、墳頂部中心から約8.5mの位置に高さ0.8mの段差があり、周囲が一段低くなっていることから、埋葬施設を構築する壇があった可能性があるとのことです。

(2)造り出し部の調査
 造り出し部北西側は2段構成で、平坦面には3cm程度の小石を敷き詰め、斜面には拳大の葺石がありました。上段平坦面は墳丘本体に向かって高くなり2段目斜面に接続しています。下段の平坦面上には円筒埴輪列を確認しました。埴輪列は途中で屈折し、第2次調査で確認した1段目平坦面の円筒埴輪列に接続するようです。埴輪は10cm間隔に普通円筒埴輪や鰭付き円筒埴輪が不規則に配置されています。

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現地説明板
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墳頂まで三段登る
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墳頂から(後方は第2阪奈道路)
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墳頂部埋葬施設の再発掘(A区)
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埋葬施設粘土槨(1972年調査)
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墳頂部段差
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墳丘(下から上へ3段築成になっている)
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造り出し部(E区) 
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埴輪列
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出土品(斜縁神獣鏡断片など)
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埴輪断片
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鉄製品片
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富雄丸山古墳 現地説明板
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富雄丸山古墳発掘調査経過

(1)明治初期に3回ほど盗掘を受け、多数の玉類、鉄製品、朱などの副葬品が出土したが多くが散逸した。その一部が京都博物館蔵品となり、1957年に国の重要文化財に指定された。また、三角縁神獣鏡3面が天理大学付属天理参考館に所蔵されている。

(2)1972年に奈良県教育委員会は大規模団地開発にともなって、富雄丸山古墳群の発掘調査を行い、1号墳は墳頂部に粘土槨の埋葬施設をもつ直径86mの大型の円墳であることが分かった。また、盗掘を受けているが多様な副葬品が多数出土した。
埋葬施設は東大寺山古墳の粘土槨と細部まで類似しており、また出土した副葬品より、古墳築造年代は古墳時代前期後半の4世紀後半と推定される。なお、2、3号墳は横穴式石室をもち、古墳築造年代は6世紀前半から中頃との調査結果が報告されている(文献(1))。

(3)1982年に橿原考古学研究所が、1号墳の追加調査を行い、北東部に造り出しが取り付く直径102m前後の大型円墳、となる可能性を指摘した。

(4)2017年に奈良市教育委員会が航空レーザ測量(第1次調査)を実施。直径110m前後の3段築成の円墳であることが判明した。

(5)2018年に奈良市教育委員会が発掘調査(第2次調査)を行い、1段目斜面の外側に平坦面を確認し、この傾斜変換点を墳丘裾とみると、古墳の直径は109mに復元でき、埼玉県丸墓古墳(直径105m)を上回る国内最大の円墳であることが分った。

(6)2019年に奈良市教育委員会が第3次調査を実施し、造り出し部と墳丘面の埋葬施設部分を調査した。造り出し部に埴輪列が存在すること、墳丘斜面に葺石があることが分かり、また多数の遺物が出土しました。この調査には、期間限定で市民300余名が参加、奈良大学との連携協定で奈良大学生が発掘に参加。筑波大学院生も発掘に協力しました。

参考文献
(1) 奈良県教育委員会、 “奈良市大和田町富雄丸山古墳群発掘調査報告”、奈良県文化財調査報告書 第19集、昭和48年3月.
(2) 奈良市教育委員会、“富雄丸山古墳の発掘調査 第2次調査”、2019.1.22.
(3) 奈良市教育委員会、“富雄丸山古墳の発掘調査 第3次調査”、2019.11.27.


平城宮跡東院庭園

 平城宮跡は東西・南北がそれぞれ約1㎞の方形で、さらに東に270m, 北に750m張り出し部分をもつ。1967年(昭和42)の発掘調査で、この張り出し部分の南東隅から庭園遺構が見つかった。この場所は、「続日本紀」に出てくる「東院」にあたることから、発見された庭園は「東院庭園」と名付けられた。ここは聖武天皇の東宮の一部、あるいは称徳天皇が儀式や宴会を行った迎賓館の一部に相当すると見られている。

平城宮跡案内
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東院張出し部、
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 東院庭園は東西80m×南北100mの敷地の中央に複雑な形の岬や州浜敷きの池を設けた貴重な古代の庭園遺構である。東院庭園の池は奈良時代後半に大きく改変されており、前期と後期の2期に分けられる。1995年(平成7)から1998年(平成10)年にかけて後期の庭園が復元され2010年(平成22)に特別名勝に指定された。池北岸には石組みの築山が復原されている。また、北西部には曲水が復原されている。

 発掘調査から得られた建物の柱穴や飛鳥・奈良時代の現存建物を参考にして、中央の正殿の建物(法隆寺伝法堂を参照)から露台が池に張り出し、その先には平橋が東岸へかかっている。建物の柱は法隆寺夢殿の柱のように八角形の面取りがなされている。北東建物(法隆寺食堂参照)には反橋がかかっている。隅楼は2階建てになっており、屋根には鳳凰がとまっている。

 東院庭園は復原から約20年が経過し、当初植えられた植栽は成長し、庭園にとてもマッチした素晴らしい景観を生み出している。20年の歳月は無駄には経過していないと感心しました。

中央建物と庭園1
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中央建物と庭園2
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中央建物と庭園3
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中央建物と庭園4
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平橋
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中央建物
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イロハ紅葉
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ヤマモモ
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反り橋
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北東建物1
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石組築山
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北東建物2
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隅楼
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柳並木1
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柳並木2
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曲水

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平城宮跡東区朝堂院朝庭における大嘗宮遺構

平城宮跡における大嘗宮遺構

 奈良文化財研究所では令和の大嘗祭にちなみ、これまでの発掘調査に基づき最近「特別史跡 平城宮跡 大嘗宮」(2019年11月発行)というパンフレットを作成し配布しています。本稿はこれを基にしています。

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大嘗祭とは

天皇が即位後最初に行う一世一度の新嘗祭(にいなめさい)を大嘗祭(だいじょうさい)という。新嘗祭は毎年11月下旬に五穀豊穣や国家安寧などを祈願する収穫祭で、新米を炊いたご飯や、新米で醸造したお酒などを神々に供え、天皇自身もこれを飲食する祭儀です。
大嘗祭では通常の新嘗祭とは異なり、臨時の祭場大甞宮(だいじょうきゅう)を造り、祭儀が終わると、建物は直ちに取り壊されます。
 平城宮で即位した天皇は、元正(711年)、聖武(724年)、孝謙(749年)、淳仁(758年)、称徳(765年)、光仁(771年)、桓武(781年)の7代です。孝謙天皇は平城宮の外で大嘗祭をおこなったとみられます。

平城宮東区朝堂院朝庭部では、発掘調査によって5期分の大嘗宮の悠紀院の遺構が検出されています。現在、平城宮跡東区朝堂院朝庭部には、奈良時代後半の光仁天皇即位にともなう大嘗宮跡の遺構がレンガ敷きなどで復原表示されています。その区画の全体規模は、東西約65m、南北約45mです。

大嘗宮の建物配置
 平安時代の「儀式」に書かれている大甞宮の建物配置図をパンフレットから抜き出して
以下の図に示します。これによると、大嘗宮は東の悠紀院(ゆきいん)と西の主基院(すきいん)を東西対称に配置し、それぞれ南半部には南北棟の正殿と御厠(みかわや)が置かれ、北半部には稲を精白するための臼屋(うすや)と米を炊くための膳屋(かしわや)が置かれます。これらの建物は柴垣によって囲まれます。両院の北側には天皇の控えの御座所および湯屋としてつかわれる廻立殿が設けられる。

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光仁天皇の大嘗宮(イラスト:早川和子 作)
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平城宮第二次大極殿跡から朝堂院方向
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第二次大極殿と朝堂院(12堂)銅板表示
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朝堂院朝庭は草刈り清掃されている(北から南方向)
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光仁天皇期大嘗宮遺構表示(発掘調査は東の悠紀院のみ実施) 北から南方向
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大嘗宮遺構(北から南方向)
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南東から撮影した大嘗宮遺構。後方に第二次大極殿跡が見える
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主基院の建物遺構
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若草方面のススキ
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オギ(平城宮跡で後日、看板を見つけました)
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平城宮阯保存記念碑
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史跡平城宮阯碑
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