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生前から菩薩と呼ばれた僧 忍性 その5

 忍性の足跡をたどって最後に生駒市の竹林寺にやってきました。竹林寺には行基と忍性のお墓があります。行基は40歳ごろから生駒山の東陵に「生駒仙房」または「草野仙房」を築き、生駒谷でも活動しました。 竹林寺は行基が築いた庵を前身とするようです。文殊菩薩の霊場・聖地である中国五台山大聖竹林寺にちなみ、竹林寺の寺号が付けられました。

 現在、竹林寺は唐招提寺を本山とする律宗の寺院ですが、無住で近所の方が管理しているようです。本堂が新しくなり、本尊の文殊菩薩騎獅像が安置されており、今回拝顔させて頂きました。

参道入り口の碑
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竹林寺
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史跡行基墓
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忍性墓
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古墳時代前期の前方後円墳です。生駒谷では最も古い古墳です。
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宝山寺

 生駒市門前町の宝山寺(生駒の聖天さん)に行ってきました。宝山寺は江戸中期の1678(延宝6)年、三重県津市近在一色村に生まれた傑僧湛海律師が50歳のとき入山し、不動明王と歓喜天を祀り、商売人などから広い信仰をあつめお寺が隆盛しました。

元々、この地は役行者が開いた修験道場であり、背後の岩山の般若窟に般若経を納めたと伝えられています。また、弘法大師空海もこの地で修行したと伝えられています。その般若窟に弥勒菩薩像が安置されています。

はじめ宝山寺は都史陀山大聖無動寺と号したが、のちに宝山寺と書かれた弘法大師の真蹟が見い出され寺号を改めました。

1686(貞享3)年、聖天堂に祀った歓喜天は生駒聖天として広く信仰を集めるようになった。 歓喜天は象の顔をした男女が抱き合っている天像で、天は神様なので拝殿への入口に鳥居があります。毎晩深夜に、聖天を油のお風呂に入れる浴油供祈祷が300年間行われています。本堂には湛海作の本尊不動明王(国重要文化財)が祀られています。

1699(元禄12)年、東山天皇の皇子誕生祈願の霊験により勅願寺となり、明治天皇即位まで続いた。また、江戸幕府や地元大和郡山藩の帰依を受け諸堂造営、特に本堂の造営にあたって家老梶金平父子の助成を得て1688(貞享5)年に建立しました。

【文化財】
<仏像>
・弥勒菩薩像(1681(天和2)年、 院達・作)
・制多迦童子像(伝・湛海・作)
・本堂本尊木造不動明王像(1680(延宝8)年、湛海・作、国重要文化財
・厨子入木造五大明王像(1701(元禄14)年、湛海・作、国重要文化財
<建築>
・獅子閣(1884(明治17)年、本格的木造洋風2階建て建築、新潟県大工吉村松太郎・作、国重要文化財
・多宝塔(1957(昭和32)年)
・文殊堂(1978(昭和53)年)
<工芸品他>
・絹本著色愛染明王像(室町時代、国重要文化財
・絹本著色春日曼荼羅図(国重要文化財
・世阿弥筆能本五巻(国重要文化財



<参道の石段>
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<鳥居に歓喜天の額>
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<惣門>
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<般若窟の額>
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<五重宝塔>
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<本堂>
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<歓喜天拝殿は修理中>
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<交叉大根>
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<獅子閣>
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<文殊堂>
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<般若窟 弥勒菩薩坐像>
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<多宝塔>
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<開山堂>
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<大黒堂から矢田丘陵遠景>
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法楽寺

生駒市高山町に東大寺別院法楽寺があります。法楽寺は東大寺中興の祖、公慶上人が幼少時代を過ごし、また大仏と大仏殿再建の願をかけた古刹です。法楽寺への入口の道路沿いに高山茶筅の販売所があります。法楽寺の本堂は最近、旧境内から日当たりの良い場所に引かれ移設されました。

 法楽寺は東大寺大仏殿から見て西北約13キロにあります。聖武天皇は大仏殿造営にあたりこの場所の地勢を固めるため、行基菩薩に命じて七堂伽藍を創建させたと伝えられています。しかし元弘3年2月5日、兵火のため伽藍は焼けました。建武2年に鷹山城主主殿介源頼元が檀主となって再建されました。天正5年松永久秀により高山主殿介広頼が守る高山城は落城し、法楽寺の伽藍も消失しました。その後、高山城主源藤光が檀主となり、再建されます。現在の本堂の棟札には寛文3年の再建と書かれています。

 江戸時代前期に鷹山頼茂の第7子であった東大寺中興の祖、公慶上人は3歳の時、父頼茂と大和に戻り、10歳の時法楽寺に入り、13歳のとき東大寺大喜院で出家して、式部卿公慶となりました。公慶は大仏の無残な姿(身体だけあって頭部がない)を見て心を痛め、大仏の修復と大仏殿の再建の願いを立て、貞享2、3年の2回に渡り法楽寺本尊薬師如来の前で二十一座秘法を行いました。その後、幕府の許可を得て勧進に着手し、元禄5年(1692)3月8日から4月8日にかけて大仏開眼落慶法要を行いました。

 公慶上人はその後、大仏殿再建の事業に着手しましたが、完成を目にすることなく、宝永2年(1705)にこの世を去りました。大仏殿の完成落慶法要は公慶上人没後4年目の宝永6年(1709)3月21日から4月8日にかけて盛大に行われました。今日我々が目にする大仏と大仏殿は公慶上人がこのとき再建したものであります。

【本尊】薬師如来坐像
【寺宝】光龍山法楽寺縁起上下、有形文化財(公慶上人立願状 他6点)
【石造物】十三重石塔(康永4年(1345)銘)
     茶筅創案者 高山宗砌(たかやま そうせつ)碑


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<本堂>本尊薬師如来坐像
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<旧本堂跡地>
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長弓寺と本堂(国宝)

 生駒市上町にある長弓寺を訪ねた。長弓寺は聖武天皇の勅願により行基が開基したと伝えられている。寺号は真弓山長弓寺である。

 寺伝によれば、富雄の名族であった真弓長弓(小野氏)が世嗣の長麻呂を連れ聖武天皇に従い狩猟をしていたところ、誤って長麻呂の矢に当たり亡くなった。寺の近くには長弓の墓と伝えられる真弓塚がある。

 天皇は長弓の悲運な最後を深く憐れみ、行基に命じて寺を建立させた。行基は命を受けて白檀の十一面観音を作り、牛頭天王、八王子の宮を建て、天皇の弓で本尊頂上の仏面を彫刻し、730年(天平2年10月18日)に落慶法要を営んだ。
その後、桓武天皇のとき、藤原良継が伽藍を中興し阿弥陀、釈迦、地蔵、四天王像を安置した。

 その後、鎌倉時代の1279(弘安2)年に現本堂(国宝)が建立され、1363(貞治2)年に修理され、1473(文明5)年に山名宗全の落人のために重宝等が破壊された。その後、1577(天平5)年信長に寺領を没収される。1866(慶応2)年と1936(昭和11年)に本堂の修理を行い、現在に至る。

【本堂】鎌倉時代 国宝
  本堂は鎌倉時代の和様仏堂の代表作であり、国宝に指定されている。本堂の桁行5間、梁間6間、一重入母屋造、向拝一間、檜皮葺の優美な曲線状の屋根をもつ本堂の棟木には1279(弘安2)年の墨書がある。堂内は外陣、内陣、脇陣に区画されている。組み物の簡素さを彫刻入りの蟇股で補っている。内部は虹梁、垂木を露出させている。なお、本堂敷地は斜面となっているが、床の束の長さを調節して、建物を水平に保っている独特な建築方法となっている。

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【仏像】
・黒漆厨子(鎌倉時代、国重要文化財)
 十一面観音が安置されている長方形の厨子の左扉に胎蔵界種子曼荼羅、不動明王、二童子像、右扉に金剛界種子曼荼 羅、降三世明王像の極彩色の絵が描かれている。

・本尊 十一面観音立像(平安時代、国重要文化財)
像高120cm、一木造り。典雅で慈悲深く気品のある像であり、平安時代の作とされているが藤原時代との説もある。

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<長弓寺境内案内図>
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<階段上って正面が本堂>
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<塔頭>
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<本堂への石段>
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<本堂正面>
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<本堂側面>
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<蟇股の彫刻>
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<向拝>
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<階段>
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<敷地の傾斜を床の束で調節>
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<伊弉諾神社(境内にある)>
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竹林寺と行基・忍性墓

 竹林寺(真言律宗)は奈良時代に行基が創建したと伝えられており、現在は唐招提寺の末寺である。1997(平成9)年にお堂が再建整備された。行基(668~749)は奈良時代の高僧で、15歳で出家し道昭・義淵らに法相宗を学んだが、やがて民衆と土木事業を起こし、一時活動を禁止されたが、聖武天皇の大仏建立に力を尽くした功績により、我が国最初の大僧正に任じられ、文殊菩薩の化身と崇められたが、749年(天平21年2月)に菅原寺(現・喜光寺)で亡くなり遺命により、40歳以降母と暮らした生駒山東稜の地にある竹林寺に葬られた。

 1235(文暦2)年、竹林寺の僧によって文殊堂付近にあった行基の墓所が公開発掘され、墓誌銘のある銅製骨壺が発見され、一大行基信仰ブームが巻き起こった。西大寺中興の祖叡尊・その弟子忍性も止宿し、竹林寺は大いに栄えた。特に、忍性(1217~1303)は公開発掘に毎日参加して文殊菩薩と行基信仰に情熱を注ぎ、やがて慈善救済事業に力を尽くした。関東に律宗を広め鎌倉極楽寺で入滅した後、忍性の遺命により、お骨は竹林寺、極楽寺、額安寺(かくあんじ、大和郡山市)に分骨された。

<竹林寺山門>
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<お堂>律宗 本尊 文殊菩薩騎獅像
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<行基顕彰碑>
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<行基墓>国史跡(大正10年3月3日史跡指定)

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<忍性墓> 

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