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藤原京第195次調査

 2018年3月3日に飛鳥藤原京第195次調査現地説明会があり、藤原宮跡へ行って来ました。当日は天候が良く大勢の考古学ファン(645名)が集まり、担当者の現地説明を熱心に聞いていました。 

藤原宮は694年から710年までの16年間、持統、文武、元明とつづく三代の天皇が都を置いた宮殿です。 藤原京は、中国の都城(周礼)を参考にして造った、日本最初の条坊制を敷いた本格的な都城です。

 大極殿院は宮殿の中心に位置し、東西120m、南北170mの回廊で囲まれた空間です。今回は回廊の東北隅部を面的に発掘調査し、東面回廊の礎石据え付け跡を6カ所、見つけました。その結果、東面回廊は複廊であったことを確認しました。 東北隅の東回廊の桁行の柱間寸法は3.8m(北端), 4.1m(その南)で、梁行は2.9mです。 回廊の基壇は版築による造成が行われています。 

 北面回廊は礎石据え付け跡11カ所検出しました。北側の柱筋の遺構の残りが良くなかったですが、根石由来と想定される玉石が散布された後があり、北面廊下も複廊であった可能性が高いそうです。

東北隅のコーナで、L字形の溝跡を検出し、雨水排水の溝であったと想定されます。


現地説明会ボード
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東北隅回廊発掘調査図面
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発掘現場(東より撮影)
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同上
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発掘現場(西より撮影)
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L字型溝
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土器
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軒平瓦
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軒丸瓦
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藤原宮地図
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藤原宮説明板
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藤原京朝堂院朝廷の調査現地説明会

2016年10月2日11:00より、藤原京朝堂院朝廷の調査現地説明会(飛鳥藤原京189次調査現地説明会)がありました。

藤原京における現地説明会への参加は久しぶりです。今回の調査区は大極殿南門の南側で、朝堂院朝廷の北の端に当たる場所です。ここで、今回柱穴A、B、C、Dが見つかり、以前の調査で見つけた柱穴E、F、Gと合わせて合計7基が揃うことになりました。

これらの柱穴は、誰もが知っている「続日本紀」文武天皇条大宝元年(701)年の記事、

 『春正月一日に、文武天皇は大極殿に出御して官人の朝賀を受けられた。その儀式の様子は、大極殿の正門に、鳥形(うけい)の幢(先端に鳥の像の飾りをつけた幢)を立て、左には日像(日の形を象(かた)どる)・青竜(東を守る竜をえがく)・朱雀(南を守る朱雀をえがく)を飾った幡(はた)、右側には月像・玄武(北を守る鬼神の獣頭をえがく)・白虎(西を守る虎をえがく)の幡を立て、蕃夷(ここでは、新羅、南嶋(みなみのしま)など)の国の使者が左右に分れて並んだ。こうして文物の儀礼がここに整備された。』(宇治谷孟 「続日本紀」(上)、講談社学術文庫、p34)

に記述がある、7基の幡の柱穴であるというのが、奈良文化財研究所の見解でした。

この記事で左右は天皇から見たときの左右に当たるので、柱穴との対応は次のようになります。
 A:鳥形幢 B:月像 C:玄武 D:白虎 E:日像 F:青龍 G:朱雀
ただし、Aは中軸線にあり、B,C,DとE,F,Gはそれぞれ三角形に配置されており、一直線上にはありません。

また、柱穴は検出されていますが、旗に関する物的遺物は何も出土していません。何か出土しておれば面白いのですが、証拠はありません。早川和子さんの想像図が展示されていましたが、どのような幡であったのかは実際は何も証拠がありませんので不明です。

草の中を現場へ
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赤柱が大極殿南門跡を示す(7間×2間)
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開始1時間前から行列(パンフは係員が配布)
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現場説明板
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柱穴A、B、C、D、E、F、G
Aは中軸上に配置され、B、C、DとE、F、Gはそれぞれ三角形の頂点に配置されています。

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発掘現場 後は大極院殿跡(旧鴨公小学校跡地) 
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柱穴A
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柱穴B
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柱穴C
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柱穴D
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早川氏想像図
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礫敷広場(藤原宮期)
 朝堂院朝廷は役人が整列する広場で、現場には径3cmから拳大の石と灰色砂が敷き詰められていた跡がありました。以前に飛鳥京跡のエビノコ郭の発掘調査ではもっと大きな石がびっしりと敷き詰められているのを見ましたが、藤原京の礫広場の石は小さく、朝廷にしては貧弱な礫敷き広場であるという印象を持ちました。

説明版より
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礫が散在
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中軸付近 礫がチラホラ
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藤原京現地説明板
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橿原神宮

 近鉄橿原神宮前駅中央口を出ると橿原神宮の表参道が見えてきます。橿原神宮の祭神は日本書紀に登場する初代神武天皇(神倭磐余彦天皇:かむやまと いわれひこの すめらみこと)と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)を祭神としています。畝傍山を背後に控え、49万2000㎡の広大な神域を有する、旧官幣大社です。
 橿原神宮は1890年(明治23年)の創祀で、京都御所の賢所と神嘉殿を移築し、賢所を本殿(重要文化財)としています。その後、1938(昭和15)年の紀元2600年記念事業による外苑の整備拡張により、約15万坪におよぶ神域を有します。

 境内にある文華殿(重要文化財)は旧柳本藩の織田家屋敷を移築したもので、大名屋敷の形式を伝えています。
 2月11日に紀元祭の祭典が行われます。

北鳥居
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畝傍山登山口看板
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北神門
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南神門
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外拝殿と畝傍山
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内拝殿と廻廊
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深田池
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文華殿(重要文化財、旧織田屋敷)
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説明板
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久米寺 その2

 久米寺の多宝塔(重要文化財)は、1659(万治2)年に、京都仁和寺から移築されました。二重の屋根をもち円筒形の身をもち半円形の形をしています。内部にも円筒形の空間が広がっています。
 
多宝塔(江戸時代、重要文化財)
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蛙股
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複雑な組物
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相輪
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七重石塔
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久米寺 その1

 久米寺は県営橿原球場に隣接していますので、夏の大会の高校野球応援団の声が聞こえてきます。 県下ではあじさい寺として知られていますが、もう閉園となってしまいました。 

 山門を入ると、大きな塔の心礎や礎石群(平安時代)が多数のこっています。 また境内から、飛鳥時代から奈良時代にかけての瓦が多数出土しています。 境内奥へすすむと多宝塔や本堂が建ち、本堂脇からあじさい園に入ります。 今の久米寺も広大な寺地ですが、ここから約100m離れた所から複弁六弁蓮華文軒丸瓦と重弧文軒平瓦が出土しました。久米寺は保井芳太郎氏の「大和上代寺院誌」などからかなり広大な寺地を占めていたと考えられます。

 森郁夫先生は、遺稿となった本「一瓦一説」(p138)の中で、久米寺について触れられ、「塔跡のある地域は本来の久米寺の東院にあたるとされており、塔跡の西方200メートルの位置に礎石が残っていたこと、瓦の出土地点が広い範囲にわたることなどから、寺域はかなり広大だったと考えられる」。

山門
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大塔礎石 
 平安時代の大塔の心礎と礎石群が残っています。これだけの礎石がよく残ったと思います。

看板
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心礎と礎石群
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本堂
 本堂は江戸時代の1663(寛文3)年に建立された建物で、室町時代の古材が使用されています。間口と奥行がともに5間の大きな建物で、正面に向拝がついています。本尊は丈六の薬師如来坐像で、脇侍に日光・月光菩薩像が控えます。また、十二神将像、久米仙人像などが安置されています。 建物正面の欄間などには猿などの彫刻が施され、立派な装飾が施されています。

本堂正面
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本堂斜正面
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久米寺縁起
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本堂向拝
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西国薬師第七番霊場久米寺
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木鼻
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金堂礎石
 現在地より200m離れた金堂跡?の礎石とみなされる石がこの地に移されたようですが確かなことはわかりません。
 久米寺は謎の多い寺で、謎解きの好きな古代史ファンの意欲をそそります。

移された礎石 
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移された礎石
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久米仙人は吉野龍門寺で飛行術を身に付けて、吉野川上空を飛んでいましたが、川で洗濯している女性のふくらはぎにみとれ  て空から墜落して神通力を失ってしまいました。その後、高市郡に都を造営する際に、神通力を回復し材木を運んで、その功績で朝廷より免田を賜り、久米寺を創建したという伝説もあります。

久米仙人像
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多宝塔については次回で報告します。









 

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