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第25回全国金魚すくい選手権大会県予選

  2019年7月14日、大和郡山市主催の第25回全国金魚すくい選手権大会奈良県予選が、三の丸体育館で行なわれました。
県内各地から824人が参加し、紙製のすくい網(ポイ)で、3分間に何匹金魚をすくったかを競います。個人一般の部の優勝者は30匹、小・中学生の部の優勝者は28匹すくいました。団体戦ではチームなかよしが83匹すくい優勝しました。
 県予選個人140人と、団体40チームが予選を通過し、8月18日に開催される全国大会に出場します。 今年から外国人も参加できるようになりました。

大和郡山は織田信長の一国一城令により、筒井順慶が初めて郡山城に城を築きました。その後、豊臣秀長が紀伊、和泉、大和100万石の領主として郡山に入城し、城下町が発展しました。その後、増田長益が外堀を築き城下を整備しました。 

 徳川時代には水野、松平、本多など譜代の大名が入城しましたが、1724年に柳沢吉里が甲府から郡山に入城して以来、明治維新まで柳沢家が領主を務めました。吉里が郡山に国替えになったとき、当時は貴重な金魚を甲府から郡山に持ち込みました。版籍奉還で藩士が失業したとき、藩主の柳沢保申は元藩士や農民の副業として、金魚の養殖技術を発展させ、今日では年間6000万匹を養殖するまでになりました。

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会場(世話をする高校生ボランティアなど)
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司会者
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金魚すくい1
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金魚すくい2
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金魚すくい3
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表彰式 団体の部優勝
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自動改札機金魚水槽(?)
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ポスター
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矢田寺の紫陽花(2019)

 2019年6月26日(水)、西日本で過去最も遅い梅雨入りが宣言されました。 奈良盆地の西に高さ約300メートル余で、霊山寺から法隆寺まで、約10キロ程度の尾根が連なる矢田丘陵は、奈良県立自然公園「遊びの森」として保護され、自然が多く残され、春秋には整備された尾根筋の道を歩く、ハイカーで賑います。

 矢田丘陵の中間あたりに、関西屈指の紫陽花の名所としてよく知られている、天武天皇勅願の古刹矢田寺(高野山真言宗別格本山金剛山寺(こんごうせんじ))は壬申の乱に勝利した天武天皇が天武8年(679年)に智通僧正に命じて開基しました。盛時には7堂伽藍48坊を造営しました。 当初は十一面観世音菩薩と吉祥天女を本尊としていましたが、 弘仁年間に、満米上人により地蔵菩薩が安置されて以来、地蔵信仰の中心地として栄えてきました。

矢田寺のあじさいは、本尊の地蔵菩薩像にちなんで、昭和40年頃から植えられ、今日では約60種類1万株のあじさいが境内全域に植えられています。あじさいの花びらのひとつひとつが6月の雨に打たれ、さまざまに色が移ろいながら、「諸行無常の」 私たちを慰めてくれます。

 先日、映像作家の保山耕一氏(大和郡山市第7回水木十五堂賞受賞者)の「奈良には365の季節がある」と題する美しい奈良の映像を見せていただき感激しました。 命を刻んで撮影した若草山・御蓋山の壮大な雲海の映像や鹿の姿、吉野山の美しい桜吹雪の映像を見せて頂きました。 

 矢田寺と紫陽花の映像もきっと素晴らしいものとなるでしょう。矢田山から奈良盆地を眺望した知人の青一色で描いた油絵も大変素晴らしかったです。

なお、矢田寺のあじさいが咲く頃、シャンソン歌手別府葉子さんの「6月の雨」を聞いて、親しい人を亡くした心の悲しみを癒しています。 「6月の雨」の歌詞を別府葉子さんのブログから引用させて頂きます。透き通る歌声は絶品です。

 「6月の雨」

                    作詞・作曲/別府葉子

  6月の雨に濡れ 紫陽花が泣いてる
  青い花びらに露を受けとめて
  思い起こせば夏の思い出はいつもあなた
  赤い鬼灯(ほおずき)を鳴らして歩いてた
  空に天の川 笹船流した
  手をつないで見た金色の花火
  Ding Ding Dong
  Ding Ding Dong
  風は運ぶ
  Ding Ding Dong
  Ding Ding Dong
  雨の匂い

  朝顔のつるを指に巻きつけのぞきこむ
  小さなてんとう虫が羽広げた
  麦わら帽子を太陽が照らす
  今日もまた暑い一日になるかな
  Ding Ding Dong
  Ding Ding Dong
  雲の晴れ間
  Ding Ding Dong
  Ding Ding Dong
  目を細める
  Ding Ding Dong
  Ding Ding Dong
  花影にあなたの笑顔

  桜の花を揺らす風が
  いつか向日葵を吹き抜けて
  色づくもみじ流れる川が雪に凍りつくころも
  いつもあなたを いつも想ってる

  6月の雨あがり 紫陽花が輝く
  虹色の花がきらめいて揺れる


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境内入口
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奥に本堂、背後の山は矢田山
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東明寺方面からきてここで合流
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石垣から本堂方面を望む
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参道灯籠
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矢田寺は地蔵信仰のお寺
味噌なめ地蔵
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地藏
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本堂前参道の紫陽花
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修理終わった鐘楼
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鐘楼
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本堂
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浄土式庭園
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あじさい園
山あいの谷と斜面を利用し、立体的なあじさい園を作っています。

花のテラス:谷を一望できます。
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重要文化財 春日神社
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大門坊 沙羅双樹
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奈良盆地を囲む東青垣連峰
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お見送り地蔵
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郡山城の桜2

 2019年の郡山城の桜の満開日は4月6日〜7日となりました。今年は寒暖が繰り返され桜の咲くのが遅れましたが、郡山城の桜は今が盛りです。現在日本では、天平時代には珍しかった外来種の梅の宴より、日本古来の伝統を持つ桜の宴が盛んです。

アメリカの首都ワシントンD.C.においても、明治時代に東京都から贈られたポトマック川沿いの桜が満開で、はるか太平洋を越えたアメリカにおいても、日本文化の紹介を兼ねた桜祭が盛んです。

郡山城は平城で、近鉄郡山駅から徒歩圏内の交通至便な所にあります。日本の桜100選に選ばれた名所です。 最近天守台が整備され、続日本100名城に選ばれました。天守台からの眺望が良く、TVで盛んに報道されているため、観光客が急速に増えています。
 
400年前に築かれた豊臣の石垣が、多くの観光客の重さに耐えられるか、少々心配です。

今日は天守台を囲む内掘の外周にそって歩いてきました。 郡山城の豊臣期の石垣の素朴な積み方を体感することができます。
自然の石を加工しないで使う石垣の積み方は、滋賀県穴太衆の積み方で、「野面積(のづらつみ)」と言うのだそうです。

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西御門付近より鰻掘池
石段を降りると掘の中
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竹林橋跡より内掘東方向
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柳沢文庫へ
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常盤郭、城跡会館(旧奈良県立図書館をここへ移築)、羅城門跡方向
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イオン・ショッピングセンター、手前が佐保川
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常盤郭の桜と池
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礎石
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金魚
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郡山城の桜

 現在、郡山城(正式名称は、「大和郡山城」ではなく「郡山城」)のお城まつりの開催期間中(2019年3月24日〜4月7日)で、連日様々なイベントが行なわれ、お城周辺は、桜見物の観光客で大変賑っています。 31日午後には白狐のお渡り行列が盛大に行なわれました。

 郡山城は、松永久秀を破って、大和を統一した筒井順慶が、織田信長の一国一城の命によって、最初は明智光秀の差配の下で構築したお城ですが、その後、豊臣秀吉の弟の大納言・豊臣秀長が秀吉らとともに、5千の兵を率いて郡山城に入城し、大和・和泉・紀伊を治める100万石の領主として、お城を整備拡張し、城下町が整えられました。 

 豊臣以来の古いお城の石垣や城下町が現在も残っており、大和郡山は玄人好みのする城下町として大変有名です。東京大学稲垣研究室によって調べられた城下町の調査報告書が大和郡山市立図書館(城ホール内)で閲覧できます。

郡山城は全国桜100選に選ばれた名所として知られています。 郡山城は天守台だけでなく天守台を囲む掘の外側に周遊できる通路があり、そこから見る天守台の眺めも素晴らしいので、是非ご覧ください。

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郡山城石垣の枝垂れ桜
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掘のそばを走る近鉄電車
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枝垂れ桜が一番早く開花します
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踏切を渡ってお城へ
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ソメイヨシノの満開は今週末?
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天守台と本丸東面石垣の大きい孕み
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大和青垣、若草山まで一望
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お城祭イベント、太鼓演奏
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内掘のソメイヨシノ
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平城京「十条」条間北小路発掘調査現地説明会

 2019年3月16日に、大和郡山市教育委員会による「平城京南方遺跡範囲確認調査(第5次)現地説明会」が開催されました。この日は朝から激しい雨でしたが、10時には雨が上がり、説明会が予定通り実施されました。

調査区は平城京羅城門跡(羅城門橋下の佐保川の川底)近くで、佐保川の堤防に近く、田畑となっている低地で、1m掘れば奈良時代の遺構が出てくる場所です。羅城門橋を渡ると奈良県下最大のショッピングセンターのイオンモールがあります。

今回の調査区は平城京右京域の「十条」条間北小路推定地であり、想定通りの場所から、溝1(幅2.6m, 深さ45cm)、溝2(幅1.8m,最深36cm)、「十条」条間北小路(幅7.6m)、溝3(幅3.6m、深さ75cm) が検出されました。溝2は奈良時代の中頃に埋められ道路幅が拡張されました。溝1からは奈良時代後半の土器や、土馬、棒や板状の加工木が出土しました。

今回の調査によって九条大路以南の十条及び十条条間においても平城京の道路規格に準拠した道路が存在したことが確定しました。

平城京は最初は藤原京と同様に十条であったが、その後、聖武天皇の時代に都が恭仁京に遷都され、平城京は廃絶されましたが、聖武天皇が彷徨の旅を終え平城京に戻った頃に、羅城門や羅城(平城京を囲む築地塀のこと)が整備されたと考える説が成り立つかも知れません。

平城京は最初から長安の都を手本として作られ、九条であり、羅城門も当初からあったと考えられる説が有力ですが、十条道路が存在したのは、何故でしょうか?

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文献の記事
続日本紀 (宇治谷訳)
・ 714年(和銅7年)12月26日
 新羅の使者が入京した。従六位下の布施朝臣人・正七位上の大野朝臣東人を遣わして、騎兵百七十騎率い、三橋に迎えさせた。

・ 747年(天平19年)6月15日
 羅城門(平城京の正門)において雨乞いを行った。

「東大寺要録」所引 「大和尚伝」
・ 754年(天平勝宝6年)2月4日
 羅城門の外にて、勅使正四位下、安宿王(あすかおう)が京域の官僚・僧徒・文人たちを率いて、鑑真和上一行を出迎え、東大寺へと案内した。(安藤更生、「鑑真」、 吉川弘文館)

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下の写真手前の道路遺構が調査区。
左の高架橋は九条大路、奥の堤防は佐保川
佐保川に架かる高架橋は羅城門橋(橋下川底が羅城門跡)
その手前の入口に鳥居がある墓地は、来生墓(らいせいはか)という。

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平城京羅城門と調査区の場所(平城京「十条」、羅城門の左(右京)
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調査区(赤丸)
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テントが調査区、 電車はJR郡山方面へ
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溝1,溝2、道路遺構(北→南)
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十条条間北小路の道路幅
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溝3(南側)
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手前が北→奥が南(遺構全体)
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調査員の説明
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出土遺物(溝1)
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出土遺物(溝3)
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大和郡山市羅城門説明板(高架橋下)

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