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箸墓古墳

 2019年3月3日に桜井市箸中区主催の「箸中・歴史教室〜箸中ロマン古墳ウォーク!」が予定されており、それに先立って、先日箸墓古墳に行って来ました。 ”史上初!箸墓古墳池側の周濠を歩く!”という見出しがパンフレットに掲載されており、箸墓古墳に興味を持つ考古学ファンは全国にいますので、先着100名参加は、申込日の翌日には即座に満員になったようです。

 地元が箸墓古墳の池の水を管理しており、冬場に池の水を抜き、池側の周濠が歩けるようになるようです。 箸墓古墳墳丘は宮内庁管轄で、普段は一般人は立ち入り禁止です。 墳丘の貼石や埴輪のかけらが池に落ちているかもしれませんし、箸墓古墳の秘密を探る材料が見つかるかも知れません。

池の水が抜かれた箸墓古墳の様子を紹介します。

箸墓古墳前方部表示板
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前方部墳丘裾
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立入禁止(水はなく、墳丘裾は歩ける状態)
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前方部から括れぶ経由して後円部まで歩ける状態
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墳丘の石が多数ころがっている
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石ころ
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干上がった周濠
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水がないので向こう側まで歩けます
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干上がった周濠と箸墓古墳(左が後円部、右が前方部)
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周濠の水が干上がったときの箸墓古墳全体
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穴師山・巻向山(弓月岳)・三輪山
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箸墓後円部は穴師山を向く
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日本最古の大型前方後円墳 箸墓古墳
古代(3世紀)の日本人は古墳造りという大土木工事を行った!!
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シンポジウム「箸墓再考」

 2014年3月16日桜井市民会館でシンポジウム「箸墓再考」が開催されました。この日は天気も良く会館には開会の一時間以上前から人々が集まりだし1200名の参加者の下、熱い議論が行われ、会場は熱気に包まれました。プログラムは以下の通りです(敬称略)。

1.記念講演「卑弥呼の冢墓と箸墓古墳」大阪府立近つ飛鳥博物館館長 白石太一郎 

 講演はレジメに沿って1.笠井説のあらましと問題点 2.箸墓古墳の被葬者 3.崇神紀にみられる箸墓古墳の被葬者伝承 4.箸墓古墳出現の歴史的意義についてお話があった。箸墓古墳の出現を以って古墳の出現、即ち古墳時代の始まりとする考えを述べられた。箸墓古墳年代は出土している特殊壺形・器台形埴輪、墳丘形態、周濠部出土土器から3世紀中葉ないし中葉すぎと想定できる。これより被葬者は卑弥呼である蓋然性が大きいとした。

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2.基調講演1「箸墓古墳周辺のこれまでの調査」桜井市教育委員会文化財係主任 福辻淳

1.周辺調査の概要2.確認された遺構3.墳丘周辺の遺構の評価 について「徹底検証箸墓」と同様の話があった。

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3.基調講演2「箸墓古墳の出土品とその評価」宮内庁書陵部陵墓調査室 加藤一郎

 1.箸墓古墳出土品の概要 2.再検討した出土品 3.箸墓古墳出土品の評価、について述べられた。
 宮内庁書陵部所蔵の明治9年の箸墓古墳の写真がスライドで紹介された。参加者は初めて見る写真で墳丘に大きな樹木 はなく、後円部の墳丘上へ登る道が写っていた。

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4.基調講演3「炭素14年代法は何を明らかにしたのか?」国立歴史民俗博物館教授 坂本 稔

 1.炭素14年代と較正年代 2.日本産樹木の炭素14年代 3.箸墓古墳の築造年代、について講演があった。桜井市出土資料の土器型式と較正曲線との比較について報告が行われ、箸墓古墳の周濠ができた年代を240~260年と推定できるとした。

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5.基調講演4「古墳時代の成立と箸墓古墳」大阪大学大学院教授 福永伸哉 

 箸墓古墳と同じ都月型特殊器台形埴輪を出土する兵庫県権現山51号墳から出土した三角縁神獣鏡の年代から、箸墓古墳の築造年代を250年代と考えるのが妥当であろう。被葬者は正始年間(240~249)に没したであろう女王卑弥呼を想定できる。箸墓古墳築造をもって前方後円墳の成立を画し、その後350年間にわたって覇権を維持し続けるヤマト政権の成立と理解する

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6.基調講演5「定形型か纒向型か」桜井市纒向学研究センター所長 寺澤 薫

 1.前方後円墳とはなにか 2.纒向型前方後円墳から定形型前方後円墳へ3.纒向型前方後円墳論に対する批判 4.批判に対する反駁 5.纒向型前方後円墳出現の歴史的系譜とその本質 6.古墳出現論と時代区分論としての「古墳時代」の順で講演された。「定形型」前方後円墳(箸墓古墳)に先駆けて、纒向遺跡を震源として纒向型前方後円墳が3世紀中葉段階ですでに北部九州から南関東にまで波及しており、「ヤマト王権を盟主とする政治的秩序の象徴」、「身分的秩序」はすでに創成され達成されていると考えるべきである。

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7.シンポジウム「箸墓再考」 司会 橋本輝彦 桜井市教育委員会係長
パネラー:白石太一郎、福永伸哉、坂本 稔、加藤一郎、寺澤 薫、福辻淳

 古墳時代の始まりの時期を箸墓古墳築造をもって始まりとすべきか、纒向遺跡の出現ならびに纒向型前方後円墳の出現と全国への広がりをもって始まりとすべきかで、パネラーで白熱した討論があった。箸墓古墳築造をもって始まりとすべきとするパネラーが大半を占めたていたため、纒向派の寺澤薫氏は孤軍奮闘であったが、その見解に対して場内から箸墓派同様に多くの拍手があった。なお、この討論に邪馬台国九州説の人が参加されておれば議論はさらに白熱化したものと思われます。

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纒向遺跡および箸墓古墳の地元でこのようなシンポジウムが開催されたことは大変画期的なことであり関係者のご尽力に敬意を表したい。楽しく充実した一日でした。この日は特別に夜8:00まで桜井市埋蔵文化財センターが開館され多くの参加者が訪れていました。特に宮内庁書陵部収蔵の出土品の展示は注目を集めていました。

参考資料:桜井市立埋蔵文化財センター開館25周年記念”箸墓再考”プロジェクト
     シンポジウム「箸墓再考」発表要旨集(2014.3.16)桜井市文化遺産活用実行委員会


徹底検証箸墓古墳

  2014年3月8日(土)桜井市埋蔵文化財センター主催のウォーキングイベント『徹底検証箸墓古墳』が行われ、定員30名の参加者が桜井市教育委員会文化財課主任の福辻淳氏と他2名の案内の下、箸墓古墳周辺を巡りました。3月16日に桜井市民会館でシンポジウム「箸墓再考」が予定されていますが、宮内庁書陵部の研究者の参加も予定され、すでに申込は1200名の定員に達しているそうで、箸墓古墳に対する関心の高さが伺えます。

1.箸墓古墳周辺の調査位置 

 箸墓古墳は宮内庁によって第7代孝霊天皇皇女「倭迹迹日百襲媛命(ヤマトトトヒモモソヒメ)」の大市墓に治定されており立入が禁止されていますが、宮内庁書陵部によるこれまでの調査で埴輪や土器が出土し、墳丘形状について一部資料が得られています。宮内庁管理外の箸墓古墳周辺における現在までの調査時点と遺構を桜井市埋蔵文化財センターの展示図より以下に示します。

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2.後円部南東側渡土堤

 箸墓古墳の後円部南東側における民家新築に伴う発掘調査(第11次調査)で、後円部と外堤をつなぐ渡土堤が出土した。渡土堤は基底部で幅4.8m残存高さ1.3m長さ8.5mの部分が検出された。ただし墳丘部との接続部分は検出されなかった。この土堤は周濠掘削時に地山を堀り残して土を積み上げて構築されている。堤の両側面に葺石をほどこして、基底石に30~50cmの大型の石を使用し、裏込めに小さい石を使用している。このような方法は北側の葺石にも見られる。渡土堤は通路としての役割の他に景行天皇陵のように幾つもの渡土堤で水位を調整する機能も持つと考えられる。箸墓古墳の東西の高低差は約6mあるので周濠に水を貯める場合、渡土堤がないと、水が下方へ流出するおそれがある。なお、渡土堤の直ぐそばの土層から木製輪鐙が出土している。

 渡土堤のあった場所は現在埋め戻され、立派な民家が建っているため、もはや見学することはできません。しかし、この渡土堤の発見によって、箸墓古墳は古墳全体を周回する幅10m程度の周濠に囲まれていたこと、その外側に幅20m以下の外堤が存在したことが推定される

<写真 後円部南東側発掘現場方向を見る>

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<図録より渡土堤発掘写真>

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<葺石の様子>

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3.箸墓古墳の段築の観察
 
 箸墓古墳は何段築成か学者によっても見解が分かれていましたが、最近の橿原考古学研究所による航空機によるレーザ計測や考古学関係16学協会代表者による立入り調査などから、段築の構造が明らかになって来ている。参加者は箸墓古墳の周りから、見える範囲で古墳を観察して段築構成を観察した。現在の所、墳丘の前方部は4段築成、後円部は4段築成の上に円い石積みの丘が存在することが推定されている

<レーザ計測と墳丘復元案:埋蔵文化財センター図録より>

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箸墓古墳復元案を参考に古墳を観察すると面白かった。前方部の先が一番高く次第に高さが低下し、その後平坦になりまた、後円部に向かってせり上がっていく様子が分る。良く観察すると後円部の段築構成の様子も見えてくる。しかし、自分が撮った写真は立体的な段築構造が平面的に写るため良く分らなくなっている。

<くびれ部近くの道路から>

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<後円部段築の観察>
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<くびれ部:切り通し道>

 前方部と後円部のくびれ部です。ここから北側へ斜めの切り通し道があり、昔は里人が利用していました。赤色レーザ画像にこの斜道がはっきりと写っています。

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<前方部段築観察>
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<前方部正面>
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4.箸墓古墳北側から観察
 当日は古墳北側の池の水がなく墳丘の裾部の状況が良く見えた。前方部の裾には葺石と推察される地元の川で収集できる黒っぽい石が多数散らばっていた。箸墓古墳の墳丘には葺石があったと考えられる。

<墳丘裾部>
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<発掘調査による葺石の検出:橿原考古学研究所第7次調査>
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<水に映える箸墓古墳:2011年撮影>
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<壬申の乱箸墓決戦現場:上ツ道>
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<馬が泥田にはまった付近>
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<後円部北側の観察>
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<段築の観察>
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5.墳丘周辺の落ち込み

 福辻氏によると箸墓古墳外周周辺の落ち込みを、従来2重周濠跡であると考える研究者もいたが、盾形の二重周濠が現れるのは、ずっと後の時代であり、箸墓古墳が二重周濠であったとする証拠は見つかっていない。円弧上に1m以上の段差がある場所があるが、それは箸墓古墳構築のとき、地山を削って土をとった後ではないかと考えているとのことでした。今後の発掘調査によりどのような形状であったかの解明を期待したい。
見学では段差のある現場と、円弧上の段差がある現場へ連れて行ってもらったので写真を示す。

<1m以上の段差がある現場:土取り跡?>

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<JR桜井線(万葉まほろば線)>

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<円弧状の現場:桜井線を東側へ越えた所>

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<この木何の木:大きくならない木>
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6.桜井市史跡おまけ

<埋蔵文化財センター>
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<織田小学校校門は陣屋風>
 
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<塀の屋根瓦は織田家五瓜桔梗紋>
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<織田村道路元標を見る参加者>
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<織田村道路元標(桜井市は全部で8個あり)>
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特別展「HASHIHAKAー始まりの前方後円墳ー」

 箸墓古墳は、日本列島における古代国家形成過程で大きな役割を果たしてきた纒向遺跡に近接して存在する日本で最初の大型(全長280m)の前方後円墳である。最近、宮内庁の許可を得て考古学者が初めて立入調査した際には、新聞やTVで大きく報道されるなど、社会から大きな注目を集めている古墳です。

現在、桜井市埋蔵文化財センターでは開館25周年を記念して「箸墓再考」プロジェクトが進行中で、3月16日には1200人規模の講演とシンポジュウムを予定するなどいくつかのイベントが進行中です。

その一環として、2014年1月16日~3月23日の期間中、桜井市埋蔵文化財センターでは特別展「HASHIHAKA―始まりの前方後円墳―」が開催されています。

特別展は箸墓古墳に関する現時点での総集編とも言うべき展示で、古代史ファンにとっては必見の展示です。特に今回は箸墓古墳の模型が展示されたり、渡り堤の壁のはぎ取りの展示があったり、宮内庁が収蔵する埴輪が展示されるなど、箸墓古墳の地元の発掘担当者が関わった注目すべき展示となっています。

また、展示解説の図録が充実しており箸墓古墳に関する現時点でのすべての知識を網羅していますので、資料として1冊(800円)持っておくと役に立ちます。

<写真 箸墓古墳全景>

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<写真 箸墓古墳模型>

担当者によれば、模型作成に当たって後円部と前方部の接続がなかなかスムーズにいかなかったそうです。最初に後円部のみ造って、後になって前方部を造ったということが成り立つとすれば、魏志倭人伝の”径百余歩”(約144m)という記事は、箸墓の後円部のことを記事に書いたとしても、矛盾しなくなります。

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<写真 古文書の図>

 明治12年~13年調査に基づく御陵図の平面図と鳥瞰図。現在のように大木はなく雑木が生えている。

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<写真 渡り堤はぎ取り壁>

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<写真 古墳の外周地形の落ち込み 土取り跡?>



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<写真 二重口縁壺埴輪>

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<柏原市 芝山産石材>

 箸墓古墳周囲から大阪府柏原市芝山産石材(三輪産と比べて白っぽい石)の石が収集されている。

日本書紀崇神10年9月条に以下の記述がある。

「この墓は、日(ヒル)は人造り、夜は神造る。故、大坂山の石を運びて造る。即ち山より墓に至るまでに、
人民相継ぎて、手逓伝(たごし)にして運ぶ」


古墳周囲から、確かに大坂の石が検出されているのである。驚くべきことである。

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<写真 C14年代測定に使用したグラフ>

C14年代測定法によれば、箸墓古墳築造直後の年代は240年~260年という結果が得られている。

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