あなたに魅せたい秋の三塔巡り
2018年10月28日(日)、9:00~12:00まで「斑鳩の里観光ボランティアの会」の秋のウォーキングイベント、『あなたに魅せたい秋の三塔めぐり』が行われ、秋晴れの下、170名余が参加し、コスモス咲き乱れる、秋の斑鳩の里を約7キロメートル歩きました。行程は次の通りです。
JR法隆寺駅→天理軽便鉄道跡→阿波神社→成福寺跡(伝飽波葦垣宮跡)→上宮遺跡公園→史跡中宮寺跡→法起寺→ 岡ノ宮→法輪寺→三井赤染井戸→中宮寺墓→極楽寺総墓→天満池→斑鳩神社→法隆寺境内→法隆寺iセンター
JR法隆寺駅
9:00前には赤いジャンパーを着たスタッフの方が大勢来られ受付をしていました。JR法隆寺北口へ集合です。
先着順に班分けがされ、次々と出発して行きました。

天理軽便鉄道跡
JR法隆寺駅を出てまもなく、レンガ積みの鉄橋跡や、堤となった真っ直ぐな線路床跡を歩き、現在の線路をくぐりました。大正4年(1915)に開通した天理軽便鉄道は、新法隆寺から天理まで9.2キロの区間を一日13往復の便があり、団参者を運んでいたそうです。1945年に廃線とされました。
線路跡を歩く

レンガ積の陸橋が残る。上はJR大和路線が走る。

阿波神社
主祭神は素盞鳴命。春日造一間社檜皮葺。 阿波という地名は、飽波から転じたという説、阿波国からの住民の移住説がある。
石工丹波佐吉作の狛犬と獅子がある神社として有名。丹波佐吉が刻んだ証拠に、台座に作師照信及び花押が刻まれている。

秋祭りの提灯

普段の日の狛犬



ここの狛犬は小型で高さ80cm位。頭部は扁平で彫が深く、パンチパーマのような髪の毛、眼に特徴がありウルウルしていて可愛らしく、親しみが持てる。
作師 照信 花押

成福寺(じょうふくじ)跡
「大安寺伽藍縁起幷流記資財帳」(747年)に、推古天皇が田村皇子(後の舒明天皇)を「飽波葦垣宮」に遣し、「厩戸皇子の病状を問わ令める」という記事があります。聖徳太子は飽波葦垣の宮で薨去したという説があり、その跡に、1107年に法隆寺の寺僧實乗が、成福寺を造営したと伝えられています。現在、成福寺は廃寺となり、「不許酒肉五辛入門内」と刻まれた石標が建っています。また、境内に「太子道(高田良信書)」と刻まれた石碑が建っています。
不許酒肉五辛入門内

太子道

上宮(かみや)遺跡公園
故郷創生1億円基金で造られた上宮遺跡公園です。
平成3年から行われた斑鳩町教育委員会の発掘調査で、奈良時代に称徳天皇が利用した「飽波宮」と推定される、掘立柱建築7棟分、井戸2基、溝一条が検出されました。建物一は、東西7間(21m)×南北2間(6m)、北と南に2面庇を持つ「正殿」と見なされます。また、建物2は5間×2間の東西棟の建物で、後殿とみなされます。建物5は東西2間、南北7間の南北棟の建物です。建物4は東西3間×南北3間の総柱の建物です。 建物群はコの字形に配置され、行宮または離宮と見なされます。
溝一からは平城京と同范の軒丸、軒平瓦が出土し、称徳天皇の離宮説を裏付けるものです。
上宮遺跡公園説明板

掘立柱建物群

現地建物跡

国史跡中宮寺跡
イベントに備えて中宮寺跡史跡公園は草が刈られ、コスモスが一面に咲き乱れ、斑鳩の里を花で飾っていました。一見の価値ありでした。
石標 史跡中宮寺跡

中宮寺の塔と金堂跡とコスモス畑



三塔の見える東屋からズームで三塔を撮影

法隆寺五重塔

法輪寺三重塔

法起寺三重塔

--
秋葉神社から法起寺へ

法起寺三重塔







--
法輪寺三重塔
法輪寺西門(上土門)

法輪寺は三井寺とも呼ばれた

西門から三重塔

赤染井戸(山背大兄の産湯に用いた伝説の井戸が残る)

柿畑と法輪寺三重塔



法隆寺五重塔

暮れなずむ法起寺三重塔


JR法隆寺駅→天理軽便鉄道跡→阿波神社→成福寺跡(伝飽波葦垣宮跡)→上宮遺跡公園→史跡中宮寺跡→法起寺→ 岡ノ宮→法輪寺→三井赤染井戸→中宮寺墓→極楽寺総墓→天満池→斑鳩神社→法隆寺境内→法隆寺iセンター
JR法隆寺駅
9:00前には赤いジャンパーを着たスタッフの方が大勢来られ受付をしていました。JR法隆寺北口へ集合です。
先着順に班分けがされ、次々と出発して行きました。

天理軽便鉄道跡
JR法隆寺駅を出てまもなく、レンガ積みの鉄橋跡や、堤となった真っ直ぐな線路床跡を歩き、現在の線路をくぐりました。大正4年(1915)に開通した天理軽便鉄道は、新法隆寺から天理まで9.2キロの区間を一日13往復の便があり、団参者を運んでいたそうです。1945年に廃線とされました。
線路跡を歩く

レンガ積の陸橋が残る。上はJR大和路線が走る。

阿波神社
主祭神は素盞鳴命。春日造一間社檜皮葺。 阿波という地名は、飽波から転じたという説、阿波国からの住民の移住説がある。
石工丹波佐吉作の狛犬と獅子がある神社として有名。丹波佐吉が刻んだ証拠に、台座に作師照信及び花押が刻まれている。

秋祭りの提灯

普段の日の狛犬



ここの狛犬は小型で高さ80cm位。頭部は扁平で彫が深く、パンチパーマのような髪の毛、眼に特徴がありウルウルしていて可愛らしく、親しみが持てる。
作師 照信 花押

成福寺(じょうふくじ)跡
「大安寺伽藍縁起幷流記資財帳」(747年)に、推古天皇が田村皇子(後の舒明天皇)を「飽波葦垣宮」に遣し、「厩戸皇子の病状を問わ令める」という記事があります。聖徳太子は飽波葦垣の宮で薨去したという説があり、その跡に、1107年に法隆寺の寺僧實乗が、成福寺を造営したと伝えられています。現在、成福寺は廃寺となり、「不許酒肉五辛入門内」と刻まれた石標が建っています。また、境内に「太子道(高田良信書)」と刻まれた石碑が建っています。
不許酒肉五辛入門内

太子道

上宮(かみや)遺跡公園
故郷創生1億円基金で造られた上宮遺跡公園です。
平成3年から行われた斑鳩町教育委員会の発掘調査で、奈良時代に称徳天皇が利用した「飽波宮」と推定される、掘立柱建築7棟分、井戸2基、溝一条が検出されました。建物一は、東西7間(21m)×南北2間(6m)、北と南に2面庇を持つ「正殿」と見なされます。また、建物2は5間×2間の東西棟の建物で、後殿とみなされます。建物5は東西2間、南北7間の南北棟の建物です。建物4は東西3間×南北3間の総柱の建物です。 建物群はコの字形に配置され、行宮または離宮と見なされます。
溝一からは平城京と同范の軒丸、軒平瓦が出土し、称徳天皇の離宮説を裏付けるものです。
上宮遺跡公園説明板

掘立柱建物群

現地建物跡

国史跡中宮寺跡
イベントに備えて中宮寺跡史跡公園は草が刈られ、コスモスが一面に咲き乱れ、斑鳩の里を花で飾っていました。一見の価値ありでした。
石標 史跡中宮寺跡

中宮寺の塔と金堂跡とコスモス畑



三塔の見える東屋からズームで三塔を撮影

法隆寺五重塔

法輪寺三重塔

法起寺三重塔

--
秋葉神社から法起寺へ

法起寺三重塔







--
法輪寺三重塔
法輪寺西門(上土門)

法輪寺は三井寺とも呼ばれた

西門から三重塔

赤染井戸(山背大兄の産湯に用いた伝説の井戸が残る)

柿畑と法輪寺三重塔



法隆寺五重塔

暮れなずむ法起寺三重塔

