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国栖奏(2019.2.18)

国栖奏(2019.2.18、旧暦正月14日)
浄見原神社  奈良県吉野郡吉野町南国栖1

浄見原神社付近地図
 大和上市から、天武天皇他歴代の天皇の離宮が置かれた宮滝に入り、さらに吉野川沿いの道を上流に向かうと、吉野川が大きく右に蛇行し菜摘、窪垣内、紙漉きで有名な国栖(くず)という地域に入ります。ここから国道169号線で大台ケ原付近を通過して熊野へ抜けて行けますし、国道166号線で高見トンネルを越え、櫛田川沿いに松阪・伊勢へ抜けてゆく交通の要衝です。江戸時代には伊勢の紀伊長島から桜井市へ鯖を運び、桜井の魚屋が東京築地の魚河岸に店を開いたそうです。

新子から南国栖へ隧道を抜けた所に浄見原神社があります。初めて行った人は余りにも辺境の地なので驚くようですが、田舎育ちの私は故郷へ帰ったように思えて、とても親近感を覚えます。

旧国栖村古跡略図(文献1)
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国栖奏
 今年も旧暦の正月14日(2019年2月18日)の日に、奈良県吉野郡吉野町南国栖(みなみくず)の浄見原神社で、国栖の12人の翁達によって、「国栖奏」が奉納されました。 例年なら雪が散らつく時節ですが、今年はとても暖かく晴天に恵まれ、お供えの赤カエルも目を覚ましていました。

浄見原神社は吉野川が蛇行した天皇渕の断崖絶壁の狭い空間の小さい祠にご神体(天武天皇)が祀られていますので、そこまでは、自治会館前の駐車場から歩いて行きます。崖沿いの道を行くと、眼下にエメラルドグリーンのとても綺麗な天皇渕が見えてきます。 

<吉野川に架かる鈴の音橋>
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<吉野川 右堤防を歩いて神社へ>
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<神社方面>
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<鈴の音橋>
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<反対方向>
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<地元の方のおもてなし>
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<国栖奏伝習所>
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<受付>
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受付のテントで手続きを済ますと、「国栖と国栖奏」というパンフレットと特産品の「割りばし」と、お祝いの「神餅」を2個頂き、国栖奏の最後に翁によって、自分の名前を読み上げてくれます。

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<謡曲国栖と国栖奏説明板>
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<参道から見た鈴の音橋と吉野川>
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<美吉野1>
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<美吉野2>
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<美吉野3>
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<天皇渕1>
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<天皇渕2>
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<天皇渕3>
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<天皇渕4>
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<天皇渕5>
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<天皇渕6>
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<神社への石段入口:お祝いの日>
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<浄見原神社舞台・本殿への石段>
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<舞台とお供え>
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ヒカゲノカズラ・シダなどで舞台の廻りを飾る
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奥 <五品の神饌>
五品の神饌をお供えします。右から、
 1. 山菓(栗):昔、当山間地方の貴重な食物
 2. 醴酒(こざけ、一夜酒):応神天皇吉野行幸のとき献上せしもの
 3. 腹赤の魚(うぐい):天武天皇に献上せしもの、占いにも使用
 4. 土毛(くにつもの、根芹(せり)):応神天皇に献上せしもの
 5. 毛瀰(もみ、赤蛙):昔、当山間地方最高の珍味として献上せしもの
手前 <7つの楽器>をお供えします。
  鈴と榊 笛2 鼓1 笛2 鈴と榊
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本殿前
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<翁(12人)>
翁は天武天皇から特別に使用を許された「桐(きり)・竹(たけ)・鳳凰(ほうおう)」を織り込んだ狩衣(かりぎぬ)・烏帽子(えぼし)の装束を身に着けます。翁は全員で12人です。舞翁は2人で、右手に鈴、左手に榊を持ち舞います。笛翁は4人で横笛を奏します。鼓翁は1人で鼓を打ちます。歌翁は5人おり、歌謡を朗々と奏します。

国栖奏は以下の順序で行われます。

1.神官が先導して、参殿の笛を奏しながら12名の翁が崖沿いの参道を進み舞殿に登壇します。
  まず楽器を神前に供え一同が着座すると、神官が祝詞を奏上し神事を行います。

2.神事終了後、一歌、二歌を奏します。

一歌 世にいでば 腹赤の魚の片割れも  国栖の翁が  淵にすむ月
二歌 み吉野に  国栖の翁がなかりせば 腹赤の御贄  誰か捧げむ

3.その後、神饌台から楽器を下げて、笛に合わせて三歌を唱和し、舞に移ります。

三歌 鈴の音に  白木の笛の音するは  国栖の翁の  参るものかは

4.二人の舞翁が鈴を右手に榊を左手に持ち、歌翁の一人が「正月」と声をかけると他の歌翁が「エンエイ(遠栄)」と唱和します。これを、正月から十二月まで繰り返し行います。

5.四歌を奏します。四歌は古事記の応神天皇条記載の歌謡そのものです。

四歌 かしのふに よこすをつくり よこすにかめる おほみきうまらに きこしもちおせ まろかち

四歌終了後翁達全員が口元に手を添え上体を反らす「笑いの古風」と呼ばれる所作を行います。

6.最後に氏子と奉賽者の名前を一人ずつ「エンエイ」と囃しながら読み上げ(御巡楽という)、素朴ながらも典雅な舞楽は終了します。

<浄見原神社 宮司祝詞奏上>
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<二歌奏上>
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<楽器撤下>
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<楽器撤下>
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<舞奏上>
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<舞1>
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<舞2>
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<舞3>
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<舞4>
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<笑いの古風>
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<名前の読み上げ。エンエイ―>
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<宮司お祓い>
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<翁神饌撤下>
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<栗>
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<土毛(くにつもの、根芹(せり))>
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<醴酒>
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<腹赤の魚(うぐい)>
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<毛瀰(もみ、赤蛙)>
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文献1: 「奈良県指定無形民俗文化財 国栖奏」 国栖奏保存会 平成16年




国栖奏(2015.3.4)

2015年3月4日、吉野郡吉野町南国栖の浄見原神社で国栖奏(奈良県指定無形民俗文化財、吉野町無形文化財)が行われました。毎年旧暦の1月14日に浄見原神社で行われる催しです。毎年4月3日には橿原神宮でも奉奏されます。昨年の国栖奏については本ブログを参照してください。

昨夜から雨が降り続き岩場が濡れないか心配しましたが、朝方になると雨が上がり、例年になくあたたかい日となりました。国栖奏の日はいつも2月の極寒の日で雪がちらつきますが、今年は3月にずれ込みましたので、寒さはそれほどでもありませんでした。 国栖奏の笛と翁が振る鈴の音は何とも言えない麗しく懐かしい調べがします。歌を詠むながーい調べがこれもまた極上です。

<地元の商品販売>
 手作りぜんざいや漬物を頂きました。
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<国栖奏伝習所>
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<看板:国栖奏のこと>
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<看板:謡曲国栖と国栖奏>
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<句碑>
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<天皇淵>
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<浄見原神社>

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<お供え>
  毛瀰(もみ、赤蛙)、土毛(くにつもの、根芹)、腹赤魚(うぐい)、醴酒(こざけ)、山菓(くり)>

             楽器(鈴、笛、笛、鼓、笛、笛、鈴)
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<舞殿>
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<お祓い>
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<翁参進>
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<笛を吹きながら進む>
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<舞台へ参上>
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<祝詞奏上>
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<翁舞>
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<多数の参拝者>
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<翁退出>

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<国栖の由来>(国栖奏保存会資料)

古事記や日本書紀の記事によれば、神武天皇が熊野から大和に入られるとき、吉野川のほとりで岩穴から尾のある人が出てきたので、「お前はだれか」と尋ねると「私は国つ神で、名は岩押分神の子でございます」と答えました。そこで天皇は「お前に 国栖(くず)の名を与えよう」といわれ、それ以来国栖と称するようになったもので、その後天皇の道案内をして、大和平定に力を尽くしたと伝えられています。


吉野山の寺と社をめぐる その5(最終回)

吉野山の寺と社をめぐる その5(最終回)

近鉄奈良駅(バス)→如意輪寺→後醍醐天皇塔尾陵→竹林院群芳園(昼食)→吉野水分神社→吉水神社→金峯山寺蔵王堂→(バス)近鉄奈良駅

今回は金峯山寺蔵王堂について報告します。

金峯山寺蔵王堂
 
吉野山の中心をなす寺で、修験道の根本道場として知られ、寺伝によれば673年に役行者が創建したと伝える、金峯山修験本宗の総本山である。 金峯山の寺号は山上ケ岳の山上(さんじょう)と吉野山の山下(さんげ)に散在する多数の寺院の総称であったが、山上ケ岳の蔵王堂が参詣困難であるため、天平年間(729-749)に行基が山下に蔵王権現を祀ったのが金峯山寺本堂(蔵王堂)の始まりである。

 創建以来、上皇、法皇、貴族など参詣するものが多く修験道の霊地として崇敬を集めた。特に平安時代から鎌倉時代にかけて堂塔伽藍が建ち並び多くの僧徒(吉野衆徒)を擁した。源義経はこの勢力に依拠しょうとしたが失敗した。その後、後醍醐天皇をはじめとした南朝が4代57年間続いた陰には、吉野衆徒の支えがあったからだと考えられる。正平3年正月には高師直(こうのもろなお)の兵火で焼失したが再三の復興で現在に至っている。

現在、二王門が修理中で、勧進のため蔵王権現が特別公開されていた。巨大な厨子の扉が開けられ、発露の間から大きな蔵王権現3体を拝顔することができた。右足を挙げた憤怒の表情は誰に向けられたものなのでしょうか?TVで観るのとは違って、青は黒っぽい藍色で大変落ち着きがありました。

文化財

・ 本堂(蔵王堂)【国宝】
  現在の堂は安土桃山時代の天正16年(1588)の再建。桁行5間、梁間6間、裳階が付く。入母屋造、檜皮葺。正面26メートル、側面27メートル、総高27.5メートルにおよび、木造建築としては東大寺大仏殿に次ぐ大建築である。内部の柱は自然木68本が林立する。本尊は蔵王権現(高さ7.8メートル)、両脇侍とともに厨子に安置されている。

・ 二王門【国宝】
三間一戸の二重門で、入母屋造、本瓦葺き、高さ23メートルの大楼門である。現在の門は康正2年(1456)に再建されたもの。室町時代の二重門の代表として貴重であり、国宝である。門の木造仁王像は胎内銘から延元3年(暦応元・1338)から同4年にかけて、大和高田の領主高田兵庫頭入道宗貞が施主となり、大仏師康成が造立したことが明らかになっている。像内納入品とともに県指定文化財に指定されている。

・ 大和国金峯山経塚出土品【国宝】

・ 木造蔵王権現立像(4体)【国重要文化財】
・ 銅燈籠【国重要文化財】
 
本堂正面の銅燈籠は文明3年(1471)の銘があり、国指定重要文化財である。
・ 木造聖徳太子立像【国重要文化財】
・ 木造童子立像(2体)【国重要文化財】
他多数

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<蔵王堂>
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<四本桜と銅燈籠>
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<大塔宮陣地跡>
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<村上義光公忠死之所碑>
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<天満宮>
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<愛染堂>
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吉野山の寺と社をめぐる その4

吉野山の寺と社をめぐる その4

近鉄奈良駅(バス)→如意輪寺→後醍醐天皇塔尾陵→竹林院群芳園(昼食)→吉野水分神社→吉水神社→金峯山寺蔵王堂→(バス)近鉄奈良駅

2004年7月7日に和歌山・奈良・三重の3県にまたがる「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録され、今年で早くも10周年を迎えました。各地で世界遺産登録10周年を記念する行事が行われています。奈良県の吉野・大峯エリアでは吉野山、吉野水分神社、金峯神社、金峯山寺、吉水神社、大峰山寺が世界遺産に登録されています。

春の桜見物は吉野駅から七曲道を登って花矢倉・吉野水分神社まで往復歩きましたが、今回吉野山ではタクシーで移動しましたので、効率的に移動することができました。また、吉野林業とか地元の人しか分からないこともドライバーさんから聞くことができました。

さて、今回は吉水神社について報告します。

吉水神社

〔祭神〕 後醍醐天皇、楠木正成、宗信

吉水神社はもとは吉水院(よしみずいん)と呼ばれおよそ1300年前に役行者が創建した格式の高い修験宗の僧坊の1つでしたが、明治8年に神社に改められました。

吉水神社は文治元年(1185)源義経と静御前が弁慶とともに身を潜めた地として歴史に登場します。
その後、延元元年(1336)後醍醐天皇が吉水院宗信(そうしん)の援護のもと、吉水院を行宮とされ南朝の皇居とされました。
ときが過ぎ、文禄3年(1594)太閤(豊臣)秀吉が吉野で花見をしたとき、吉水院を本陣とし数日間滞在しました。吉水神社はこのようにたびたび歴史に登場する重要な地でした。


文化財

・ 書院(国重要文化財)
  日本最古の書院としてユネスコの世界遺産に登録されている。室町時代初期の様式で床棚書院の初期の様式を伝える義経潜居の間、桃山時代の様式である後醍醐天皇玉座の間などがある。

・御消息紙本墨書(伝後醍醐天皇宸翰、国重要文化財)
・ 色々威腹巻(伝義経所用、国重要文化財)


 その他歴史ある吉水神社の文化財の豊富さには驚かされます。

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<従是吉水院の碑>
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<階段参道>
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<吉水神社山門>
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<1目千本>
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<山門2>
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<秀吉花見の本陣標柱>
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<書院>
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文化財
<後醍醐天皇玉座の間>
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<義経潜居の間>
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<弁慶思案の間>
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<色色威腹巻>(源義経所用、重要文化財)
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<後醍醐天皇御旗>
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<豊太閤吉野之花見図>
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<豊太閤愛用金屏風>
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<豊臣秀頼公寄進湯釜>
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<豊臣秀吉寄進銅鐸他>
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吉野山の寺と社をめぐる その3

吉野山の寺と社をめぐる その3

近鉄奈良駅→如意輪寺→後醍醐天皇塔尾陵→竹林院群芳園(昼食)→吉野水分神社→吉水神社→金峯山寺蔵王堂→近鉄奈良駅

今回は吉野水分神社について報告します。

吉野水分神社

 花矢倉展望台から100メートルほど坂道を上ると、赤い鳥居と急な階段上に楼門が見えてくる。この神社が江戸時代に本居宣長がお礼参りに何度か松阪から訪れた子守明神としてよく知られた吉野水分神社である。豊臣秀頼もこの神社にお参りして授かった子であるといわれており、神社に秀頼寄進の宝物が供えられている。

延喜式内大社であり、吉野八社明神の1つ、また大和国四所水分社の1つである。
水分は「みくまり」と訓み、水配りを意味し分水嶺に鎮まる神を意味する。創祀は不詳であるが、古くは芳野水分峯神として吉野山山頂の青根ヶ峰(867.9m)に鎮まり、音無川、秋野川、丹生川、象川(きさがわ)の分水嶺に拝所があったと伝えている。「続日本紀」文武天皇2年(698)4月29日条に、馬を芳野分水嶺の神に奉って雨乞いをしたとある。
貞観元年(859)正五位下を、1337年後醍醐天皇から正二位を奉っている。

当社は金峯山修験の大峯山75靡の第73靡きの行場となっており、修験者はお祓いをうけます。

現在の社殿は慶長九年(1604)、豊臣秀頼により再建されたものであり、本殿・拝殿・楼門・回廊・幣殿からなり、華麗な桃山建築を伝えており、いずれも国の重要文化財である。

本殿は3つの社を1棟に連ねた三社一棟造りで独特の神社建築である。はじめて訪れたときは山中に華麗な三社一棟造りの神社建築を観て大変感動したことを覚えている。

祭神
 正殿:天水分神(あめのみくまりのかみ)
 右神殿:天万栲幡千々姫命(あめのよろずたくはたちぢひめのみこと)
     玉依姫命(たまよりひめのみこと)
     天津彦火火瓊瓊杵命(あまつひこほほのににぎのみこと)
左神殿:高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
少彦名神(すくなひこなのかみ)
御子神(みこかみ)
 

以上、7つの神像はいずれも平安時代から鎌倉時代の木造である。

文化財
本殿・拝殿・楼門・回廊・幣殿(国重要文化財)
玉依姫命坐像(国宝、非公開)
鎌倉時代の建長3年(1251)宣陽門院寄進と胎内に墨書銘がある。
天万栲幡千々姫命坐像(平安時代初期、拝殿の附指定で国重要文化財)
拝殿の釣燈籠4個(慶長9年(1604)の銘、国重要文化財)

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<鳥居>
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<楼門>
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<楼門の蟇股>
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<本殿>
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世尊寺跡説明板と花矢倉展望台

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