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相撲神社に「勝利の聖」碑建立

 平成25年7月7日(日) 午前9時30分から桜井市穴師カタヤケシにある相撲神社において、氏子を中心とした「勝利の聖」建立会と桜井市纏向校区区長会(島岡秀次郎会長)が主催し、「勝利の聖 野見宿禰」記念碑除幕式とイベントがありました。

 除幕式には、日本相撲協会の八角親方(元横綱北勝海)や国立競技場の「勝利の聖」の作者である長谷川路可画伯の遺族や地元・近隣市の関係者多数が出席しました。

 昭和37年10月6日には、日本相撲協会の時津風理事長(当時、元横綱双葉山)をはじめ幕内全力士が当神社を参拝。大鵬柏戸の両横綱による土俵入りも奉納されました。今年は日本相撲協会の参拝から50年を迎えることもあり、日本初の天覧相撲大会が行われた日が、垂仁天皇7年7月7日(日本書紀、垂仁紀)であることから、相撲節会にちなんで、この日の除幕式となりました。

<写真1>相撲神社
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<写真2>土俵
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<写真3>大兵主神社石標
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<写真4>宮司神事
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<写真5>除幕式前

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<写真6>除幕式後

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<写真7>勝利の聖
 
 遺族の御好意で国立競技場の勝利の碑のデザインが用いられました。相撲発祥の地にふさわしい碑となりました。左手が上を向いていることに注目してほしいと遺族の方からお話がありました。敗者に対する心使いがあるとのことでした。勝者をたたえ敗者を思いやる思想はパリで勉強した長谷川画伯ならではと思いました。

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<写真8>相撲神社遷宮

 この日、相撲神社(祭神は野見宿禰)も新しく建て替えられました。社を力士像が支えています。

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<写真9>力士像除幕

 桜井市ライオンズクラブ建立のお嬢さんのような力士像の除幕式もありました。今後、話題となるでしょう。

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<写真10>相撲甚句

 除幕式終了後、地元の「大和すくね相撲甚句会」による相撲甚句が披露されました。

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<写真11>卑弥呼太鼓

地元桜井市の「卑弥呼太鼓」の皆さんによる、和太鼓の奉納がありました。

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式典終了後、山辺の道沿いの森岡みかん園において、本場の三輪そうめんがふるまわれ、大変おいしかったです。

<写真12>国技発祥の地 

 日本書記の垂仁天皇7年7月7日条には、野見宿禰と当麻蹴速による日本初の天覧相撲が行われ、野見宿禰が勝利したという記述があります。相撲神社付近には、桜井市穴師カタヤケシという小字名が残っております。相撲で呼び出しが「カタヤー」と言うのは、この地名からとったという説があります。

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<写真13>カタヤケシ
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<大和王権発祥の地>

大和王権は3世紀後半から4世紀にかけて第10代崇神天皇、第11代垂仁天皇、第12代景行天皇の三代にわたり、三輪山山麓の纒向付近の地に宮を置き、大前方後円墳を築きました。

相撲神社の近くには、景行天皇の纒向日代宮伝承地や垂仁天皇の纒向珠城宮伝承地があります。ここから、日本書紀に山辺の道上陵と記載されている景行天皇陵が真近に見え、纒向遺跡を眼下に見下ろす、山辺の道のなかでも最も美しい所の一つです。金剛・葛城山・ニ上山・生駒と続く大和盆地の西の青垣と、大和三山がある大和平野の美しい風景が眼下に広がっています。

また、ここ日代宮は景行天皇の息子である倭健命の生誕地であり、古事記記載の倭健の歌

     「大和は国のまほろば たたなずく 青垣 山ごもれる 大和し うるわし」

があまりにも有名です。

<写真14>美しい景色1(纒向遺跡を眺望)

 大和盆地西の青垣と纒向遺跡を眺望します。右手に景行天皇陵が見えます。真中の地が纒向遺跡です。3世紀初めから末にかけて、東西2.5km、南北2.5kmの当時としては日本最大規模の画期的な古代都市が出現した遺跡です。遺跡の発掘はまだ、2%程度しか行われていません。最近になって、やっと、ごく一部が国の史跡として指定されることになりました。日本の歴史上もっとも重要なこの遺跡の事が、小学校の教科書にも載っていないほど世間からは無視されています。

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<写真15>美しい景色2(纒向遺跡を眺望)


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<写真16><纒向遺跡イラスト図>

 相撲神社付近の見晴らしの良い所に纒向遺跡のイラスト図がありました。

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<写真17>纒向日代宮伝承地

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<写真18>神籬
 
 ここに「神籬」(ひもろぎ)という小字名が残っているそうです。古代は神聖な場所だったようです。ここに、日代宮があったのではないかという学者もいます。


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<写真19>額田王女歌碑

 中河与一氏書の額田王女の歌碑がある付近から見る三輪山の姿は、得も言えず美しい。最近、近くにポケット休憩場所が作られ、ベンチが置かれていました。また、ヒマワリが綺麗に咲いていました。

長歌

 「うま酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の間に いかくるまで
  道のくま いさかるまで つばらにも 見つつ行かむを 
  しばしばも 見さけむ山を 心なく 雲の かくさふべしや」

反歌
 「三輪山を しかもかくすか 雲だにも
  心あらなむ かくさふべし也」




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<写真20>纒向珠城宮伝承地

  相撲神社から下っていくと纒向珠城山古墳群が道沿いの右手にあり、さらに国道169号線へ出る手前に
 この碑が立っています。

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