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佐紀盾列古墳群を巡る その3

垂仁天皇皇后日葉酢媛命狹木之寺間陵(ひばすひめのみこと さきのてらまりょう)(佐紀陵山古墳)

  墳長207メートル、後円部径131メートルの大形の前方後円墳です。成務陵のくびれ部に日葉酢媛陵の後円部がくいこんだ形になっているため、成務陵の周濠が非常に狭くなっています。このため、日葉酢媛陵が先に築造されたのではないかと推定されています。

1915年(大正4年)盗掘があり宮内庁が復旧工事をした際調査し、石室や出土遺物に関する詳細な記録を残しています。 後円部に全長8.6メートルの竪穴式石槨があり、大形倭鏡や腕輪型石製品が副葬されていました。後円部の方形壇上には大型の蓋(きぬがさ)形埴輪や盾形埴輪が配置されていたようです。これらの埴輪などからこの古墳は古墳時代前期後半の4世紀末頃に築造されと推定されています。

江戸時代には後円部北側に鳥居が建ち墳丘に登る石段があり石燈籠もありました。その中に、大和郡山藩柳里恭(りゅりきょう)寄進の銘のある燈籠がありました。この燈籠は神功皇后陵に移されています。

日本書紀に相撲で有名な野見宿祢が埴輪を造って陵に建てるよう進言した埴輪起源伝承の記事が出てきます。その古墳が日葉酢媛陵や佐紀古墳群であると考えられています。後世に菅原氏や土師氏が西大寺周辺に居住し、埴輪の窯跡が出土していることは興味深い。

日葉酢媛陵は畿内北部への出入り口にあたる佐紀平城山にあり、築造時期が景行天皇陵と重なる可能性があり、大和王権の畿内北部への進出とかかわりがあるかもしれません。丹後の網野銚子山古墳、神戸の五色塚古墳、和泉の摩湯山古墳などが日葉酢媛陵と同時期、同形相似墳であることは、大和王権の進出と関わって注目されるところです。

<日葉酢媛陵(左)と拝所(右)>
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<宮内庁標識>
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<拝所正面>
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佐紀盾列古墳群を巡る その2

 3世紀の後半~4世紀初めの大和王権成立期の宮は三輪山周辺の磯城瑞垣宮(崇神)や纒向珠城宮(垂仁)、纒向日代宮(景行)に置かれ、その周辺に大大和古墳群と呼ばれる200mを越える大型の前方後円墳(箸墓、西殿塚、崇神、景行陵)が築かれました。その後4世紀終わり頃になると、大和王権の墓域は平城京北側の佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群へと移ってゆきます。今回のウォークでは200m越える大型古墳を巡りました。

成務天皇陵(石塚山古墳)
 宮内庁の標識には、成務天皇狭城盾列池後陵(せいむてんのう さきのたたなみの いけじりの みささぎ)と書いてありました。全長218mの大型の前方後円墳で景行天皇の息子で第13代成務天皇のお墓に治定されています。周濠があり、周辺は古墳ゾーンで綺麗に整備されていました。

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佐紀盾列古墳群を巡る その1

2015年3月22日に奈良観光ボランティアガイドの会主催の「佐紀盾列古墳群を巡る」ウオーキング・イベントに参加しました。この日は晴天に恵まれ、佐紀盾列古墳群の自然豊かな散策道を各所で説明を受けながら気持ちよく歩きました。今回歩いたコースは以下の通りです。

佐紀盾列古墳群は200mを越える古墳が7基もあるそうですが、その中で古墳築造年代と被葬者の時代が合う古墳は一基だけだそうです。明治初年に適当に被葬者名を古墳に割り振ったのでしょうか。

近鉄西大寺駅→称徳天皇陵→成務天皇陵→日葉酢媛陵→瓢箪山古墳→添御縣坐神社→平城天皇陵→第二次大極殿→磐之媛陵→コナベ古墳→ウワナベ古墳→不退寺→近鉄新大宮駅

<西隆寺廻跡奈良ファミリービル内遺跡>
 西大寺のショッピングセンターのビル内に遺跡があるとは知りませんでした。

<遺跡説明>
奈良時代の西隆寺跡がこのようなビル内にあります。平城京がちかいのです、奈良はすごいですね。
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<西隆尼寺と書かれています>
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<平城京右京の条坊です>
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<遺跡>ビル内でガラスで囲まれていますので入れません。
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<秋篠川:ナラファミリ前小川です>
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<称徳天皇高野陵>
称徳天皇は聖武天皇の独身の娘で、最初は孝謙天皇として即位しました。一度退位した後、もう一度天皇になり称徳天皇と称しました。この古墳の築造年代と称徳天皇が生きた時代とは合わないそうです。

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NOTE:所用のため少しの期間更新ストップします。

佐紀盾列古墳群を歩く

2011年10月16日(日)A.M.9:30近鉄平城駅集合で奈良世界遺産市民ネットワーク等共催の佐紀盾列古墳群を歩く会に参加しました.浜田,小笠原,宮川,杉田,小井氏の豪華専門家メンバーの解説付きで秋晴れの下楽しく学ぶことができました.近鉄平城駅を下車するとそこは古墳群の真っただ中でした.山辺の道とはまた違って,平野部に密集度が高く古墳がありました.
 奈良盆地には東南部の大和・柳本古墳群,西南部の馬見古墳群,北部の佐紀古墳群があります.佐紀古墳群は4世紀後半から5世紀初めの大古墳群です.

その中の全長200mを越す大型古墳7基を以下の順序で尋ねました.

五社神(ごさし)古墳(神功(じんぐう)皇后陵)->石塚山古墳(成務天皇陵)->佐紀陵山古墳(日葉酢媛陵)ー>松林宮跡ー>市庭古墳(平城天皇陵)->平城京跡(昼食)->水上池ー>ヒシアゲ古墳(磐之媛陵)->コナベ古墳ー>ウワナベ古墳ー>解散


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五社神(ごさし)古墳(神功皇后陵)は全長275m(全国12番目)の巨大前方後円墳(前方部3段,後円部4段)です.2008年2月22日に初めて宮内庁の許可の下,研究者が最下段のテラス(平たん面)に限って立ち入り調査した陵墓です.


大きな地図で見る




宮内庁の掲示板がありました.

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神功皇后陵の濠の回りが石積みで修復されていました.古墳の現状回復が難しくなります.
神功皇后陵濠の石積

神功皇后陵の前方部から後円部へ登ります.

神功皇后陵(前方部から後円部へ)


神功皇后陵の後円部は尾根を切断して作られています.左手が御陵(宮内庁管轄),
右手が尾根です.

神功皇后陵後円部切り通し

後円部の中心線当りの入り口です.古墳の築造企画の研究者でこの古墳に立ち入った経験のある宮川先生から,古墳築造法の説明がありました.

神功皇后陵後円部入口(立ち入り禁止)

ぐるっと回って反対側の濠(前方部東側の農業用水池)に出ました.2008年の立ち入り調査の際に円筒埴輪4基の列が発見された現場です.濠の向こうに碑が立っています.

神功皇后陵濠(埴輪露出現場)

この一帯は特別風致地区です.奈良市と奈良県の看板です.
奈良市看板








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