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率川神社ゆりまつり

 2013年6月17日奈良市の率川(いさがわ)神社で三枝祭(さいくさのまつり)が行われました。
三枝祭りは、通称「ゆりまつり」と呼ばれ、701年の大宝律令にはすでに、国家が行う祭祀と記されています。

 率川神社は、593年に推古天皇により創建されたと伝えられる、奈良市内で最古の神社の一つであり、大和の一之宮である大神神社の摂社です。主祭神は大物主大神の娘で、神武天皇の皇后である、「姫蹈鞴五十鈴姫命」(ひめたたら いすずひめのみこと)です。

 古事記に神武天皇が、大神神社北の狭井河の辺りの「高佐士野」に遊ぶ七人の媛女(おとめ)の中で最前に立つ姫 蹈鞴五十鈴姫命が気に入り、姫の意向を大久米に聞かせた所、「仕え奉らむ」と答えたと記されています。

 6月17日午前中には神事があり、故郷を離れ率川神社に祭られた五十鈴姫のために、酒罇の周囲を、三輪山に咲き匂う笹百合の花で豊かに飾り、優雅な楽の音につれて神前にお供えします。また、大神神社に20人以上いる10代、20代の巫女のなかから毎年4人の巫女が大役に任じられ、三枝の笹百合を手に持ち、神楽「うま酒みわの舞」を華麗に舞います。三島由紀夫が小説「奔馬」で描いています。

 午後1時30分より、七媛女(ななおとめ)・ゆり姫・稚児行列が三条通りから近鉄奈良駅を巡り、沿道の希望者には造花のささ百合が渡されていました。今年は、国際色豊かなゆり姫と7色の着物を着た七媛女(ななおとめ)があでやかな衣装を身に付けて、三条通りを行進していました。その最前を、姫蹈鞴五十鈴姫命に扮した媛女が歩いていました。

<写真1>率川神社ゆりまつり
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<写真2>率川神社由来看板
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<写真3>笹百合奉納
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<写真4>神事

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<写真6>花車

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<写真7>花車を曳く子供たちを助ける巫女

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<写真8>ゆり姫に傘をさす若者

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<写真9>国際色豊かなゆり姫
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<写真10>姫蹈鞴五十鈴姫命

<写真11>笹百合園(大神神社)

 近年、狭井河近辺でたくさん自生していた「ささゆり」は、環境変化のため、激減し「幻の花」
と云われるほどに少なくなり、「ささゆり奉仕団」の有志の方々で、大神神社境内で、人工栽培
をしています。ここで栽培した笹百合が三枝祭で使われます。大変貴重な笹百合です。そのため、
行進の際、沿道の方には造花が配られるようになりました。


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山辺の道の狭井河あたり

 神武天皇は狭井河の上にあった姫の家で一宿寝られた。
 「その河を狭井河という由は、その河辺に山ゆり草(笹ゆり)が多くあり、その元の名を
 佐韋(さい)と云うからである」と古事記に記されています。

<写真12>狭井川周辺

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神武天皇の御歌(古事記 歌謡番号十九)
  
   葦原(あしはらの)の しけしき小屋(をや)に
   菅畳(すがたたみ) いや清敷(さやし)きて
   我が二人寝し


 (意味)
   葦のいっぱい生えた原の粗末な小屋で、萱で編んだ敷物をすがすがしく幾枚も敷いて、
   私たち二人は寝たことだったね。

<写真13>神武天皇歌碑(北岡壽逸書)

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<写真14>神武天皇聖蹟狭井河之上顕彰碑
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<当芸志美々命の変> 

 神武天皇が崩御の後、伊須気余理比売(=姫蹈鞴五十鈴姫命)は3人の子の腹違いの兄に当たる当芸志美々命と結婚して畝傍山のふもとの白橿宮に住んでいた。ところが当芸志美々命は、腹違いの弟3人を殺そうと企み、伊須気余理比売は大いに悩んだが、その企みを歌に託して、佐韋川の辺りに住む3人の皇子たちに知らせ、窮地を救った。現在、山辺の道の狭井川のほとりに、古事記にある以下の歌謡の碑が建っている。


伊須気余理比売(古事記 歌謡番号ニ十)
 
 狭韋河よ 雲起ちわたり
 畝火山 木の葉さやぎぬ
 風吹かむとす


(意味)
  狭井川の方からずっと雨雲が立ち渡り、畝傍山では木の葉がざわめいている。
  今に大風が吹こうとしている。

<写真15>伊須気余理比売歌碑(古事記、月山貞一書)
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伊須気余理比売(古事記 歌謡番号ニ一)
 
  畝火山 昼は雲とゐ 
  夕されば 風吹かむとそ
  木の葉さやげる


(意味)
  畝傍山は 昼は雲が揺れ動いている
  これは夕方には 風が吹く前兆として
  木の葉がざわざわいっている

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