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内山永久寺跡の桜

 2014年4月3日、石上神宮(いそのかみじんぐう)の境内を出て、山の辺の道を約800m南下すると、内山永久寺跡に着きました。内山永久寺は東大寺、興福寺、法隆寺に次ぐ大寺でしたが、明治の廃仏毀釈で大伽藍が廃棄され、仏像や宝物は国内外へ流失し、廃墟には本堂池のみ大寺の痕跡を残しています。この本堂池の周囲には桜の大木が植えられ、今日は桜が池に映えなんとも言えず美しい光景を醸し出していました。訪れる人も少なくひっそりとしており、隠れたる桜の名所です。江戸時代に松尾芭蕉がまだ宗房と名乗っていた頃にここを訪れたとき、桜の美しさを見て一句詠んでいます。

        「うち山や外様知らずの花ざかり」 宗 房

<石上神宮>

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<内山永久寺跡>

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<内山永久寺跡本堂池>

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ボストン美術館所蔵四天王像

 2013年6月13日(木)大阪市立美術館で開催中(4月2日~6月16日)の特別展「ボストン美術館日本美術の至宝」に出かけました。

今回の展示で興味をもったものは、廃仏稀釈で廃絶した奈良県天理市の内山永久寺から散逸して、ボストン美術館に収蔵されているとされている重(ちょう)命(みょう)筆の四天王像です。これは、永久寺の真言堂の本尊の大日如来の背後を荘厳していた、障壁画の一部であった可能性が高いと指摘されています。

四天王のうち多聞天、広目天は、色合いも鮮やかで、躍動感にあふれ、絹の繊維まで浮出て、見事に修復されていました。増長天と持国天は顔から上が不鮮明な箇所がありますが、かなり修復が成功しており、製作時の名残を留めています。今回、里帰りして、天理市に近い日本の大阪で、見ることができ、感激しました。

四天王像(重(ちょう)命(みょう)筆、4面、絹本着色)
  多聞天148.3cm, 広目天148.7cm, 増長天148.8cm, 持国天147.1cm
「ボストン美術館 日本美術の至宝 図録」掲載の四天王像(p68-69)を紹介します。

<写真1>多聞天
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<写真2>広目天
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<写真3>増長天
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<写真4>持国天
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内山永久寺跡 

 山辺の道を天理市の石上神宮から10分程歩くと内山(うちやま)永久寺(えいきゅうじ)跡に到着します。現在、この付近はのどかな田園風景となっており、本堂池と「後醍醐天皇萱御所跡」と書かれた石碑を残すだけでひっそりとしており、平安時代から明治初めに至るまで、永久寺が、法隆寺に匹敵する大規模な名刹であったことを現在の田園風景からは想像できません。鳥羽天皇の勅命により時の年号の永久を冠せられた名刹も、明治維新の為政者の廃仏稀釈で、わずか2年ばかりの間に、あっと言う間にお堂は跡かたもなく消失し、仏像や仏画も壊されるか、散逸してしまいました。
 
<写真5>本堂池
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<写真6>東から本堂池・矢田丘陵及生駒山を望む
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<写真7>永久寺説明板

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<写真8>後醍醐天皇萱御所旧跡石碑
  太平記によると後醍醐天皇が一時ここに身を隠したとされ、その場所に「後醍醐天皇萱御所跡」という顕彰碑が建っている。御所跡は、四天王像があった真言堂の直ぐ西側に位置する。

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<写真9>和州 内山永久寺之図

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 現場に設置されている看板「和州 内山永久寺之図」で確認すると、「後醍醐天皇萱御所旧跡」のすぐ東側に、「灌頂堂」という7間×7間の巨大なお堂があり、ここは別名「真言堂」と呼ばれ、大日如来が安置されていました。今回、展示された四天王像が本尊後方の障壁に描かれていたことを想像しながら地図を眺めていると、お堂が目に浮かぶようです。

<写真10>永久寺跡地形図(東京国立博物館編「内山永久寺の歴史と美術」東京美術,1994、p69)

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<写真11>松尾芭蕉句碑
内山永久寺本堂池周辺は今も隠れた桜の名所で、池に映える桜の姿はとてもきれいです。松尾芭蕉が「宗房」と号した若い頃この地を訪れ一句残しています。そのときは大伽藍と浄土式庭園ももちろん隆盛を極めていたに違いありません。

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<廃仏稀釈>
この名刹も、明治の廃仏毀釈によりわずか2年ばかりの間に、お堂は売却・破壊され、大勢の僧侶は還俗し、仏像や仏画など数々の名品は、たたき売られるか破壊され散逸し、お寺は跡かたもなく消えてしまいました。

永久寺から散逸した名品のごく一部は現在、藤田美術館(国宝 両部大経観得図)、MOA美術館、東大寺、ボストン美術館、静嘉堂文庫(東京都)、観音寺(東京都世田谷区)などが所蔵しています。
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