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大和の観音信仰(3) 談山神社

 「大和の観音信仰」ツアーの最後は、桜咲く談山神社に参拝しました。 平地では桜は散ってしまいましたが、山手にある多武峰ではまだ桜が残っていました。 神社向いの「多武峰観光ホテル」の最上階のレストランで昼食をとりました。 ここから見る桜の多武峰の十三重塔はなかなか見ごたえのある景色でした。紅葉シーズンも素晴らしい眺めとなりますが、桜もまた綺麗でした。

昼食後、談山神社神職の案内で、まず拝殿から本殿の鎌足像を参拝しました。 京都の朝廷は、鎌足像が破裂するととても恐れて、勅使を派遣して鎌足像にお伺いをたてました。 拝殿中央の天井に使われている伽羅木は、とても値段の高いものであることを、計算されていました。 

その後、十三重塔の初層の鍵を開け、「難陀龍王像」を特別に拝観させて頂きました。 普段は入ることができない塔の一重目に入り、まじかで像を拝観しました。 

次に、「神廟拝所」に移動して、特別拝観期間中ではありませんが、「如意輪観音像」を特別に拝観させて頂きました。

その後は、西山先生の案内で、比叡神社から、山道の急な階段を上り、中大兄皇子と中臣鎌足が談合したとされる談山の森に行き、そこからさらに山道を駈けあがって、藤原鎌足のお墓へ行き参拝して帰りました。 急な坂道を下ると、夕日が沈みかかっていました。 

今回の「大和の観音信仰」のツアーでは、普段は公開されていないめずらしい観音像を訪ね、大和の観音信仰の多様さを体験したマニアックなツアーでした。

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多武峰観光ホテルから見た談山神社
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本殿(ご神体は藤原鎌足を祀る)
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勅使が登壇する亀甲文の石畳
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十三重塔説明
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桜と十三重塔
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神職の案内で一重目に入る
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一重目
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難陀龍王像
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権現殿と十三重塔
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神廟拝所説明
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如意輪観音像
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藤原鎌足像
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登山口
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談山の森公園
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藤原鎌足のお墓
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談山神社の紅葉

  11月5日に談山神社に行って来ました。 談山神社は藤原鎌足を祀る旧官幣大社でしたが、明治初期の廃仏稀釈で神社になる迄は、妙楽寺と呼ばれるお寺でした。当社縁起によれば、妙楽寺は藤原鎌足の長男の藤原定慧(ふじわらじょうえ)が唐から帰国して、鎌足の遺骨を摂津の阿威山(現、茨木市)から多武峰に移葬し、中国唐の清涼山宝池院の塔婆を手本として、十三重塔を建て、その下にお堂を立て妙楽寺と号しました。

 境内の比叡神社の所からお破裂山に登る登山道が整備されており、頂上には鎌足のお墓があります。途中、談山の森がありそこで、藤原鎌足と中大兄皇子が、談合したと伝えられています。 

643年に斑鳩の宮を襲撃し、聖徳太子の長男の山背大兄皇子一族23人が皆殺しにされ、上宮王家は滅亡しましたが、その2年後の645年に藤原鎌足と中大兄皇子によって蘇我入鹿は殺され、蘇我本宗家は滅ぶことになります。

談山神社の本殿には藤原鎌足の神像が祀られています。国家異変の際には、御破裂山が鳴動し、本殿の鎌足像が破裂すると言われ、平安中期以降、藤原氏一門を震駭させ、朝廷から告文使が送られ、本殿前の亀甲紋の石壇上で、奉幣祈願の儀式が行われました。

 この本殿は江戸時代に、法隆寺の宮大工であった中井正清の子孫によって、嘉永3年(1850)に造替されたもので、 重要文化財となっています。中井正清は初代の日光東照宮を建てた宮大工で、談山神社の本殿を参考にして建てたといわれています。

なお、藤原家の先祖を祀る妙楽寺は天台宗の住職を比叡山から迎えたため、興福寺と仲が悪くなり、長い間僧兵同志が武器を持って戦いました。 「南都北嶺(なんとほくれい)」の戦いがあったからです。談山境内にお城のような石垣が築かれているのは、興福寺との戦いのため要塞化した名残りです。また、境内に楓が多く植えられているのは、妙楽寺の僧兵が、楓の枝で矢を作ったからです。

先日、300年ぶりに再建された興福寺中金堂の落慶の法要に、620年ぶりに比叡山延暦寺の森川宏映天台座主が招かれ、法要が行われ、「天台声明」が興福寺境内に鳴り響き、比叡山と興福寺の和解を演出しました。

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談山神社楼門
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拝殿と伽羅木天井
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本殿と説明
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拝殿廊下
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廊下
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拝殿廊下釣り灯篭
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十三重塔
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権殿と十三重塔
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比叡神社
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御破裂山登山道
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談山神社 2017観音講まつり(3)

 神廟拝所はもともとは白鳳年間に藤原定恵によって創建された妙楽寺の講堂で、十三重塔の正面に仏殿を建て、神廟を拝する伽藍配置は、珍しく類例が少ないそうです。明治の神仏分離令によって、妙楽寺は談山神社となり、講堂は神廟拝所と改称されました。

建物は、入母屋造り、檜皮葺、間口5間、奥行4間で、内部に3間×2間の内陣が設けられています。前方に低い仏壇を造り格天井となっています。現在はベールに包まれた鎌足像が祀られています。大小13の壁面には江戸時代狩野永納筆と伝えられる壁画が描かれていましたが、明治の神仏分離令のとき、胡粉で塗りつぶされましたが、復元修理され、現在は絵を見ることができます。山水、16羅漢、楽器を奏でる天女などが描かれています。

 拝所ではこの期間だけ藤原定恵が中国唐から持ち帰った2代目と伝えられる如意輪観音(重要文化財)が公開されており素敵なお姿を拝観できます。右足甲に傷があって、足の悪い人のお身代わりになったという言い伝えがあるので、「足病の病に霊験あらたか」として、多くの参拝者が訪れています。最近では毎年拝観していますが大阪感心寺の如意輪観音と並び称される素敵なお姿をしています。

神廟拝所説明
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白紫陽花
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檜皮屋根
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城壁風
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権殿(常行三昧堂)
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如意輪観音
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良いお顔
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内陣仏壇障壁画
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天女図と36歌仙絵
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伝運慶作狛犬
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狛犬(舌の彫がリアル)
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談山神社 2017観音講まつり(2)

  楓の緑の森に包まれた談山神社は、JR東海関係や大手の旅行社のツアーで来られた参拝者で例年になく賑っています。
談山神社の木造十三重塔(室町時代、国重要文化財)は、現在は「神廟」(しんびょう)と呼ばれています。これは藤原鎌足の長男定恵和尚が、中国唐から帰国して、唐の清涼山宝池院の塔婆を模して、父の供養のために白鳳7年(678)に創建した十三重塔婆です。現在の塔は室町時代の享禄五年(1532年)の再建で、木造の十三重塔としては世界唯一の貴重な建造物です。高さ13メートルで1重目の屋根が大きく、2重目より上の屋根は小さい。

十三重塔(室町時代再建、国重要文化財) 高さ約13メートル
檜皮の屋根の赤と黒のコントラストが美しい

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ピンクの紫陽花
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檜皮がきれい
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九輪でなく七輪の水煙
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神廟拝所から十三重塔を拝す
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緑に包まれた十三重塔
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談山神社 2017観音講まつり(1)

 奈良県桜井市多武峯の談山神社では、2017年6月1日より7月31日まで観音講まつりが開催されており、期間中、神廟拝所では秘仏の如意輪観音像が特別公開されています。 また、本社拝殿では国宝の粟原寺(おうばらでら)三重塔伏鉢が、奈良国立博物館から里帰りし、特別公開されています。日本書紀には書かれていない粟原寺の縁起が刻印されており、貴重な金石文が刻まれた伏鉢を真近で見ることができ感激です。なお、粟原寺跡(桜井市粟原)には、礎石が残されており、国の史跡に指定されています。

2017年観音講ポスター 

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神社鳥居
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談山神社説明
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後醍醐天皇寄進石燈籠
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説明板
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本殿と拝殿楼門
 拝殿は懸造(舞台造)で本殿、楼門とともに日光東照宮のモデルとなったといわれている壮麗で優雅な建物です。

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拝殿内部
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三重塔伏鉢のイラスト
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国宝 粟原寺伏鉢(奈良時代 和銅八年(715年))

  銘文によれば、粟原寺は天武天皇と持統天皇の子、草壁皇子の菩提を弔うため、藤原不比等と関係が深い中臣大嶋が発願し、比売朝臣額田が甲午年(694年)から22年かけて造立し、和銅八年(715年)に、この伏鉢を上げたことが分ります。中臣大嶋は寺院造立を発願するも、神祇官であるという立場上、存命中は寺院は造立せず、おそらくは大嶋の妻であると推定される比売朝臣額田が大嶋の没後、22年かけて、草壁皇子を弔う大伽藍を造立したものと考えられます。柿本人麻呂の歌にあるように、桜井から女寄峠を越えて大宇陀に入る道は、草壁皇子が狩を行った所で、菟田野や大宇陀には薬草園もあったので、粟原は草壁皇子と関係が深い土地柄であったと考えられます。
 なお、銘文の最初に伽藍の境界を画する四方の土地名が刻まれていますが、粟原寺は広大な伽藍であったことがうかがえます。

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銘文読み
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拝殿軒端の銅製釣燈籠
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釣燈籠
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楓の森
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拝殿廊下
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本殿(祭神 藤原鎌足)
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亀甲文石畳

  本殿の藤原鎌足尊像の御破裂は、天下異変の前ぶれの神威発揚として、平安京の朝廷では恐れられていました。多武峯から朝廷へ報告があがると、朝廷では恐懼し、占いにより日時を定めて、聖旨を奉じて使臣を多武峰に派遣しました。使臣は神前に奉幣・告文を納め、この亀甲石畳の上で、神霊を慰め、尊像のお面の平癒を祈願しました。尊像破裂は醍醐天皇の898年2月7日以来、1607年に至るまで710年間の間に35回もあり、告文使は33回も多武峰に登っています。
 この亀甲文の石畳にはそのような歴史が秘められています。

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拝殿中央の間 伽羅木の天井
  本殿を拝する中央の間の天井には、藤原鎌足の長男で遣唐僧であった藤原定恵が唐から持ち帰ったと伝えられる伽羅(きゃら)の木を用いた格天井が造られています。珍しいものですので是非ご覧ください。

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