2019年4月27日、 「奈良まほろばソムリエの会」主催のイベント、『ボタン満開の長谷寺詣で』、に行ってきました。 午前10時には40名近くの参加者が近鉄長谷寺駅へ集合しました。
この日は、大型連休の最初の日でしたが、前日に比べて、気温がかなり低く(11度C)、1日中風が冷たく、雨用のアウターを着て寒さを凌ぎました。 長谷寺のボタンがちょうど満開で、境内と周囲の山々の青葉が眼に優しく、「隠国の泊瀬」を満喫した一日でした。
長谷寺のご本尊の十一面観音像は、高さ10メートルを越える巨大な像で、大磐石を守護する「雨宝童子」と「難陀竜王」を両脇に従えています。 清少納言ら平安朝の文学少女達も籠った場所で、静かに観音様を参拝しました。
長谷寺のあと十二柱神社では出雲人形の製作過程のビデオを見せて頂き、作者の水野さんもいらして、出雲人形を見せて頂きました。 この日の行程は次のとおりです。
近鉄長谷寺駅→長谷寺→十二柱神社(昼食)→白山神社→春日神社→玉列神社→近鉄朝倉駅
近鉄長谷寺駅から「ダンの平」方面

長谷寺下登廊付近のボタン

登廊右側のボタン

本坊のボタン

ボタン

本坊のボタン

本坊から本堂を眺望

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十二柱神社

野見宿禰五輪塔






平成25年相撲神社祠造営記念 祭文

出雲集会所にて、水野さま製作
出雲人形1

出雲人形2

出雲人形3

出雲人形4

出雲人形5

出雲人形6

愛宕山から全山桜の長谷寺の眺望は絶景でしたが、化粧坂の山道が急坂のため、近頃では登る人はめったに見かけません。昔、伊勢参りが盛んであった頃は、伊勢へ出かける人、また伊勢から来られた人は、化粧坂で身支度を整え、長谷寺にお参りをしましたので化粧坂という名が付けられたそうです。
本居宣長の『菅笠日記』によれば、宣長は明和9年(1772)に3月に吉野の花見を思い立ち、松阪から青山越えで伊賀に入り、榛原から西峠を越えて吉隠(よなばり)に入りました。そして、化粧坂を越えて長谷寺に参詣したと次のように、書いています。
『けはひ坂とて。さがしき坂を少しくだる。この坂路より。はつせの寺も里も。目のまえにちかく。あざあざと見わたされたるけしき。えもいはず。大かたここ迄の道は。山ぶところにて。ことなる見るめもなかりしに。さしもいかめしき僧坊御堂のたちつらなりたるを。はるかに見つけたるは。あらぬ世界に来たらんここちする。よきの天神と申す御社のまえに。くだりつきて。』
(尾崎・木下編「菅笠 日記」)
今回は長谷寺と境内の桜を紹介します。
長谷寺正面

長谷寺縁起

仁王門
長谷寺の総門。三間一戸入母屋造りの楼門。両脇に仁王像、楼上に釈迦三尊・十六羅漢像を安置。 現在の建物は、1894年(明治27年)の再建。最近、屋根の葺き替え工事が完了し、奇麗な楼門が姿を現わしました。

額字「長谷寺」は後陽成天皇の御宸筆

篠山美和さん御寄進の灯籠(写真家篠山紀信さんの御母堂です)。風雅な長谷型灯籠は他に例を見ません。

登廊
平安時代の長暦3年(1039)春日大社の社司中臣信清が我が子の病気平癒の御礼に寄進。108間、399段、上、中、下の三廊に分かれている。明治の火災で仁王門、下、中の登廊が焼失したが、明治27年(1894年)に再建された。
仁王門を出て、最初の登廊の柱の両側の字にご注目下さい。このお寺には神も佛もいます。

中登廊(石段右端の穴に注目。荷役に従事し、疲れ果て亡くなった牛の眼だそうです。誰もこの石段は踏まないそうです。)

下登廊横の桜が綺麗

鐘楼(尾上の鐘)(朝6時には鐘、正午には鐘と法螺貝が鳴り響きます。千年前からの習わしです。)

清少納言もホラ貝の音が突然鳴って驚きましたとさ

国宝本堂(右が観音堂です。特別拝観では内陣下まで入ることができ、巨大な観音様の足に触れます)

礼堂(平安貴族が観音さまのお告げを聞くために籠った場所です。源氏物語、蜻蛉日記、枕草子など参照)
多くの参詣者が寄進した絵馬や額などが所狭しと飾られています。

松尾芭蕉の句

伊勢松坂の豪商小津清左衛門寄進(宝暦4年(1754))の大香炉です。

同上

絵馬

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本堂正面(大悲閣とは観音堂のこと。平成16年12月国宝に指定される。徳川三大将軍家光の寄進により慶安3年(1650)、中井大和守(法隆寺宮大工出自)が大工棟梁となり造営)。入母屋造の正堂(間口9間、奥行5間)と礼堂(間口9間、奥行4間)からなる双堂形式で、前面に懸け造りの舞台が付く、大型建造物である。棟が八棟ある複雑な屋根構造を持つ。

本堂舞台からの眺望。正面に与喜山、愛宕山。 全山桜満開です。


本長谷寺 五重塔

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大黒天下の桜

本長谷寺(川原寺道明上人 天武天皇の病気平癒を祈願して銅板法華説相図を本長谷寺の地に祀る)

説明板

三重塔跡

昭和の名塔 五重塔

本長谷寺から本堂を眺望

双堂形式の複雑な屋根をもつ本堂

ボタンの名所、本坊

本坊から桜満開の本堂を眺望

同上

天皇皇后両陛下行幸記念お手植えの松(平成22年10月10日)

長谷寺ご詠歌石碑

ぼたん祭りのポスター

2019年4月9日、長谷寺(真言宗豊山派総本山)の桜が満開だと聞き、午後になりましたが、4月末のイベントの下見を兼ねて、全山桜咲く満開の長谷寺へ出かけました。今回は向かいの愛宕山に鎮座する愛宕神社から長谷寺を撮影した画像を紹介します。
愛宕山への登山ルートは2通りありますが、今回は與喜天満神社の赤い一の鳥居を右折して、化粧坂を、越え、地蔵堂に出てから、折り返して愛宕神社に至るルートをとりました。
長谷寺は現在、西国三十三ヶ所観音霊場第八番札所ですが、神亀4年(727)に長谷寺の僧・徳道上人が巡礼を始めたときには、第一番の札所でした。その後、270年後に花山法皇が巡礼を復興したときには、長谷寺は第八番札所となりました。
長谷寺は、いつ訪ねても「花の御寺」の名にふさわしく、その季節の美しい花が咲き乱れ、各地からの巡礼者が絶えることなく参詣し、しかも礼儀正しい若い僧達があいさつをしてくれ、とても心が休まります。
長谷寺のご詠歌、 『いくたびも参る心ははつせ寺 山もちかいも深き谷川』、 がぴったりのお寺です。
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参道店先のポスター

與喜天満神社入口 階段登る

参道の町並み

與喜天満神社一の鳥居

化粧坂

峠

峠を降ると地蔵堂

くわんのん石碑

庚申辻説明板

愛宕神社へ登り返す

愛宕宮

頂上付近から長谷寺方向

長谷寺本堂と登り廊

全山桜に包まれる

左上に五重塔

本堂登廊拡大

同上

五重塔
長谷寺の御本尊大観音特別拝観に行って来ました。 長谷寺は「花の御寺」と親しまれ、春は桜、五月はボタンで有名ですが、秋の紅葉も綺麗です。
仁王門をくぐり、下回廊に出る柱の左側に「諸天神祇在」(しょてんじんぎのざい)、右側には「諸仏経行所」(しょぶつきょうぎょうのところ)と書いた板が張られています。お坊さんのお話によれば、長谷寺には神も仏もお祀りしているという意味だそうです。つまり、古代より長谷寺は神仏習合のお寺だったということです。現在長谷寺は、真言宗豊山派の総本山でありますが、日本に仏教が伝来する以前から神をお祀りしていた、古い歴史をもつお寺だということです。
仁王門から下回廊、中回廊、上回廊と石段を上り、本堂に到着します。 石段は下回廊が一番段差が少なく、右に折れた中回廊はその倍ほどの段差になり、上段は一番大きい段差がある石段となります。 全部で108間、399段の階段を登ります。登りきったところに鐘楼があり、「尾上の鐘」が吊るされています。本堂前受付で特別拝観の手続きを済ませ、横手から内陣の中にある厨子内に入り、高さ10mを越える大観音の足元に到着します。大観音は盤石の上に立っており、足に触れることができます。
懸け造りの舞台は修理が完了し、現在は参詣者は舞台に入れるようになっていました。
本尊の特別拝観を済ませ、舞台に出て、紅葉を愛でながら、元長谷寺から五重塔、徳道上人開山堂へ参拝し、本坊から大悲閣と書かれた本堂を礼拝し、下山しました。 そこには、「いくたびも参る心は初瀬寺、山も誓いも深き谷川」という、いつもながら心の慰めとなる石碑にお目にかかりました。
長谷寺山門

長谷寺式石観音

縁起

仁王門

ご本尊特別拝観ポスター

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初瀬川の紅葉

本堂の紅葉

門前町

白髭神社
長谷寺は真言宗豊山派の総本山として、また西国三十三所第八番札所として、奈良時代から参詣者が絶えない素敵な寺院です。 季節によって桜、ボタン、あじさい、紅葉が全山を覆い、「花の御寺」として有名です。 私は高校生のとき、学校行事の遠足で、伊勢から近鉄電車に乗ってはるばる、拝観して以来の「長谷寺のファン」です。 また、西国三十三所巡りをはじめましたが、私の最初の巡札所はいつも長谷寺です。長谷寺のご詠歌はいつも心に沁みます。
「 いくたびもまいる心ははつせでら 山も誓いもふかき谷川 」
長谷寺の初代観音は近江国高島の樟の霊木を用いて三日間で造りあげた高さ10メートル余の巨大な像で、右手に錫杖、左手に水瓶を持ち、大磐石の上に立っています。現在の観音様は1538年(天文7)の作です。
奈良・平安時代から長谷寺の観音様の霊験あらたかで、多くの平安貴族の参詣もありました。源氏物語の「玉鬘」の巻では長谷詣での話が登場し、「二本の杉」が登場します。先日の猛暑のさ中に、二本の杉に、立寄った所、とても涼しい風が吹いていました。
<長谷寺山門>

<仁王門は修理中>

<修理概要>

<篠山美和銘燈篭>

<仁王門から下方>

<道明上人御廟>

<下登廊 二本の杉へ右折>


<道標>

<二本の杉>

<旧参詣道そばに二本の杉>

<旧参詣道そばに二本の杉>

<看板>

<昔の本堂への参詣道>

<下から二本の杉>

