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纒向遺跡第193次調査現地説明会

 桜井市教育委員会は2017年11月11日10時から纒向遺跡第193次調査現地説明会を開催しました。纒向での現地説明会は久しぶりの参加でしたが、旧纒向小学校跡のこの地に立つと、東には三輪山、巻向山、穴師山を望み、南には箸墓古墳をまじかに控え、北には纒向石塚、矢塚、勝山、東田の纒向型前方後円墳を望み、この平地部に3世紀前半から全国から人々が集まって都を構築し、交流をおこなったことを、想像すると何かしら郷愁を覚えないわけには参りません。

旧纒向小学校跡地は昭和54年から62年に渡る発掘調査で、前方後方墳メクリ1号墳が出土し、また祭祀土坑や掘立柱建物が出土し、平成25年にようやく、纒向遺跡が国の史跡に指定されました。 これに伴いこの地に休憩用の便宜施設やガイダンス施設を設置するため、桜井市が現地調査を行いました。

調査区は1区(ガイダンス施設建設予定地)と2・3区(メクリ1号墳東側周濠)からなります。
1区では、方形周溝墓4、5,6が出土しました。方形周溝墓4からは庄内形甕が出土し、溝の埋没時期は3世紀前半~中頃と考えられます。方形周溝墓5からは布留式期(3後半以降)の土器が見つかっています。方形周溝墓6からは庄内式前期の土器がみつかっており、3世紀前半に埋没したと考えられます。

2区・3区はメクリ古墳1号墳の東側周溝墓があったと想定される場所ですが遺構の残存状況が悪く、周濠の存在は未定です。

 庄内式土器を発掘した女性の方が、自分が発掘した現場で、出土時の土器の写真をかかげ、私がここを発掘しましたと述べられたのは大変印象的でした。発掘調査はこのような無名のパートの女性の方々によって担われれていることを知り感動しました。

現地説明会場(右側が旧纒向小学校跡、道路進行方向にJR纒向駅)
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会場(左に便宜施設、テント内に遺物、説明板) 
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調査区説明板
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調査区全体拡大図
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調査区1全体(左中央部に方形周溝墓4、右に方形周溝墓5)
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調査区2・3

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出土土器

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箸墓古墳
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纒向遺跡から柳本古墳群へ その3

JR巻向駅⇒メクリ1号墳⇒東田大塚古墳⇒八塚古墳⇒勝山古墳⇒石塚古墳⇒纒向遺跡辻地区⇒珠城山古墳群⇒纒向巻野内地区⇒上の山古墳⇒渋谷向山古墳⇒ヨカタ塚古墳⇒櫛山古墳⇒行燈山古墳⇒天神山古墳⇒黒塚古墳展示館⇒黒塚古墳⇒JR柳本駅


⑨ 纒向遺跡巻野内地区
   珠城山古墳群の北側で布留式期のV字形溝や土塁が検出された場所()があり、居館に関わるものと推定されています。
  またその南側で孤文板と韓式系土器()、絹製巾着袋などが出土()しています。またこの西側の国道沿いの場所で導水施設が検出されており()、このあたり一帯が布留0~1式期(3世紀後半)における纒向遺跡の中心部と考えられます。纏向遺跡はこの頃最盛期をむかえ、遺跡の範囲は約2.7平方キロという日本列島最大規模の集落遺跡となります。

<文献2)より)
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⑱家ツラ地区の導水施設
  中央に大きな木製の槽を据え、北・南・東の三方から木樋を通して水を注ぎ、槽に集めた水は西側へオーバフローさせ、木樋から素掘り溝へと排水しています。遺構は3世紀後半頃に遡る可能性が高い。
⑲家ツラ地区の孤文板と韓式系土器
⑳尾崎花地区の区画溝
㉑尾崎花地区の巾着状絹製品
㉒坂田地区の埴輪群

参考文献
1)有史会 「有史会報」平成27年7月1日号、7月例会案内
2)桜井市立埋蔵文化財センター 「纏向へ行こう!ー初期ヤマト政権発祥の地を歩くー」 

纒向遺跡から柳本古墳群へ その2

JR巻向駅⇒メクリ1号墳⇒東田大塚古墳⇒八塚古墳⇒勝山古墳⇒石塚古墳⇒纒向遺跡辻地区⇒珠城山古墳群⇒纒向巻野内地区⇒上の山古墳⇒渋谷向山古墳⇒ヨカタ塚古墳⇒櫛山古墳⇒行燈山古墳⇒天神山古墳⇒黒塚古墳展示館⇒黒塚古墳⇒JR柳本駅

⑥纒向大溝
 幅5m、深さ1.5m、長さ60m以上で北東から南西方向に流れる北溝と、幅5m、深さ1.5m、長さ140m以上で北西から南東方向へ流れる南溝が、纒向小学校運動場で人字形で合流しています。合流点では井堰が設けられ、北溝と南溝はさらに南西方向へ流れています。南溝は箸墓古墳へ向かって伸びています。大溝の護岸には矢板が打ち込まれており、大規模な土木工事が行われた人工水路です。溝の中から庄内式期から布留式期の土器や全国各地から人がやってきたことを示す外来系土器が大量に出土しています。

運動場から大溝合流点検出
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⑦纒向遺跡辻地区祭祀土坑群
  県営住宅のある地域の北部分には辻河道と呼ばれる埋設河川が確認されているが、この河川の南岸から21基の祭祀土坑が検出されている。いずれの土坑も湧水点まで穴を掘り下げており、内部には多くの土器や木製品が納められています。
特に直径5メートル、深さ1.2メートルもある大形の土坑四からは、庄内式と布留式期が交わる時期(布留0式)の大量の土器と、丸木弓・堅杵・機織具・腰掛・朱彩大型高杯・籠・箕・船形・鳥形木製品などとともに燃えさし、籾殻などが出土し、祭祀が行われたと考えられています。

⑦纒向遺跡辻地区建物群
  巻向駅を挟んで東西のトリイノ前地区で、庄内式期の東西に並ぶ柵や掘立柱建物が検出されています。それに重なるように布留二式期(四世紀半ば)の方形区画溝、五世紀末から六世紀初頭の石組溝、奈良時代の土坑などが検出され、辻地区一帯が長期間にわたって纒向遺跡の中心部であったことが分ってきました。

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穴師坐兵主神社鳥居
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垂仁天皇纒向珠城宮跡碑
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⑧珠城山一~三号墳
 6世紀後半代の古墳です。三号墳は墳丘が削平され消失しています。

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<1号墳横穴式石室>
1号墳の横穴式石室からは金銅製や鉄製の馬具類、三葉文環頭太刀、胡籙金具、挂甲などの武器類、金銅製勾玉、銀製空玉などの玉類やミニチュア甑などの土器類のほか、鉄製鎹, 鉄釘など多数の遺物が出土しました。

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<珠城山2号墳>
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<珠城山3号墳>
 3合墳には前方部と後円部に横穴式石室があり金堂製馬具や大刀、三輪玉など多数の遺物が出土しました。特に、心葉形杏葉、鏡板は藤ノ木古墳の馬具に匹敵する優品です。 また、前方部の端部の埴輪列が検出され盾持人埴輪が出土しています。
なお、3号墳の墳丘はほとんど失われています。

<珠城山2号墳から二上山の眺望>
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<2号墳からの眺望>
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珠城山古墳群からの眺望が抜群
<景行天皇陵1>
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<景行天皇陵2>
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<耳成山・畝傍山・葛城山>
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<箸墓古墳・耳成山・畝傍山・葛城山>
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纒向遺跡から柳本古墳群へ その1

 2015年7月19日有史会の7月例会で、橿原考古学研究所附属博物館の坂靖先生の案内で、「纒向遺跡から柳本古墳群へ」歩いてきました。 この日は大変蒸し暑くて、熱中症で倒れる人が出ないか心配しましたが、全員無事歩かれたようです。行程は以下の通りです。

JR巻向駅⇒メクリ1号墳⇒東田大塚古墳⇒八塚古墳⇒勝山古墳⇒石塚古墳⇒纒向遺跡辻地区⇒珠城山古墳群⇒纒向巻野内地区⇒上の山古墳⇒渋谷向山古墳⇒ヨカタ塚古墳⇒櫛山古墳⇒行燈山古墳⇒天神山古墳⇒黒塚古墳展示館⇒黒塚古墳⇒JR柳本駅

坂先生のお言葉

「近年、纒向辻地区の調査が進み、庄内式期の中心建物が検出され、邪馬台国との関わりが注目されました。それに重なるように異なる時期の遺構もあります。今回は庄内式期ばかりでなく、布留式期やそれ以外の時期にも留意しながら、纏向遺跡を歩き、北側にある柳本古墳群とどのような関係にあったのかを考えてみたいと思います。」

①メクリ1号墳
  ここは、辻地区と同じく、国の史跡に指定されたはずですが、遺跡の説明板は何もありませんでした。
  墳長28.5mの前方後方墳です。 纏向型前方後円墳の企画を踏襲しています。上面は完全に削平されていました。幅4mの周濠から庄内式期の土器が出土しています。

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②東田大塚古墳
 墳長120m、後円部径68m、前方部長50mで前方部の長い前方後円墳です。墳丘の下層に布留0式期の遺構があり、布留式期の3世紀後半頃に築造されたものと考えられています。

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③矢塚古墳
 墳丘長96m、後円部径64mの前方後円墳です。 現在は前方部は見えなくなっているが、西南部に32mの前方部を確認しています。周濠出土の土器は庄内式期に遡ります。

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④勝山古墳
 墳丘長115m、後円部径70m、前方部長約45mの前方後円墳です。前方部はやや長く直線的に開く形態を呈します。
周濠から刀剣把・槽・団扇形・U字形・船形など多数の木製品が出土。古墳外の北側から陶質土器と鍛冶関連遺物が出土。
周濠出土土器は庄内式期、周濠出土木製品の年輪年代は198年、推定伐採年代は210年以前と推定されています。
この古墳の東側に勝山東古墳があります。一辺25mの方墳で6世紀前半代に築造されたと考えられています。

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⑤石塚古墳
   墳丘長99mの前方後円墳です。周濠の南西側から鶏形木製品、南側くびれ部付近から孤文円板、その近くの前方部寄りの位置から木柱や鋤・鍬などの木製品が出土している。墳丘の下層、周濠内から弥生式土器や庄内式土器が出土していて、初期の調査を担当した石野氏は日本列島で最古の前方後円墳としています。
 また、近年の調査で前方部の北東に墳丘長20mの帆立貝式の石塚東古墳が確認されました。ここから円筒埴輪が出土していて、5世紀後半から末に築造されたものと考えられます。

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纒向遺跡第180次調査現地説明会

 2014年2月9日全国的に大雪に見舞われた寒い日、午前10時より午後3時まで桜井市教育委員会による纒向遺跡第180次調査の現地説明会が行われ、大勢の人が参加されました。発掘現場は人家に囲まれた狭い場所であるため、一度に入る人数を制限し、順番を待って見学しました。現場説明は桜井市の若手技師森暢郎氏(桜井市纒向学研究センター研究員併任)が担当されました。
 俳優の苅谷俊介さんが今回の発掘調査にも参加されていたそうです。苅谷さんは「まほろばの歌がきこえる~現れた邪馬台国の都」(1999 H&I出版)というご本を出版されており、発掘のプロです。桜井市に聖徳太子の父用明天皇の磐余池辺雙槻宮があったとされていますが、いまだにその場所が分っていません。桜井市には聖徳太子の上ノ宮遺跡や聖徳太子が指導された芸能の発祥地「土舞台」があります。

 今回の調査で分ったことは以下のとおりです。

1. 概要
 JR巻向駅の東側を今回発掘したところ、建物Fを検出し、従来より巻向駅西側で検出されていた建物B,C, Dと同時期の建物であり、大型建物群が東側にも広がっていた可能性が高まった。3世紀前半~中頃に、この場所に類例のない大型建物群があったことを検証する発掘であり、日本の古代史特に大和王権成立史を解明する上で、非常に意義が大きい。

2.遺跡の説明

2.1 建物Fの検出(以前の大型建物と共存)
 今回の調査区はJR桜井線(万葉まほろば線)巻向駅のすぐ東側で東西10m、南北20mの地域です。東西2間(3.4m)かそれ以上、南北3間(6.7m)の建物Fの柱穴を検出しました。柱穴は10個見つかり、一辺40cmから60cmで隅丸方形の穴が多い。建物Fは真北に対して4~5度西に振っている。一部柱穴が布留0式土器が出土した土坑によって壊されておりそれより古い建物であると言える。

なお、JR巻向駅の西側で行われた2009年の調査で検出された3世紀前半としては国内最大規模の建物B,C,D(東西12.4m、南北19.2m)と建物Fは中軸線が一致し、建物Fはこれらと時代も矛盾がなく、共存していた可能性があるそうです。

2.2 建物G(?)
 調査区北西部分で3つの柱穴が検出されました。柱穴は長辺80cm、短辺50cmと大きく、柱下には板材が敷かれていました。布留I式期(3世紀末~4世紀前半)以前の建物G(?)と考えられるが、詳細は不明である。

2.3 南北溝(SD-1002)
 幅2.5m、長さ20m以上の南北溝が検出された。布留0式期に下層が埋没し、布留1式期(3世紀末~4世紀前半)に上層が埋まったと考えられる。

2.4 東西溝1(SD-1006)
   北側の東西溝1で幅約2.5m、長さ10m以上。布留0式期(3世紀後半)に埋没。

2.5 東西溝2(SD-1001)
   北半の東西溝2で幅0.8m、長さ6.6m以上。布留1式期(3世紀末~4世紀前半)に埋没。

2.6 柱列① 
   SD―1006とSD―1001の東西の柱列。3間分、約9mを検出。

2.7 柱列②
   SD-1002の西側の南北の柱列で、5間(約10m)。

2.8 陶質土器の検出
   建物Fの土坑の近くから朝鮮半島(慶尚道か?)製とみられる陶質土器片が出土。
   SD-1002より緑色凝灰岩片が出土。

3.写真


<写真 調査区> 

<従来の建物B,C,Dと今回の調査区:JR巻向駅の西と東>

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<今回調査現場>

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<写真 現場>

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<写真 建物F>

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<写真 土坑と陶質土器出土場所>

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<出土品>

<写真 建物Gの柱の底にあった板>
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<写真 陶質土器>
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<写真 出土土器>
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