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仏教の伝来と聖徳太子

 奈良県王寺町主催の歴史リレー講座が開催されました。本日は帝塚山大学教授(前奈良国立博物館学芸部長)の西山厚先生の講演「仏教の伝来と聖徳太子」がありました。西山先生は仏教史を専門としておられますが、奈良博物館では学芸部長として、独創的な展示で活躍されました。

 本ブログでもこれまで、先生と一緒に鑑真の足跡を訪ねて中国揚州へ旅行した記事や、鑑真が日本へ上陸した地の鹿児島県坊津へ旅行した記事を掲載してきました。 今回の講座は、大変魅力的なテーマだったので、西山先生の切り口でどのような話になるか楽しみにしていましたが、期待通り素晴らしいお話でした。

最初に西山先生はなぜ日本に仏教が伝わったのかについて、次の問を発っせられました。 配布されたレジメから問を引用します。

日本には百済から仏教が伝えられた。

それはいつなのか。
そのころ日本はどのような状況だったのか。
そのころ百済はどのような状況だったのか。
なぜ百済は日本に仏教を伝えたのか。
仏教を伝えるとは具体的には何を伝えるのか。
仏教が伝えられて日本はどうなったのか。

朝鮮半島の高句麗には372年に中国の前秦王から使者と僧を遣わし、仏像と経典を伝えました。 また百済には384年に東晋から西域僧が来て寺を建立しました。新羅には5世紀前半と後半に高句麗から僧が来て伝えました。日本には百済からの救援要請に伴い欽明天皇のときに仏教が伝えられました。

講演では「日本書紀」に記載された仏教伝来に関する記事を、西山先生が丁寧に解説され、それに基づいて仏教伝来の経過を解説されました。日本書紀に基づき、真正面から本質を付いた素晴らしい解説でした。

- - -
次に、法隆寺と聖徳太子に関する以下の問を発せられました。

① 法隆寺は、いつ誰がなんのために建てたのか?
② なぜ、法隆寺は焼けたのに、釈迦三尊像などの古い仏像が残っているのか?
③ なぜ、法隆寺は場所を変えて再建されたのか? 誰が再建したのか?
④ なぜ、金堂と五重塔の建築様式がまるで違うのか?
⑤ なぜ、五重塔の心柱に、594年頃に伐採された古い木が使われているのか?
⑥ なぜ、奈良時代にできた夢殿に、飛鳥時代の救世観音像が安置されているのか?
⑦ 「法華義疏」は、本当に聖徳太子が書いたものなのか?
⑧ 聖徳太子は本当にいたのか?

上記⑦の問について、西山先生は法華義疏を調査された結果、これは99.9%聖徳太子の真筆であろうと断言されました。しかも、本文の前半は詳しい記述となっているが、後半は簡単になっているので、606年岡本の宮で聖徳太子が推古天皇に対して講説したときの、講義ノートではないかと推測されていました。 本文は何回も字を小刀で削り、紙を貼り付けて推敲・訂正を繰り返した跡があり、また返り点を付けて、書き順を訂正しているのは、日本人が書いた証拠である。 また、筆跡を見ると聖徳太子の字は丸みのある筆跡をしていると述べられました。 書道や筆跡鑑定について非常に詳しい西山先生ならではのお話しでした。

また、法華義疏が真筆であるならば、聖徳太子はもちろん存在した。 また、憲法17条の第10条は聖徳太子以外の誰も作れない思想であり、文章である。17条憲法は聖徳太子が書いたのではないという人がいるが、それならば誰が作ったのか教えて頂きたいとおっしゃっておられました。

以上

追伸: 明日2月22日は時あたかも聖徳太子の命日であり、法隆寺から大阪磯長の叡福寺まで聖徳太子葬送の道を歩く集いがあります。




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