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広隆寺の弥勒菩薩

 2016年4月15日に京都市右京区太秦蜂岡町に所在する広隆寺を訪ねました。広隆寺は推古11年(603年)に、秦河勝が聖徳太子から仏像を戴いて建立した蜂岡寺(日本書紀)で、秦寺、秦公寺、葛野寺、太秦寺などと呼ばれました。京都で最古の寺院です。 

『法隆寺伽藍縁起并流記資材帳』に記された推古天皇と聖徳太子によって建立された七大寺、(1)法隆学問寺(法隆寺) (2)四天王寺(3)中宮尼寺(中宮寺) (4)橘尼寺(橘寺) (5)蜂岳寺(広隆寺) (6)池後尼寺(法起寺) (7)葛城尼寺(葛木寺)、の一寺院です。

日本書紀によると、蜂岡寺建立4年前の推古7年(599年)には、地震が発生して建物がすべて倒壊し、全国に命じて地震の神をお祀りさせたとあります。599年に飛鳥・近畿地方に直下型の大地震が起こったのかも知れません。私も熊本地震の鎮静化をお祈りしました。日本書紀の最古の地震記録は允恭天皇五年秋七月十四日(416年8月23日)、地震があったとあります。2番目に古い記録が推古7年の地震です。

広隆寺は818年、1150年に火災に会いましたが、多くの古い仏像が保存され、国宝20点、重要文化財48点を保有しています。
弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)は霊宝館という新しい建物に、他の多くの仏像とともに安置されていました。以前は、お堂で拝顔した記憶があります。飛鳥時代の作で用材は赤松です。改めて拝顔して、お顔が慈悲深く、微笑んでいるように見えました。何か心が洗われる清々しい感じがし癒されました。しばし、じっと見つめていました。 やはり、写真で見かけるように、正面の右斜め方向から見るお姿がとても、美しく見え、見とれていました。

その隣に安置されていました、弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)(名前が同じなのでややこしい)は「泣き弥勒」とも呼ばれ、べそをかいているように見えました。百済が滅亡し、国を亡くし、悲しんでいるのかも知れません。左足の指先が綺麗に作られており、注目してしまいました。

不空絹索観音像(国宝)は天平時代の作で、八臂の立像で大きかったです。八本の手のシンメトリの美しさ、特に胸の前で手を合わした左右の手は、興福寺の阿修羅像の手のように美しかったです。

十一面千手観音立像(国宝)は、弘仁時代の作で十一面四十二臂の持ち物も儀軌の規定にしたがって作ってありました。

以上、広隆寺は仏像の宝庫であり、また機会があれば、ゆっくりと訪ねてみたいと思いました。

南大門(1702年再建)
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講堂(重要文化財)
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上宮王院太子殿(本堂、1730年建立)
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霊宝殿(1982年建立)
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