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脇本遺跡

 万葉集全二十巻四千五百十六首の冒頭に雄略天皇(456〜479)の歌が掲載されています。 また、万葉集最後の歌は天平宝字三年(759年)正月元旦に大伴家持によって因幡の国庁に於いて詠まれた歌が、掲載されています。

  4516番  『新(あらた)しき 年の初めの初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)』
           ( 右の一首は、守大伴宿祢家持の作りしものなり )

大伴家持など万葉集編纂者が生きていた時代には、雄略天皇の治世は古代の画期と見なされていたようで、雄略天皇が詠んだとされる歌を万葉集の冒頭にもってきました。

中国の史書によれば、五世紀に、倭の国王「讃(さん)、珍(ちん)、済(せい)、興(こう)、武(ぶ)」が中国江南の王朝に使者を派遣したこと、478年に武(「雄略天皇」説が有力)が、中国宋に上表文を送ったことが書かれています(河上麻由子『古代日中関係史』中公新書、2019)。

また、埼玉県稲荷山古墳出土鉄剣銘文に、ワカタケル大王が斯鬼宮(しきのみや)におわすとき、…と刻まれています。
また、熊本県江田舟山古墳出土太刀にワカタケル大王の銘が刻まれています。

ワカタケル大王の宮の位置が刀剣の銘の宮の位置と一致するので、ワカタケル=雄略天皇であることは間違いないと考えられています。

日本書紀によれば、雄略天皇(456〜479)は、大泊瀬幼武天皇(おおはつせのわかたけのすめらみこと)と記され、安康三年十一月(456年)に泊瀬の朝倉に壇を設け、宮を定めて、皇位につきました。この地は大和から東国へ向かう出発点であり、また大和川を利用して難波に至る交通の要衝でもありました。

桜井市や橿原考古学研究所によって1981年から開始された18次に渡る発掘調査によって、泊瀬朝倉宮は桜井市脇本の春日神社を中心とする一帯ではないかと、現在では推測されていますが、まだ決定的な宮殿跡の建物を検出した訳ではありません。
今後の調査に期待したいと思います。 

朝倉小学校体育館建設に先立って、1981年(昭和56年)に初めて発掘調査が行なわれました。6世紀前半の石組溝が検出され、体育館下に保存されました。その後、プール予定地で掘立柱建物跡が発掘されました。

その後、「磯城・磐余の諸宮調査会(池田栄三郎桜井市長が会長)」が発足し、1984年以来、9次にわたって春日神社南の燈明田地区、宮ノ本地区等で発掘調査が行われ、5世後半、6世紀後半の建物の柱穴、7世紀後半の建物跡などが検出され、雄略朝、欽明朝、天武・持統朝の遺跡が一部見つかっています。この地では弥生時代の竪穴式住居も見つかっており、脇本遺跡は長期にわたる広範囲の遺跡であることが分かりました。

春日神社付近の地図


春日神社鳥居
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春日神社境内
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説明板
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拝殿
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本殿(狛犬の代わりに鹿が鎮座します)
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大木の切株に植樹
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本殿
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朝倉小学校と万葉歌碑
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第18次調査現地説明会
一次〜18次調査区
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18次調査区(現、コンビニ・ローソンの下)
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現説様子
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