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平城京「十条」条間北小路発掘調査現地説明会

 2019年3月16日に、大和郡山市教育委員会による「平城京南方遺跡範囲確認調査(第5次)現地説明会」が開催されました。この日は朝から激しい雨でしたが、10時には雨が上がり、説明会が予定通り実施されました。

調査区は平城京羅城門跡(羅城門橋下の佐保川の川底)近くで、佐保川の堤防に近く、田畑となっている低地で、1m掘れば奈良時代の遺構が出てくる場所です。羅城門橋を渡ると奈良県下最大のショッピングセンターのイオンモールがあります。

今回の調査区は平城京右京域の「十条」条間北小路推定地であり、想定通りの場所から、溝1(幅2.6m, 深さ45cm)、溝2(幅1.8m,最深36cm)、「十条」条間北小路(幅7.6m)、溝3(幅3.6m、深さ75cm) が検出されました。溝2は奈良時代の中頃に埋められ道路幅が拡張されました。溝1からは奈良時代後半の土器や、土馬、棒や板状の加工木が出土しました。

今回の調査によって九条大路以南の十条及び十条条間においても平城京の道路規格に準拠した道路が存在したことが確定しました。

平城京は最初は藤原京と同様に十条であったが、その後、聖武天皇の時代に都が恭仁京に遷都され、平城京は廃絶されましたが、聖武天皇が彷徨の旅を終え平城京に戻った頃に、羅城門や羅城(平城京を囲む築地塀のこと)が整備されたと考える説が成り立つかも知れません。

平城京は最初から長安の都を手本として作られ、九条であり、羅城門も当初からあったと考えられる説が有力ですが、十条道路が存在したのは、何故でしょうか?

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文献の記事
続日本紀 (宇治谷訳)
・ 714年(和銅7年)12月26日
 新羅の使者が入京した。従六位下の布施朝臣人・正七位上の大野朝臣東人を遣わして、騎兵百七十騎率い、三橋に迎えさせた。

・ 747年(天平19年)6月15日
 羅城門(平城京の正門)において雨乞いを行った。

「東大寺要録」所引 「大和尚伝」
・ 754年(天平勝宝6年)2月4日
 羅城門の外にて、勅使正四位下、安宿王(あすかおう)が京域の官僚・僧徒・文人たちを率いて、鑑真和上一行を出迎え、東大寺へと案内した。(安藤更生、「鑑真」、 吉川弘文館)

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下の写真手前の道路遺構が調査区。
左の高架橋は九条大路、奥の堤防は佐保川
佐保川に架かる高架橋は羅城門橋(橋下川底が羅城門跡)
その手前の入口に鳥居がある墓地は、来生墓(らいせいはか)という。

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平城京羅城門と調査区の場所(平城京「十条」、羅城門の左(右京)
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調査区(赤丸)
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テントが調査区、 電車はJR郡山方面へ
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溝1,溝2、道路遺構(北→南)
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十条条間北小路の道路幅
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溝3(南側)
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手前が北→奥が南(遺構全体)
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調査員の説明
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出土遺物(溝1)
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出土遺物(溝3)
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大和郡山市羅城門説明板(高架橋下)

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