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記紀万葉の人々と木簡

2012年9月29日、三輪山セミナーで大阪大学大学院准教授市大樹(いち ひろき)先生による「記紀万葉の人々と木簡―飛鳥の木簡から」と題する講演がありました。先生はお若い方ですが、奈良文化財研究所飛鳥・藤原京跡発掘調査部に所属し、木簡の発掘調査にも関わられました。現在は大阪大学で教鞭をとっておられます。話は大変分りやすく好評でした。
講演項目は
1. 木簡とは何か、
2. 天武天皇をめぐる皇子たちについて
3. 王仁(ワニ)氏に関わること
です。
 
 木簡は現在まで、飛鳥時代の7世紀前半(640年代が多い)以後のものが出土している。6世紀の木簡はまだ見つかっていないが、飛鳥以前に都があった、磐余の遺跡から、今後見つかる可能性はある。飛鳥浄御原宮の時代の天武・持統朝から急激に木簡が増加し、1万点を突破する。藤原京時代には約3万点、平城京時代は20万点を突破している。

日本書紀の天武10年(681年)の記事に「帝紀、上古の諸の事を記すこと」いう記述があり、日本書紀の編纂は681年に始まったことが分る。

伝板蓋宮跡出土の木簡には天武天皇の子の名前が書かれた木簡が出土している。例えば、大津皇子、大友、太来(大来)、辛巳年(しんしねん:681年)の木簡が出土している。

 天武天皇の皇子、大伯皇女、大津皇子、天智天皇の皇子大友の皇子の名前があり、また壬申の乱と関係のある地名が書かれた木簡、伊勢国(三重)、近淡海(滋賀)、朝明評(三重四日市)が出土しており、歴史書編纂に関わりがある木簡であるかも知れない。

 また、万葉文化館が建っている飛鳥池遺跡は、飛鳥時代の工房跡であり、鉄、銅、ガラス、漆などの製品が作られ、富本銭が出土したことで有名である。この物作り現場から出土した木簡が8000点近くある。

 釘の形をした木簡の表には舎人皇子と書かれ、裏には百七十と書かれている。この木簡は「様(ためし)」と呼ばれている製品見本であり、舎人皇子が釘170本を発注したことを意味する。現在でも製品を作る前には試作品を作るが古代より、鉄の釘を作る前に、木製のサンプルを作って発注していたことが推測される。

なお、舎人皇子は日本書紀編纂の最高責任者で大和郡山市の松尾寺、東明寺の開基者です。

 また、大伯皇子宮物と書かれた木簡、穂積(皇子)と書かれた木簡が出土しており、工房へ物の製造を発注していたことが分る。この飛鳥池遺跡は朝廷・皇族が発注した物を製造する最も重要な工房跡です。

石神遺跡からは円盤に穴が開いて蓋として利用されていたと推定される木簡が出土した。これは具注暦木簡で暦の木簡である。

藤原京出土の薬扱役所出土の木簡から多治麻内親王宮の者が薬を受領したと書かれた木簡が出土している。

古事記の応神天皇段に記事があり、百済の王仁(わに)氏が来日して日本に論語十巻と千字文一巻(漢字)を日本にもたらしたことが書かれている。角材の側面に論語が書かれた木簡が徳島観音寺遺跡から出土している。

飛鳥池遺跡の木簡から4組の漢字を単位とした千字文木簡が出土している。また、漢字の読み方を書いた辞書の木簡が出土しており、韓半島から漢字の使い方の技術に関する直接的な影響を受けていることが分る。

<参考書>

市 大樹 「飛鳥の木簡ー古代史の新たな解明」中公新書 860円、2012.6.25発行
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