三輪の町
江戸時代の「大和名所図会」には、大神神社の近くに神宮寺である「大三輪寺」が描かれています。このお寺は大御輪寺とも呼ばれました。大神神社には江戸時代には平等寺、大御輪寺、浄願寺(尼寺)の三つの神宮寺がありましたが、廃仏稀釈によりお寺は廃止されました。
大御輪寺の本堂には、大物主の子孫の大直禰子と十一面観音、地蔵菩薩がお祀りされていました。明治初期の廃仏毀釈のとき、地蔵菩薩は法隆寺に、十一面観音は聖林寺に移し、大直禰子を若宮としてお祀りする若宮社としたため、建物は破壊から免れました。神社でありながらお寺の本堂が神社の本殿として残った訳です。奈良時代の稀少な神宮寺の建物として、現在重要文化財に指定されています。
大和名所図会
左に三重塔が描かれた「大三輪寺 若宮」の境内が描かれています。右は松並木の参道と大三輪社が描かれています。

現在の若宮社

本殿

祭神

間口5間、奥行5間の建物

三輪の町は大神神社の古代においては門前町として、平安時代からはお伊勢参りの街道筋、すなわち上ツ道沿いの宿場町として発展してきました。 大神神社の一の鳥居は上ツ道沿いにあり、現在の大鳥居のすぐそばにありました。
一の鳥居
上ツ道沿いに大神神社の一の鳥居が建っています。大鳥居は昭和61年建立で鋼管でできています。

上ツ道沿いの旧家(大正15年築の元酒問屋)。この道を北上すると箸墓古墳の後円部を通り奈良市へ通じている。

説明

網越神社(大神神社摂社)

三輪の街中の道標:右 はせ、いせ、とふのみね/よしの、おおみね山

旧家(明治23年築三輪素麺問屋、「緒環素麺司」は明治天皇天覧を機に掲げられた。


恵比寿神社





大御輪寺の本堂には、大物主の子孫の大直禰子と十一面観音、地蔵菩薩がお祀りされていました。明治初期の廃仏毀釈のとき、地蔵菩薩は法隆寺に、十一面観音は聖林寺に移し、大直禰子を若宮としてお祀りする若宮社としたため、建物は破壊から免れました。神社でありながらお寺の本堂が神社の本殿として残った訳です。奈良時代の稀少な神宮寺の建物として、現在重要文化財に指定されています。
大和名所図会
左に三重塔が描かれた「大三輪寺 若宮」の境内が描かれています。右は松並木の参道と大三輪社が描かれています。

現在の若宮社

本殿

祭神

間口5間、奥行5間の建物

三輪の町は大神神社の古代においては門前町として、平安時代からはお伊勢参りの街道筋、すなわち上ツ道沿いの宿場町として発展してきました。 大神神社の一の鳥居は上ツ道沿いにあり、現在の大鳥居のすぐそばにありました。
一の鳥居
上ツ道沿いに大神神社の一の鳥居が建っています。大鳥居は昭和61年建立で鋼管でできています。

上ツ道沿いの旧家(大正15年築の元酒問屋)。この道を北上すると箸墓古墳の後円部を通り奈良市へ通じている。

説明

網越神社(大神神社摂社)

三輪の街中の道標:右 はせ、いせ、とふのみね/よしの、おおみね山

旧家(明治23年築三輪素麺問屋、「緒環素麺司」は明治天皇天覧を機に掲げられた。


恵比寿神社




