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京田辺市 観音寺(大御堂)の十一面観音拝観

 観音寺(大御堂) 京田辺市普賢寺下大門 真言宗智山派 

一休寺から観音寺までは、車で、山手幹線を通り、同志社大学京田辺キャンパスのチャペルを見ながら進むと、15分少々で到着しました。 旅行社の団体ツアー客などで賑わい、少々喧噪状態にあった一休寺と比べて、観音寺には旅行社の団体客はいなくて、大御堂は広々とした田園風景の中にあり、遠足で来た近くの普賢寺の幼稚園の子供達の遊び場となっていました。子供たちから、色々と話しかけられ、お話をしていると、とても心が癒されました。

 白洲正子さんの「十一面観音巡礼」の本を読んで、以前から一度是非、お目にかかりたいと思っていた国宝の十一面観音と、はじめて出会うことができ、とても感激しました。 受付の看板に導かれて、民家風の庫裏にて住職さんに拝観をお願いすると、本堂の前で待つよう言われました。 

本堂 ご本尊 十一面観音
(国宝、木心乾漆造漆箔、像高172.2cm、8世紀後半頃)

ほどなく袈裟を身に付け正装されたご住職が来られ、本堂内に導かれ、十一面観音のお厨子を開けられ、まずは線香に火を付け、お香を焚いて、焼香しました。 住職に促され厨子の真近まで行き、お姿を拝観させて頂き、とても驚きました。 予想以上に、美しく艶やかで、慈悲深い気品あふれる、知性的なお顔をしており、大変驚きました。 まだらな金箔が残るお姿を想像していましたが、それとは違って、黒漆が表に出て綺麗な、お姿となっていました。 頭部の十一面の小さなお顔もきれいにすべて整っていました。 光背の円型の枠が金色に輝きとても観音様とマッチしていました。聖林寺の国宝の十一面観音像と大変良く似たお姿でした。

 十一面観音を前にして、住職からお寺の歴史と十一面観音像について法話をお聞きしました。 寺伝によると、お寺は飛鳥時代に天武天皇の勅願によって、義淵僧正が開基したとのことです。その後、聖武天皇の御願により744年(天平16)に、東大寺の良弁が伽藍を増築して、普賢教法寺と呼ばれたそうです。なお、十一面観音はもと普賢教法寺の旧仏で、天平16年(744)、良弁によって安置されました。東大寺二月堂の修二会の行事のとき、松明に使う孟宗竹を、普賢寺から東大寺に送る、竹送りの行事が復活した記念の石碑が建っていました。 

その後は興福寺の別院となり、藤原氏の帰依を受けて栄え、盛時は諸堂13、僧坊20余を数える大寺であったと言われています。しかし、1437年(永享9年)の火災で大伽藍は焼失しました。その後も再建されるも旺時の寺勢には及ばなかったそうです。

 境内には本堂(昭和28年再建)、鐘楼(昭和49年再建)、庫裏があります。本堂西の小高い丘に塔心礎が残ります。また、古瓦の断片が散見されます。

「南山城の古寺」という小冊子を購入しましたが、その最初に紹介されているお寺が観音寺でした。 黄色い菜の花と桜咲く田園風景の中にある観音寺の屋根を見て、春先にまた訪ねたいと思いました。

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大御堂への参道
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本堂
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本堂
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本堂前 観音寺説明板
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本堂前庭園
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大御堂前広場
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鐘楼
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鐘楼と子供達
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二月堂竹送り復活の地石碑
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2018年3月東大寺2月堂参籠所前
お水取りの行事で送られた竹

京田辺市普賢寺墨書
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童子が担いで登廊する竹 京田辺市丁田墨書
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