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京田辺一休寺の紅葉

一休寺(酬恩庵) 京田辺市 臨済宗大徳寺派
 
 紅葉シーズンに入り、久しぶりに京都府の南山城の古寺を巡ってきました。 

最初に、京田辺市の一休寺へ行ってきました。参道のカエデの色付き具合は、まだ少し早いという所でしょうか。 参道に植えられた、カエデの木が大きくなり、枝が繁っているのには、少々驚きました。木の成長は早いですね。
 
 寺伝によると、鎌倉時代の正応年間(1288~1293)に、臨済宗の高僧大応国師(だいおうこくし)が、一休寺の前身の妙勝禅寺を建立しましたが、兵火で荒廃しました。その後、一休宗純(一休禅師)が1456年に再興し、63歳のとき、そばに自らの隠居所として草庵を構え、師恩に報いるという意味で酬恩庵(しゅうおんあん)と名付けました。
 一休禅師は1394年の生れ、後小松天皇の皇子ともいわれています。6歳のとき、京都安国寺で出家し、各所を遍歴しながら、禅の修行を重ね、自らの禅を追求しました。

 1467年に起った応仁の乱で京都が戦場になると、一休禅師は酬恩庵に身を避けましたが、さらに兵火が当地に及ぶと、大和、和泉を巡り、住吉に仮居し、そこで30歳代の遊芸人森女に出会います。 後に、一休76歳にして森女を酬恩庵に呼び、40歳の年齢差を越えて同居して愛し合い、その様を漢詩「狂雲集」に著す。

一休禅師は、81歳の1474年に、京都大徳寺の住持となり、その再興をはかり、酬恩庵から大徳寺へ通いました。 一休禅師は1481年に弟子の墨済に命じて、自らの木像を彫らせ、自分の髪と髭を抜いて植えさせました。その木像が方丈中央に安置されています。その年の11月、一休禅師は88歳にして示寂しました。

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総門
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全景絵図
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記念碑
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石畳の参道(乱礫)
  石畳の長い参道が続く。乱礫が続く。両側には一面の青苔とカエデが美しい。秋は紅葉が美しく冴えわたる。庫裏の玄関から入り、方丈へ。

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参道の紅葉
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名勝酬恩庵庭園説明
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方丈の庭園:
枯れ山水:南、東、北の三面からなる。江戸時代初期、松花堂昭乗、佐川田喜六、石川丈山の合作といわれるが詳しくは不明。
方丈の縁側に座り南庭を拝見する。


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白砂が一面に敷き詰められ、西にソテツ、いくつもの丸いサツキの刈り込み。

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生垣越に檜皮葺き屋根の虎丘庵(こきゅうあん)と一休の墓である宗純王廟の屋根が並ぶ。
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唐破風
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東庭:大小の石を羅漢になぞらえた「十六羅漢の庭」とも呼ばれる。
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北庭:枯滝落水の趣を表現した枯山水の庭。
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方丈は1650年加賀前田利常が再興した。

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浴室(重要文化財)
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一休禅師のお墓
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本堂
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開山堂
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鐘楼(重要文化財)
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一休禅師像
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