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三輪山と大物主神の出現

2012年7月28日三輪山セミナーで寺川眞知夫氏による「三輪山と大物主神の出現」と題する講演がありました。

講演項目は、

1.大物主神は三輪山に鎮座し、天から山、あるいは山中の磐座もしくは神籬としての杉に降臨して来る神のよう にみえるのに、何故海の彼方から来臨したのか、また記はなぜその名前を曖昧にするのか。
2.大物主神という神名は如何なる意味と性格を表すのか。

 以上の問題を古事記や日本書紀を抜き出して解明されました。

考古学からみた古事記

 2012年7月21日に田原本町第2回万葉歴史講座において、辰巳和弘氏による「考古学から見た古事記―琴と夢の語り―」と題する講演が行われた。講演は家形埴輪と琴をひく人物の埴輪という考古学上の遺物と古事記、日本書紀、万葉集の記事とを対照させた大変面白いお話だった。

1. 家形埴輪と古事記

 大阪府八尾市美園古墳(7.2m四方の方墳、5世紀)の周濠から26~28個の壺形埴輪と2個の家形埴輪が出土した。これらの埴輪は方墳上にあったものであり2個の家形埴輪の周囲を壺形埴輪で取り囲んでいたものと推定される。1つの家形埴輪は、入母屋造高床式の2階建の建物で、中にベッドが置いてあり、部屋の内部は朱色に塗られていた痕跡がある。外側の4面の中央には盾が線刻されている。内部のベッドは床より3.5cm程高くなっており、これは「神牀」(かむとこ)であり、夢で神のお告げを聞く施設であると想像される。
 古事記崇神紀の記事中に疫病の話があり、「神牀」(かむとこ)で、夢に神が現れお告げを聞いた意富多多泥古(おおたた ねこ)に関する話が載っている。出土した家形埴輪にあるベッドはこのような話しに出てくる「神牀」にあたるものと考える。何か困ったときには、夢に出てくる神のお告げによって解決するという話が古事記や日本書紀によく出てくる。

2.琴をひく人物埴輪と古事記

 は弥生時代および古墳時代の遺跡から良くでてくる。これまで50例以上出土している。群馬県前橋市出土の琴をひく人物像は、下げ角髪(みずら)を結っており、 腰から下の足を両脚表現しているので高貴な男性像であり、琴を膝の上に載せて演奏している。古代は男性が琴をひいていた。古事記仲哀天皇紀には天皇が琴をひく話が出てくる。また、日本書記允恭天皇紀に天皇が琴をひき、皇后が起って舞う記事がある。神を呼びよせるため琴をひく話も出てくる。また、万葉集巻第七に大伴旅人の倭琴を詠む歌がある。

<写真: 辰巳和弘先生は元同志社大学教授です。>
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独立行政法人 奈良博物館 「古事記の歩んできた道」特別陳列

 先日、独立行政法人「奈良国立博物館」での、古事記撰録1300年「古事記の歩んできた道」と称する特別陳列に出かけてきた。三輪山セミナーで前園実知雄先生の太安萬侶の墓の発掘調査に関わる講演を聞いたばかなので、私にとっては大変タイムリーな展示であった。
 
 展示室へ入ると最初に目に飛び込んできたのが、ガラスケースに入った「太安萬侶の墓誌」である。発掘の際に発見した銅版のかけらによって、墓誌が納められていた方向が確定できたそうである。スライドでは見たが本物を見るのは初めてである。墓誌の文字ははっきりと読み取ることができ、綺麗な楷書体で2行41文字で、

『左亰四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥年七月六日卒之 養老七年十二月十五日乙巳』

と刻印されているのが確認できた。非常にシンプルな墓誌であるが文字列は貴重である。

 次に、国宝の古事記中巻真福寺本(愛知大須観音宝生院蔵)を見た。古事記中、景行天皇紀の思国歌(くにしのびうた)のページは傷むため期間限定(6月26日~7月1日)で展示されていた。
 原文: 夜麻登波 久尒能麻夲呂婆 多々那豆久 阿汞加岐 夜麻碁母礼流 夜麻登志
     宇流波斯
 
 碑文: 大和は国のまほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和し 美し
     (川端康成書: 奈良県桜井市井寺池の堤に建つ)
 意味:やまとは国の中でいちばん良いところである。幾重にも重なり合った青い垣根のような
山やまにかこまれた大和はほんとうにうるわしいところであります。
(桜井市記・紀 万葉歌碑、桜井市観光協会より引用)

 本居宣長が京都で入手した古事記(寛永二十一年版、三重県松阪市本居記念館所蔵)は、特に倭健命が能煩野で崩御する箇所が付箋書き込み付きで展示され、宣長の調べの綿密さの一端を伺うことができ面白かった。また、膨大な古事記伝の展示もあった。
 
このほか日本書紀も展示されていた。また、先代旧事本紀も展示されており、これを偽書とする根拠はなく記紀に書かれていない記事も多くあり、貴重な歴史書である。

太安萬侶の墓誌

6月23日、三輪山セミナーにおいて前園実知雄氏による「古事記編者 太安萬侶の墓誌を考える」と題する講演がありました。講演項目は以下の通りです。
 1.墓誌発見の顛末
 2.発掘調査の概要
 3.遺骨と真珠と漆喰
 4.二人の安萬侶
 5.古墳から火葬墓へ
 
講演は実際に発掘を担当された方でないと分らない話しが多く、あっという間に時間が過ぎていました。
 奈良市の東の田原の里の茶畑で太安萬侶の火葬墓と墓誌が発見されました。この近くには万葉集で有名な志貴皇子の御陵(春日宮天皇田原西陵)、志貴皇子の子の光仁天皇田原東陵があります。
発掘の結果、火葬墓の空洞とその中に大量の炭が充填されており、遺物として4個の天然真珠、漆喰片などや墓誌が見つかりました。墓誌には『左亰四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥年七月六日卒之 養老七年十二月十五日乙巳』と刻んであり、太安萬侶の住居(今のJR奈良駅あたり)、亡くなった日、埋葬した日が分った。

 セミナー終了後、大神神社境内のささゆり園を見学し、崇神天皇社にお参りし、山辺の道を金屋まで下り、仏教伝来の碑のある大和川(初瀬川)の河川敷公園に出て、そこから約1.7キロを桜井駅(JR,近鉄総合駅)まで歩きました。途中の写真を掲載します。

<ささゆり園>
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<天皇社>
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<平等寺>
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<磯城瑞籬宮跡>
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<金屋石仏>
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<海拓榴市(つばいち)>
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<道標>
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<飾馬>
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<仏教伝来碑>
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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