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舒明大王の古墳と寺と宮殿

2012年6月17日橿原考古学研究所有史会主催の6月例会「古事記完成1300年記念 “舒明大王の古墳と寺・宮殿を往く”―忍阪・磐余の遺跡―」が研究所の今尾文昭氏の案内の下行われました。

古事記は推古までの上古の時代を扱っている。古事記を献上した元明天皇の時代には、舒明以降が今の時代と捉えられ飛鳥時代の新時代が始まるという認識があったのではないか。舒明大王は八角墳を採用した最初の大王であり、勅願による最初の官寺と宮殿を一体的なものとして建設を計画した大王であり、その後の都市計画に影響を与えた大王である。

梅雨の晴れ間の日曜日、次の行程約14キロを歩きました。

近鉄大和朝倉駅―>忍坂古八号墳他―>忍坂坐生根神社―>舒明陵―>鏡女王墓―>大伴皇女墓―>石位寺―>舞谷二号墳―>秋殿古墳―>談山神社大鳥居―>メスリ山古墳―>青木廃寺ー>稚桜神社―>磐余池推定地―>吉備池廃寺―>蓮台寺五輪塔―>近鉄大福駅

1. 近鉄大和朝倉駅

<写真1> 朝倉駅10時集合

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2. 忍坂八号墳他

近鉄朝倉駅付近の住宅団地の一角に横穴式石室が四基並んでいる。

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<写真>: 榛原石をレンガ状の石材として横穴式石室の壁を築いている。

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3. 忍坂坐生根神社

忍坂坐生根神社(おしさかにいます いくねじんじゃ)は式内神社である。外鎌山を神体とする。拝殿脇に磐座がある。

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万葉歌碑

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4. 舒明陵

<写真1:表示板>
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<写真2:舒明陵へ階段を上る>
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<写真3:舒明陵正面>
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<写真4:八角形の一辺>

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<写真5:裏門>
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5. 鏡女王墓

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6. 大伴皇女墓

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7.石位寺

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石位寺石仏宣伝街角のポスター

浮彫りされた石仏は薬師三尊像で、真中の薬師は椅子に座り両素足を踏み台に真っ直ぐにそろえて置かれていました。この真ん前で三尊を見ながら昼食を美味しく頂きました。南無阿弥陀仏。

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境内からの風景

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8. 舞谷二号墳

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9. 秋殿古墳

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10. 談山神社大鳥居

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11. メスリ山古墳

 著名な前期古墳である。墳長は224mあり、後円部埋葬施設を二重に囲む円筒埴輪列が出土した。橿原考古学研究所博物館の常設第2展示室には出土した2.4メートルの大型円筒埴輪が展示されているが、現地には何もない。現地には下記看板があるだけで墳丘には草が繁茂し、墳丘形状や埋葬施設、出土品について何らの説明板がなかった。今回、案内人は墳丘へは上がらず裾を通り過ぎた。説明を楽しみにしていたのに残念でした。

<写真1:錆びた奈良県教育委員会説明板>

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<写真2:後円部墳丘>

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<写真3:後円部墳丘上の窪んだ所に石が並び、石垣もあった>

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12. 稚桜神社

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13. 磐余池推定地

<写真:磐余池推定地> 写真は西方向を望む。左手奥に香具山が見える。全面に広がる田圃が池の跡。右手の集落は微高地であり堤防だったようである。昨年の橿原市の発掘で手前の平地から堤防跡と大壁の建物跡等が見つかっている(本ブログ記事の現地説明会の写真参照)。 案内人は何故かここ磐余池推定場所での説明をせず通り過ぎた。説明を楽しみにしていた多くの参加者は残念がっていた。

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大津皇子辞世の句

「ももつたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ 見てや雲かくりなむ」 

「懐風藻」に以下の大津皇子の臨終の詩があります。

「金鳥臨西舎 鼓声催短命 泉路無賓主 此夕離家向」 
 解釈(桜井市観光協会発行「万葉歌碑」より)

 『金鳥(太陽)はすでにかたむいて、西の家屋を照らし、
時を告げる鼓の音は、死を目前にした短い命をせきたてるように聞こえてくる。
  死出の旅路には、お客も主人もなくただ一人ぼっち。
  この夕べ自分の家を離れて孤影さびしく、黄泉の旅へ出立しなければならない。』

この漢詩は、ここ磐余池推定場所にぴったりの情景描写ではないでしょうか。

14. 吉備池廃寺

<写真1:吉備池廃寺> 向こう岸の出張りが、金堂跡(左側)と塔跡(右側)。講堂跡は未発掘。

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<写真2:歌碑> 大津皇子のみうた
 「ももつたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ 見てや雲かくりなむ」                                       幹子書
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15. 蓮台寺五輪塔

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磐余池堤発掘調査現地見学会

 12月17日、今冬最低の気温の寒い中、橿原市教育委員会の「大藤原京左京五条八坊の調査」現地見学会に行ってきました。近鉄大福駅で下車、南へほぼ真っ直ぐに約20分歩いた所が会場です。現場は、「磐余池」の堤に推定されている場所で、香具山の北東1.1Km、戒下(かいげ)川左岸から御厨子観音までの東西に延びる「へ」状の高まり上に位置します。

 大津皇子が訳語田(おさだ)の舎(いえ)で死刑に処せられるとき、磐余の池の堤で涙を流してよんだという、次の辞世の句の哀韻は、まさに池之内から池尻に行く間など、この地の凹地の湿田が磐余の池のなごりを思わせていると、犬養先生は書かれています(犬養孝著「万葉の旅(上)」平凡社文庫、114ページ参照)。
 今回の現場はまさにその場所であります。

    百伝(ももづた)ふ 磐余(いはれ)の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 曇隠りなむ                     
                                ―大津皇子― (万葉集 巻三 四一六)

 「妃の山辺皇女(やまのべのひめみこ)は髪を乱し、はだしで走り出て殉死した。見る者は皆すすり泣いた。皇子大津は天武天皇の第三子で、威儀備わり、言語明朗で天智天皇に愛されておられた。成長されるに及び有能で才学に冨み、特に文筆を愛された。この頃の詩賦(しふ)の興隆は、皇子大津に始まったといえる。」(宇治谷 孟著「日本書記(下)」、講談社学術文庫313ページ)。

「懐風藻」に以下の大津皇子の臨終の詩があります。

    「金鳥臨西舎 鼓声催短命 泉路無賓主 此夕離家向」

発掘調査では、堤の造成土1(六世紀末)、造成土2(七世紀末)が見つかっています。堤は人工的に築かれたものであることが確認できました。

堤防上に、堀立柱建物3棟、竪穴建物2棟、大壁建物1棟が見つかりました。一番古いのは大壁建物で、渡来人との関わりが指摘されます。建物から用明天皇が池を鑑賞したと想像するのは自由でしょう。

この池は奈良盆地東南部の中でも水を供給しやすい高所に立地しており、灌漑用の池として立地にかなった所に築かれています。

<堤より磐余池跡>
 堤防から広大な磐余池跡を望む。正面一番奥の山が香具山で西方向にある、その左の出っ張りが池田山、右側に寺が見える。時を知らせる鼓の音が聞こえてきそうです。
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<下から堤防>
 堤防がかなりの高まりにあることが分る。
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<現場全体>

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<建物跡>

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<堤造成土1>

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<堤造成土2>
 灰色が人工土の粘土、手前の茶色で白っぽい所は岩盤。
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<大壁溝>

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