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叡尊上人ゆかりの地を訪ねて その1

奈良交通主催の大和路再発見「興正菩薩叡尊上人生誕地と石清水八幡宮」と題する、西山厚先生同行ツアーに参加しました。その前日には吹雪の中の京都女子駅伝がTV中継されていましたが、翌日訪問した京都醍醐寺では、珍しい雪景色の五重塔を見ました。 西山先生の篤い解説の中、石清水八幡宮ではとうとう日が暮れてしまいました。 いつもながら一味違う、印象深いツアーとなりました。行程は次の通りです。

   近鉄奈良駅前→大和郡山市・浄福寺→百毫寺→天平庵(昼食)→京都・醍醐寺→石清水八幡宮→近鉄奈良駅
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興正菩薩叡尊上人(1201年~1290年)
 西大寺中興の祖で、西大寺大茶盛の創始者です。叡尊は1201年(建仁元年)、大和国添上郡箕田(現大和郡山市白土町)に生まれました。母親は叡尊が7歳の時、3歳、5歳、7歳(叡尊)の3人の子供を懐に置き亡くなりました。叡尊が8歳のとき、子供達は家が貧しくて、よその家に預けられました。 11歳の時、家を出て醍醐寺の叡賢に師事し、17歳で剃髪し、その後東大寺に入り、また、海龍王寺にも入りました。

1235年(嘉禎元年)、叡尊35歳のとき西大寺に入り、西大寺を修復しました。叡尊は、最も苦しんでいる人たちを救おうと手をさしのべました。文殊菩薩が貧窮・苦悩・孤独の人になって現れていると信じ、ハンセン病患者などの救済活動を弟子の忍性などと行いました。また、有力者からの荘園の寄進を断る一方、たくさんの人(女性が多い)が少しの田畠やわずかなお金を寄付してくれました。
1264年(文永元年)叡尊は光明真言会を始め、叡尊に共鳴する人々が全国から西大寺に集まってきました。1267年(文永4年)般若寺を修復し、飢者数万人を救済しました。

鎌倉時代の1281年(弘安4年)蒙古襲来のとき、叡尊が京都石清水八幡宮で祈った日に大風が吹き、蒙古軍は全滅しました。 このとき叡尊は次のような御祈りをしました。

  「 東風をもって
     兵船を本国に吹き送り
     乗る人を損なわずして
     乗るところの船を
     焼失せしめたまえ」

1279年(弘安2年)後深草上皇、亀山上皇に戒を授け、後宇多天皇も菩薩戒を受けました。1281年80歳の時、西大寺で叡尊そっくりの寿像が造られました。1290年(正応3年)叡尊は90歳の時、西大寺で亡くなりました。1300年(西安2年)に後伏見天皇は叡尊の徳を讃えて、「興正菩薩」(興隆正法=正しい仏教を興隆したという意味)の名を贈りました。

興正菩薩生誕地碑
  大和郡山市白土町にある「興正菩薩生誕地碑」は薬師寺管長橋本凝胤が建立しました。道端に建立されていますが、なかなか気付きません。

浄福寺(浄土宗・智光山、大和郡山市白土町)
 浄福寺の宗派は浄土宗で1592年(文禄元年)順玄の開基と伝わります。本尊は阿弥陀如来です。 浄福寺は叡尊の生誕地であると伝わります。本堂の東隣のお堂に興正菩薩(叡尊)の銅像を安置しています。 叡尊700年忌法要に際し、「西大寺愛染堂」に安置されている寿像を模して造像されました。仲家は叡尊の子孫と伝わり、叡尊ゆかりの品や、西大寺との関係を示す古文書や品物を見せて頂きました。

浄福寺 
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本堂
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興正菩薩堂
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説明
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白坂神社

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