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2.5時間でまわる法隆寺(2) 法隆寺の聖地は若草伽藍

 法隆寺金堂薬師如来像の光背銘によって法隆寺創建の由来が分ります。これによれば、聖徳太子と推古天皇は、用明天皇の病気平癒を願って、薬師如来像を造り本尊として、607年に法隆寺を創建したとあります。 法隆寺の南大門前の参道西側に屋根付きの看板があり、法隆寺についての解説があります。その下には、法隆寺境内の地図があります。
 創建法隆寺は670年(天智天皇9年)4月30日の火災によって焼けたことが日本書紀に書かれています。
 『夏四月の癸卯の朔壬申に、夜半之後に、法隆寺に災けり。 一屋も餘ること無し。大雨ふり 雷震る。』
現法隆寺の再建・非再建について長い間論争が続いてきましたが、斑鳩町教育委員会による平成16年、18年の発掘調査によって、大量の彩色壁画片が見つかり、若草伽藍の焼失はほぼ確かであると考えられています。

南大門前(左手に案内板)
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下馬の石碑と案内板
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史跡法隆寺
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書き下し
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史跡 法隆寺境内

 法隆寺は聖徳太子創立、およそ一千四百年の伝統をもつ大伽藍である。金堂、塔を中心とする西院伽藍は、よく上代寺院の相貌を伝え、わが国現存最古の寺院建築として、極めて価値が高い。 その寺地は天平十九年の当寺資材帳に「方一百丈」とあり、また鎌倉時代の古今目録抄などによれば、現地域とほぼ合致している. 夢殿を中心とする東院伽藍は、天平十一年 行信により聖徳太子の斑鳩宮故地に創立されたが、天平宝字五年の東院資材帳に示される寺域は、現東院境内に現中宮寺をあわせた地域とみられる。
すなわち東西両院をふくむ、法隆寺伽藍の全域は、わが国上代寺院史上各種の重要史料を内包し、また斑鳩宮跡、若草伽藍まどの重要遺跡をもあわせて、その歴史的並びに宗教的価値はきわめて高いものである.

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注1) 天平十九年は西暦747年、2月11日に『法隆寺伽藍縁起并流記資材帳』が作成される。
注2) 寺地の大きさについて資材帳に「合院地四方各一百丈」とあり、その現尺への換算尺は980尺である。中門より南大門まで486尺、伽藍中心線から西大門まで490尺で、980尺の約半分である。その東限は食堂の東の土塀の線に、北限は上堂の南側をさえぎる線にあったことも察せられる(石田茂作著『法隆寺雑記帖』、学生社、昭和34年。)とあるがはっきりした範囲は不明。
注3) 天平十一年は西暦739年。
注4) 天平宝字五年は西暦761年、10月1日に『仏教并資材条(法隆寺東院資材帳)』が作成される。

法隆寺境内地図
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 現在の法隆寺の境内図を示しています。法隆寺境内は18万7000㎡(約5.7万坪、甲子園球場の約5倍)の広さがあり、西院伽藍と東院伽藍とに分かれています。 この地図で、注目してほしい場所は、南大門の東側大垣の中に描かれている『若草伽藍塔心礎』 と書いてある場所です。 ここが、聖徳太子が607年に創建した法隆寺の聖地で、若草伽藍とよばれます。昭和14年に石田茂作らによって発掘調査が行われ、五重塔と金堂の基壇跡が検出され、聖徳太子が創建した法隆寺は四天王寺式伽藍配置であったことが分りました。
 
東大垣(若草伽藍方面), 平成16年発掘現場
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若草伽藍跡
 法隆寺夏期大学のときに若草伽藍跡が公開されます。本年(2017年)1月に若草伽藍の中門があったとされる民家の跡を発掘調査するとの新聞記事がありましたが、その後斑鳩町当局からは何の発表もないので調査がどうなったのか分かりません。若草伽藍跡については本ブログ記事を参照ください。

法隆寺若草伽藍跡50年ぶりの発掘調査開始

斑鳩町は1月6日、聖徳太子が建立した法隆寺の聖地「若草伽藍」(607年創建)の発掘調査を50年ぶりに、1月10日から開始すると記者発表を行いました。 若草伽藍跡からはこれまでの発掘調査で、塔と金堂の基壇跡が真北から西に20度偏位した一直線上に検出されており、若草伽藍は四天王寺式伽藍配置であったと考えられていますが、中門や回廊、講堂跡はまだ検出されていません。
 今回の調査地は塔跡の南側で塀の外側の路地を隔てた民有地(約850平方メートル)で空き家(廃屋)になっている場所です。そこは中門が想定される位置のようです。いずれにしても、聖徳太子が創建した寺院の跡地を発掘するのですから、何が出土しようが、文献にあろうが、なかろうが、聖徳太子の時代の物的証拠が出るのであれば、古代史ファンにとってはわくわくする話です。
発掘対象場所の写真を示します。

<奈良新聞2017年1月7日付記事>
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調査対象空き家玄関
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逆から
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空き家裏側から(屛の内側が若草伽藍跡)
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反対側から南大門方向
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若草伽藍配置図
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金堂と塔基壇の位置
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心礎と塔基壇(発掘調査時)
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参考文献:橿原考古学研究所附属博物館春季特別展「聖徳太子の遺跡-斑鳩宮造営千四百年-」図録,2001.

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若草伽藍跡地(現状)
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塔心礎(現状)
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