大阪城 その3
天守閣の石垣は徳川時代に築いたものです。石垣の平面部には布を切って敷き詰めたような方形石を使い、横方向に目地が通るように築かれています。 隅石は短辺に対して長辺の長さが3倍以上もある細長い直方体の巨石を互い違いに算木のように積み上げて築かれており、大変きれいに仕上がっています。
天守閣側面

隅石

布積

横方向に目地が通る


仕切り門趾

天守台高垣

桜門から東を見ると生駒山頂に設置されている大阪の各テレビ局のアンテナが見えました。
ここから、大阪平野の住宅に向け電波を発射しています。

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桜門を入り大阪城天守閣へ行く道沿いに大きなパネル写真を掲げ、大阪城の歴史を解説していました。
豊臣秀吉は1583年(天正11年)大阪城の築城を開始しました。豪壮華麗な贅の限りを尽くしたお城だったようです。

豊臣大阪城は1615年(慶長20年)、徳川家康によって攻撃され落城し、焼失しました。

2代将軍徳川秀忠は1620年(元和6年)に大阪城の再築城を開始しました。豊臣秀吉の大阪城とは全く違った大阪城を構築しました。

徳川大阪城は1665年落雷による火災で天守を失いました。


幕末の1868年に大阪城は失火で焼失する

昭和5年、天守閣築城開始

昭和6年、天守閣完成





帰りは玉造口から出て森ノ宮から環状線に乗りました。

玉造の説明
古墳から出土する勾玉はこの近くで造っていたようです。

玉造口
石垣のみ原型を留める
天守閣側面

隅石

布積

横方向に目地が通る


仕切り門趾

天守台高垣

桜門から東を見ると生駒山頂に設置されている大阪の各テレビ局のアンテナが見えました。
ここから、大阪平野の住宅に向け電波を発射しています。

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桜門を入り大阪城天守閣へ行く道沿いに大きなパネル写真を掲げ、大阪城の歴史を解説していました。
豊臣秀吉は1583年(天正11年)大阪城の築城を開始しました。豪壮華麗な贅の限りを尽くしたお城だったようです。

豊臣大阪城は1615年(慶長20年)、徳川家康によって攻撃され落城し、焼失しました。

2代将軍徳川秀忠は1620年(元和6年)に大阪城の再築城を開始しました。豊臣秀吉の大阪城とは全く違った大阪城を構築しました。

徳川大阪城は1665年落雷による火災で天守を失いました。


幕末の1868年に大阪城は失火で焼失する

昭和5年、天守閣築城開始

昭和6年、天守閣完成





帰りは玉造口から出て森ノ宮から環状線に乗りました。

玉造の説明
古墳から出土する勾玉はこの近くで造っていたようです。

玉造口
石垣のみ原型を留める
