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宇治の平等院 その2

平等院には源頼政ゆかりの『扇之芝』があります。1180年(治承4年)源頼政は高倉宮以仁王を奉じて平家追討の兵を挙げましたが、宇治橋の合戦において破れました。 源頼政は、流れ矢に傷つき「軍扇」を開き、
 『埋もれ木の花咲くこともなかりしに身のなる果てぞ悲しかりける』
という辞世の句を残し、この地で自刃したと伝えられています。(看板より)
平等院境内には軍扇にちなんだ「扇之芝」があります。

看板
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扇之芝
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この日は天ケ瀬ダムが放水していたため、宇治川が増水し中州へ渡る橋が通行禁止となっていました。珍しい写真をご覧ください。この浮島は西大寺の名僧叡尊が宇治橋を構築するにあたって放生会を修する祈祷道場として、現存の浮島を築きました。舟形に島をつくり、その中央に高さ15mの十三重石塔を建立しました。1286年に橋を架け、同時に宇治川での殺生禁断の太政官符を発せしめたことは、あまりにも有名な話です。

増水した宇治川
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喜撰橋通行禁止
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橋を渡った島に十三重石塔
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屋形船も営業お休み
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宇治の平等院

 歴史クラブの例会で新装なった宇治の平等院へ行って来ました。久しぶりの平等院でしたが、中国五台山のお寺を巡ってきた直後だったせいか、10円玉にも描かれた阿弥陀堂(鳳凰堂)(国宝)は、何かちっぽけで、ミニチュアのように見えました。

 平等院は1052年に、藤原頼通によって父道長の別荘を寺院に改め創建されたのが始まりで、1053年に阿字池を中心に阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂が建立されました。阿弥陀堂が鳳凰堂とよばれるようになったのは江戸時代の初めの頃です。
観無量寿経に描かれた西方極楽浄土の阿弥陀如来の宮殿は、このような建物だったかも知れません。

 ご本尊の阿弥陀如来坐像(国宝)は、藤原時代を代表する仏師定朝(じょうちょう)の晩年の傑作で、現在の所、定朝作と確定できる唯一の仏像です。寄木・漆箔造りで、定印を結び、量感溢れた円満なお姿をされており、貴族好みの穏やかな表情をされていました。

鳳凰堂内部の長押上の白壁に52体の雲に乗った菩薩像が懸っていました。楽器を奏する姿や、宝珠、幡、天蓋を持つなど、じっくりと見ているとキリがありません。時間制限があるので、ゆっくりと拝観できませんでした。

境内案内
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橋を渡って鳳凰堂へ
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北側回廊
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平等院鳳凰堂
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屋根の鳳凰
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屋根の鳳凰
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阿弥陀堂
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州浜
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