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久米寺 その2

 久米寺の多宝塔(重要文化財)は、1659(万治2)年に、京都仁和寺から移築されました。二重の屋根をもち円筒形の身をもち半円形の形をしています。内部にも円筒形の空間が広がっています。
 
多宝塔(江戸時代、重要文化財)
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蛙股
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複雑な組物
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相輪
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七重石塔
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久米寺 その1

 久米寺は県営橿原球場に隣接していますので、夏の大会の高校野球応援団の声が聞こえてきます。 県下ではあじさい寺として知られていますが、もう閉園となってしまいました。 

 山門を入ると、大きな塔の心礎や礎石群(平安時代)が多数のこっています。 また境内から、飛鳥時代から奈良時代にかけての瓦が多数出土しています。 境内奥へすすむと多宝塔や本堂が建ち、本堂脇からあじさい園に入ります。 今の久米寺も広大な寺地ですが、ここから約100m離れた所から複弁六弁蓮華文軒丸瓦と重弧文軒平瓦が出土しました。久米寺は保井芳太郎氏の「大和上代寺院誌」などからかなり広大な寺地を占めていたと考えられます。

 森郁夫先生は、遺稿となった本「一瓦一説」(p138)の中で、久米寺について触れられ、「塔跡のある地域は本来の久米寺の東院にあたるとされており、塔跡の西方200メートルの位置に礎石が残っていたこと、瓦の出土地点が広い範囲にわたることなどから、寺域はかなり広大だったと考えられる」。

山門
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大塔礎石 
 平安時代の大塔の心礎と礎石群が残っています。これだけの礎石がよく残ったと思います。

看板
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心礎と礎石群
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本堂
 本堂は江戸時代の1663(寛文3)年に建立された建物で、室町時代の古材が使用されています。間口と奥行がともに5間の大きな建物で、正面に向拝がついています。本尊は丈六の薬師如来坐像で、脇侍に日光・月光菩薩像が控えます。また、十二神将像、久米仙人像などが安置されています。 建物正面の欄間などには猿などの彫刻が施され、立派な装飾が施されています。

本堂正面
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本堂斜正面
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久米寺縁起
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本堂向拝
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西国薬師第七番霊場久米寺
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木鼻
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金堂礎石
 現在地より200m離れた金堂跡?の礎石とみなされる石がこの地に移されたようですが確かなことはわかりません。
 久米寺は謎の多い寺で、謎解きの好きな古代史ファンの意欲をそそります。

移された礎石 
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移された礎石
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久米仙人は吉野龍門寺で飛行術を身に付けて、吉野川上空を飛んでいましたが、川で洗濯している女性のふくらはぎにみとれ  て空から墜落して神通力を失ってしまいました。その後、高市郡に都を造営する際に、神通力を回復し材木を運んで、その功績で朝廷より免田を賜り、久米寺を創建したという伝説もあります。

久米仙人像
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多宝塔については次回で報告します。









 

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