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御所市の古代葛城探訪ウォーク

 2012年5月12日奈良世界遺産市民ネットワーク主催で、小笠原好彦先生御案内の「御所市の古代葛城探訪ウォーク」がありました。日本における五大巨大前方後円墳群はオオヤマト、佐紀盾列、葛城、古市、百舌鳥があります。日本書記、古事記には葛城地域の大王・天皇陵についての記載が見られません。最近の葛城地域の発掘調査で古墳時代における地域の様子が明らかになって来ました。今回のウォークでは以下の順に遺跡を巡り、小笠原先生による葛城地域の遺跡の見事な解明が行われました。

 御所市宮戸橋―>長柄の首長居館遺跡―>二光寺廃寺跡―>極楽寺ヒビキ遺跡―>南郷遺跡―>室大墓宮山古墳―> 宮戸橋

<金剛山と葛城山を望む>
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<巨勢山・飛鳥・吉野を望む>
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1.長柄(ながら)の首長居館遺跡
金剛山と葛城山の間の水越峠を越えた所の交通の要衝の地にある御所市長柄の長柄小学校内の古墳時代の豪族の居館跡を訪ねました。
1987年~1989年の校舎改築に伴う発掘調査で竪穴式住居跡、倉庫、土壙(どこう:土の穴)、石垣、旧河道が出土しました。出土遺物から五世紀後半の遺構と考えられています。
居館本体の場所には校舎が建っており、今回見学した遺構は60m~70m四方の大規模な遺構のしっぽの一部を捕えたに過ぎないが、大規模な石垣が検出されており、群馬県三ツ寺遺跡とほとんど変わらない構造をしている。
豪族の居館については、首長の1)居住空間 2)祭祀・政治空間 3)経済空間(工房、倉庫等物作りに関係した空間)、の3つの役割について考える必要があります。
竪穴住居跡は工房の跡でありそこで作業を行っていたと考えられる。倉庫には生産物を収蔵していたと考えられる。
濠から多量の遺物が出土しています。五世紀後葉の刀の杷(つか)、刀子、鉄さいが出土しており、刀などの武器を製作していたと考えられます。また、碧玉製の勾玉や漆入りの土器壺も検出されており、工人による各種製品の工房があったと考えられます。
さらに大量の木製品が出土していますが、これは試(ためし)と呼ばれる製品の試作品であると考えられます。従来、木製品は祭祀の道具などと言われてきましたが、三ッ寺遺跡や天理の遺跡でも大量の木製品が見つかっており、決して祭祀の道具などではありません。考古学者は遺物の説明がつけられない場合、よく祭祀用と言うが、その場合はどのような祭祀に用いられていたか説明する必要があります。
大正7年に、この近くの溜池工事の際、弥生時代の銅鏡と銅鐸が同時に出土しており、長柄地区に古くから重要な豪族の拠点があったものと考えられます。

<長柄遺跡>
nagara


2.二光寺廃寺跡 

御所市西北窪の「ニ光寺廃寺」跡を見学した。2004年の調査で飛鳥時代(7世紀後半)の寺院跡が金剛山麓で新しく発見され話題となったが現在は埋め戻されている。私も当時12月の現地説明会に参加したが凍えるような寒さであった。

<二光寺廃寺跡>
nikouji


2.1 基壇と建物
現場からは上下2段からなる基壇と南北4列、東西5列の柱の礎石の一部が発見され建物は金堂(東西5間×南北4間)と考えられている。大型多尊塼仏の須弥壇片(西暦694年に相当する紀年銘あり)も発見されており、須弥壇の場所も想定されている。未発掘であるが、金堂があれば近くに講堂、塔、回廊、中門もあったはずである。
2.2 大量の瓦
基壇周囲から大量の瓦が出土した。朝妻寺廃寺及び高宮廃寺と同笵の瓦が一番多く80%~90%を占めている。残り10%~20%の瓦は少数であるが明日香村の檜隈寺と同范の瓦が出土している。また、元薬師寺建立(690年代)以降にしか使われていない、珠文入りの複弁蓮華紋軒丸瓦(高宮廃寺同笵)が出土している。小笠原先生によれば、従来の考古学者の見解では出土した少数の種類の瓦は単に瓦だけを提供したものと考えられてきたが、関係氏族が瓦だけでなく寺を建立する際の財政援助(資材&人)をし、その証として屋根に軒丸瓦を並べたという見解を示されました。小笠原先生によれば、ニ光廃寺は東漢人氏の配下にあった渡来系氏族の朝妻氏の僧寺(男の僧)であり、未発掘であるが朝妻廃寺は朝妻氏の尼寺であると考えているとのことでした。飛鳥時代に檜隈に本拠地を構えていた東漢人氏は、すべての渡来系の氏族を束ねており、蘇我氏はその東漢人氏をかかえていた。

2.3 塼仏、螺髪
4種類の塼仏、1)大型多尊、2)方形三尊、3)方形六尊、4)方形十二尊連座が出土している。三重県名張市の夏見廃寺出土と同笵の大型多尊塼仏の一部が出土した。これと夏見廃寺出土のものを合わせて、夏見廃寺で大型多尊塼仏(阿弥陀仏)が完全に復元された。また、夏見廃寺と同笵の方形六尊連立塼仏も出土した。
なお、土製の螺髪1点が出土しており、高さ2mを越える塑像の丈六仏が金堂内に安置されていたと推定されます。

3.極楽寺ヒビキ遺跡 
御所市大字極楽寺のヒビキ遺跡は独立丘陵の先端の高台の見通しの良い場所にあり、五世紀後半(古墳時代中期前半)の濠で区画された大型建物跡が検出されています。この遺跡は「祭儀や政務の施設」(橿原考古学研究所現地説明会資料:2005.2.26)と評価されていますが、祭祀の遺物は検出されておらず疑問です。葛城の南郷遺跡では渡来系の人たちによる大規模な工房跡が発掘されており、生産物の流通の必要性がありました。豪族居館の研究で日本の第一人者である小笠原先生は、ズバリ、極楽寺ヒビキ遺跡は葛城氏が管理し生産物を流通し交換した市(いち)であると明解な説明をされました。

<極楽寺ヒビキ遺跡跡:圃場>
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3.1 高殿の建物 
大型の高殿の建物は市の楼閣(市楼:中国山西省平遥城参考)であり、広場では首長の管理の下で定期的に諸物資の交易をおこなった市が開かれたことが想定されます。南郷遺跡群で生産された高度な製品の交易を行っていた市であったと想定されます。
3.2 大型三連柱穴 
 門の内側で検出された大型三連柱穴は、王の標柱(辰巳和弘氏説)などではなく、周辺地域に市の開催を告げる憧竿支柱(どうかんしちゅう、吹流しや旗竿の支え)と考えられます。
3.3 遺物 
 周囲の濠や土橋の周辺から須恵器、土器、韓式系土器が多く出土している。また木製品や鉄鏃も出土している。
4.南郷大東遺跡
 南郷大東遺跡は導水施設であり貯水池、木樋1、木樋2、木樋3、覆屋、垣根、木樋4から成る。須恵器の水を入れる容器も出土している。この遺跡は水の秘義を行った施設やトイレなどではなく、飲料水を確保するための浄水施設である。

<巨勢古墳群へ向かう>
kosehe


5.室大墓宮山古墳 

御所市大字室(むろ)にある宮山古墳は、5世紀前半に築造された大型前方後円墳で全長238メートルです。後円部の南側の長持形石棺を納めた全長5.5mの竪穴式石室があり見学できます。発掘調査で円筒埴輪列、家形埴輪、蓋形埴輪と筒形形象埴輪が見つかっています。

<宮山古墳後円部石室入口>
muromiyayama

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