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第41回太子道をたずねるつどい

2017年2月22日は法隆寺主催の第41回太子道をたずねるつどいがあり、法隆寺から大阪府太子町にある叡福寺境内の聖徳太子の御陵まで約20キロの磯長ルート(一部、バス利用)を、法隆寺の僧侶達と一緒に歩きました。
 この道は、太子葬送の道で、斑鳩から飛鳥へ至る筋違道とともに、今年2月に関係する11の自治体が文化庁に日本遺産として申請したそうです。

ルートは以下の通りです。
法隆寺西大門→西里→藤ノ木古墳→龍田神社→達磨寺→尼寺廃寺跡(昼食)→志都美神社⇒(バス)→太子町役場→叡福寺

いつもとルートは同じですが、今年は尼寺廃寺学習館で昼食をとりました。


法隆寺南大門での出発式
午前8:30に集合し、全員そろったので、9時前には出発しました。
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西大門付近
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藤ノ木古墳
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斑鳩町瀧田神社
橿原考古学研究所の岡田雅彦氏による史跡の説明
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王寺町達磨寺
王寺町の地元からぜんざいの振る舞いがありました。

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王寺町マスコット雪丸
人気者です。ドローンに乗って王寺町を空撮したそうです。
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香芝市尼寺廃寺跡(公園として整備されました)

尼寺廃寺跡(パネル)
平成14年国史跡指定。東向きの法隆寺式伽藍配置

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尼寺廃寺跡(現地)
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塔跡(パネル)
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塔跡(現地)
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尼寺廃寺跡学習館
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塔心礎レプリカ
地下から約3.8メートル四方の巨石の心礎が出土。 四隅に添柱孔がある心礎は、法隆寺若草伽藍の塔心礎などに限られているそうで、大変貴重です。心礎から耳環、水晶玉、ガラス玉などの舎利荘厳具も出土、心柱の下をくり抜いて埋納されていたものが、柱が腐って落ちたのではないかと推測されます。平成3年度の発掘調査で、飛鳥時代後半のお寺の塔心礎が出土したのですから、これは大発見だと思います。塔基壇を断ち割って発掘しなかったら、塔心礎が埋もれていることは、分からなかったと思います。
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塔と金堂の大きさの比較(パネル)
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塔基壇の構築(パネル)
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叡福寺
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聖徳太子御陵(宮内庁管理)
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法隆寺大野玄妙管長読経
「富の小川の水」と書いた桶。
○太子の薨去を悼み巨勢三杖が作る歌(帝説・日本霊異記)
「いかるがの 富の小川の絶えばこそ わが大君の み名忘らえめ」

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聖徳太子和讃斉唱
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本堂に掲げられた聖徳太子絵伝の一コマ
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第39回太子道をたずねる集い 磯長ルート その5

⑤穴虫峠越えで叡福寺・聖徳太子磯長陵
  香芝ニュータウンからバスに乗り、大阪府太子町の町役場へ着きました。役場では「太子君」の歓迎を受け、太子町長から挨拶を 受けました。ここで、太子町のスタンプを押印し、八部衆に担がれた太子像を先頭に、叡福寺まで歩きました。

太子町から見た二上山
 太子町から二上山を見ると雌岳と雄岳が左右反対です。
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御陵への道標です。
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太子町役場
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人気の太子君
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太子町長の挨拶
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聖徳太子の御陵の墓前に太子像と法隆寺大野玄妙管長が許可を得て入り、「富の小川の水」と書いた水桶の水を白菊の花にかけました。

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聖徳太子和讃を独特の調べで
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太子堂にて般若心経を読経
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叡福寺住職挨拶
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叡福寺では、最後のスタンプを押印してもらいました。また、お寺から暖かい甘酒の振舞いがあり、おいしかったです。
境内には太子の1400回忌を記念するお堂の整備の案内看板が立てられていました。

帰りは、叡福寺から法隆寺南大門前までバスに乗って帰りました。
心温まる太子様のお墓参りができて大変よかったです。

太子道磯長ルートマップ
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第39回太子道をたずねる集い 磯長ルート その4

④ 正福寺から志都美神社
 尼寺廃寺を出てまもなく武烈天皇陵前を通過し、20分程で正福寺に到着し、昼休憩をとりました。 ここ正福寺の住職はN新聞の連 載記事でおなじみの方です。なかなかユニークなお話を連載されています。

武烈天皇陵
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高田良信法隆寺管長揮毫
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正福寺
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万葉歌碑と石野博信氏文
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志都美神社参道
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スタンプ押印
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太子像安置
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志都美神社由緒
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その後、志都美神社(しずみじんじゃ)でスタンプを押してもらってからは、ひたすらニュータウン内を歩きました。

第39回太子道をたずねる集い 磯長ルート その3

③ 尼寺廃寺(にんじはいじ) 
 
 今回は王寺町の達磨寺を出発し香芝市の尼寺廃寺に立寄りました。国史跡に指定されている尼寺廃寺跡は訪れるたびに整備が進み、東面する法隆寺式伽藍配置跡を眺望できるようになりました。 すぐそばには立派なガイダンス施設ができており、今春4月からオープンするとのことです。 太子道沿いに良い施設ができ楽しみが一つ増えました。

尼寺廃寺(北遺跡)は東面する法隆寺式の伽藍配置をしており、南側に塔、北側に金堂が造営され、これらは南北70m、東西44.3mの回廊によって囲まれています。 塔の基壇は一辺13.6mあり、金堂基壇は南北16.8m、東西14.7m以上あります。太子道に沿って東門があり、築地塀で囲まれた寺域は南北110m、東西87mあります。

尼寺廃寺跡(左が塔基壇、右が金堂基壇)
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尼寺廃寺跡(現地看板:伽藍配置と寸法)
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<塔基壇跡>
 塔基壇の中央には地下1.2mのところに、3.8メートル四方(八畳に相当)の巨大な塔心礎が埋められており、柱座には四隅に半円形の添柱穴がつけられています。法隆寺の若草伽藍塔心礎にも同様の添え柱穴があります。橘寺は添え柱穴は3つです。
4個の四天柱の礎石と、8個の側柱の礎石が残っています。心礎は埋め戻され、陶板の写真で心礎の様子を表現しています。

香芝市発掘担当者の説明
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塔基壇全景 奥の建物はガイダンス施設
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巨大な塔心礎(地下1.2mに8畳大の心礎)
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柱座
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柱座荘厳具
 柱座に金銅製耳環(じかん)12個、水晶製の玉4個、ガラス玉3個、刀子1口の荘厳具が納められていました。

金堂跡
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造営年代と創建者
 北遺跡の造営年代は出土瓦から7世紀中頃に塔が造営され、ついで金堂と回廊が構築されたと推定されます。なお、尼寺廃寺南遺跡は北遺跡から200m南の般若院の場所にあり、南面する法隆寺式伽藍配置が出土し、7世紀前半の造営であろうとされています。これらのお寺は僧寺と尼寺の関係にあり、創建者は敏達天皇の孫の茅渟王(ちぬのおおきみ)とその一族が有力であると香芝市教育委員会の山下氏は述べられました。

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牧野古墳(ばくやこふん)(広陵町)
 6世紀末頃に築造された直径55mの大型円墳であり、県内屈指の規模をもつ横穴式石室で、奥壁沿いに刳抜式家形石棺を置く。側壁沿いに組合式家形石棺を置いていたと考えられている。被葬者として「延喜式」の記載から舒明の父にあたる押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ)の成相墓にあてる説が有力である。

平野塚穴山古墳(香芝市平野)
 7世紀後半の古墳時代終末期に築造された一辺18m、高さ4mの方墳である。 埋葬施設は全国を代表する横口式石槨で玄室部と羨道部からなる。精巧な凝灰岩切石を用いて羨道部と玄室部を作っている。石室内から、漆塗籠棺、漆塗夾紵棺の断片や耳環、中空玉、銅製品片などが出土している。『延喜式』に、皇極天皇・孝徳天皇の父である茅渟王(ちぬおう)が葛下郡の片岡芦田墓に葬られたことが記され、平野塚穴山古墳をこれにあてる説がある。
 
コメント:
 皇極・斉明は茅渟王の娘であり、上宮王家が滅亡し、蘇我宗家が滅亡した後、天智天皇、天武天皇と続く敏達系王家がこの地を支配したとする説は信憑性があるように思います。今読んでいる小説「皓月」が扱っている皇極・斉明朝の歴史の舞台でもあります。




第39回太子道をたずねる集い 磯長ルート その2

②瀧田田神社から達磨寺まで
  瀧田神社を出て国道25号線を横切って南下します。この歩くルートは、交通量多い道を避けながら、最短経路で太子葬送の古道を通り、叡福寺をめざします。 最初に渡る川は竜田川です。万葉集に登場する川です。紅葉のシーズンになると紅色に染まります。しばらく行くと、老舗の「孫七瓦」製作所に出ます。法隆寺の瓦も焼いています。 そこで、川幅が広い大和川に出るので、堤沿いの道をしばらく進むと、国道25号線が通る橋を渡ります。 次に国道25号線とはすぐに別れて、王寺町役場の所で、葛下川(かつげがわ)を渡り、達磨寺に到着します。
 達磨寺は聖徳太子伝説「片岡の飢人」に関わる達磨大師のお寺です。ここでは、王寺町長のあいさつと、最近人気絶頂の聖徳太子の愛犬「雪丸」君のゆるキャラのお出迎えがあり、町内の方からぜんざいの振る舞いがありました。 ここでは、王寺町雪丸君の可愛いスタンプを押印してもらいました。

<竜田郵便局通過>
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南下
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大和川を渡る
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達磨寺山門
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達磨寺看板
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読経
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王寺町長ごあいさつ
太子道を日本遺産として登録することをめざしていますとの紹介がありました。古代史跡いっぱいのルートですね。
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鶴見先生解説
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雪丸君石像
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王寺町キャラ雪丸君
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方丈
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太子道磯長ルートスタンプマップ1
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