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安倍寺跡 その3

 吉備池廃寺(百済大寺)、安倍寺、安倍氏関係の年代

536年(宣化元年):大伴金村、物部鹿火を大連、蘇我稲目を大臣に任命した時、阿倍火麻呂は大夫に任ぜられる。(日本書紀)
556年(欽明17年):阿倍臣(名次)、佐伯連、播磨直とともに、筑紫の舟師を率いて、百済王子恵を護送した。 (日本書紀)
583年(敏達12年):阿倍目臣、勅使となり百済からきた日羅に難波館で任那再興策を問う。(日本書紀)
608年(推古16年):阿倍臣鳥 裴世清来朝のとき導客使となる。(日本書紀)
610年(推古18年):阿倍臣鳥、新羅任那使人が来朝した時、四大夫の一人として使い人の言を伝奏した。(日本書紀)
639年(舒明11年):吉備池廃寺創建:百済川のほとりに百済宮と百済大寺が建立された(日本書紀舒明11年記事)。建立直後に焼失。(日本書紀)
641年(舒明13年):山田寺造営開始、643年(皇極2年)山田寺金堂建立。(日本書紀)
643年(皇極2年):百済大寺建てるために人夫を動員(日本書紀)。皇極朝に造寺司として阿倍倉橋麻呂と穂積百足が任命される(「大安寺縁起」)。
645年(皇極4年):大化の改新、飛鳥から難波へ遷都。阿倍倉橋麻呂、孝徳朝の左大臣につく。
648年(大化4年):左大臣阿倍倉橋麻呂、四天王寺の塔に仏像四体と霊鷲山の造形をおさめた。崇敬寺(安倍寺)は阿倍倉橋麻呂が建立したと記されている(「東大寺要録」)
650年代(斉明朝):阿倍臣比羅夫蝦夷討伐とある。(日本書紀)
663年(天智2年):白村江の戦いで唐・新羅軍に敗北。(日本書紀)
694年(持統8年):阿倍朝臣御主人氏上に任命される。大納言・右大臣に任命される。竹取物語に実名で登場。(日本書紀)
704年(慶雲元年):阿倍朝臣宿奈麻呂に引田朝臣から改姓。大納言にまで昇進。720年亡くなる。 (続日本紀)
732年(天平4年):阿倍朝臣広庭は御主人の子、中納言にまで昇進し、この年(732)に死亡。(続日本紀)
717年(養老元年):阿倍朝臣仲麻呂遣唐使として唐へ出発する。唐の官吏になる。日本へ帰れなかった。(続日本紀)

              

安倍寺跡 その2

講堂跡の発掘調査
 安倍寺跡の最初の調査は昭和12年に岸熊吉氏により行われました。伽藍配置の見取り図を示しており、推定金堂跡と塔跡土檀の配置図を残しています。また、推定金堂跡の図面に柱根のあると考えられる場所と発掘され根石のあった場所について図面を残しています。講堂が回廊の外にあったかどうかは不明です。

西面大垣
 安倍寺跡の第8~10次調査では、回廊の西側で寺域の西面大垣の可能性がある南北に延びる石積が4ケ所検出されています。

創建年代と軒丸瓦
 安倍寺創建に関わる軒丸瓦は5種類(A,C,D,E,F)出土しています。Aは外縁に圏線をもち、山田寺と同范の単弁八弁蓮華文があります。また、Dは単弁八弁蓮華文軒丸瓦はもっとも古い要素を持つ瓦で、吉備池廃寺や山田寺の創建時期と近接した時期の創建であると考えられるようになってきました。 安倍寺創建年代は7世紀中頃で、安倍倉橋麻呂により造営された可能性が考古学的にも明らかになりました。 

寺域外西側の大形建物跡
 西面大垣の西側(安倍寺遺跡)では安倍寺跡の西150mの場所で、柱の掘形1m以上、径40cmの柱を用いた7世紀後半の大形建物が少なくとも2棟見つかっています。これらの遺跡は安倍寺建立の時期と重なっており、安倍氏の居館の可能性があります。

法隆寺式伽藍配置の呼称
  西に塔、東に金堂があり、回廊に囲まれた伽藍配置を法隆寺式伽藍配置と呼ぶ。法隆寺西院伽藍の創建年代は711年頃とされているので、このような配置の最初は吉備池廃寺や安倍寺跡であるので、前園氏は先月の法隆寺文化講演会で法隆寺式伽藍配置は、吉備池廃寺式伽藍配置と呼ぶべきだと云われていましたが、残念ながら吉備池寺廃寺も安倍寺も存在しないので、イメージするためには法隆寺しかないので、法隆寺式伽藍配置と呼ぶ方が良いでしょう。

なお、吉備池廃寺の中門は一つ金堂寄りの位置で見つかっていますが、もう一つの中門は想定されているものの、見つかっていません。安倍寺跡の調査では中門は見つかっていません。法隆寺の中門は他に例のない四間の門です。その理由として、左は塔、右は金堂への出入り口で、吉備池廃寺の2つの中門をまとめたものだとする説はなかなか説得力のある説です。梅原孟氏の隠された十字架で述べているような「霊閉じ込め説」は当たっていないと思います。

上ツ道と横大路の交差点より南は飛鳥へ至る旧安倍山田道です。旧安倍山田道は丘陵を避け、南西に折れ、安倍文殊院と安倍寺の間を通って山田寺の方向へ丘陵地帯を登り、飛鳥の雷丘へ至ります。平安時代初期に記された「日本霊異記」に、雄略天皇から雷を捉えてこいとの命を受けた少子部栖軽(ちいさこべのすがる)が、磐余宮から「安倍の山田の前の道」を馬で駆け抜けたという説話があるそうです。阿倍という地名が出てくる最も古い文献です。

桜井市立埋蔵文化財センター 平成24年度特別展 ”阿倍氏ー桜井の古代氏族”より
安倍寺s

安倍寺周辺s






 


安倍寺跡 その1

 安倍寺跡は国の史跡公園となっていますが、夏場は塔跡や金堂跡、回廊跡は夏草が生い茂りなかなか立ち入ることが出来ません。 金堂跡附近の南側はゲートボール場となっており、なかなか南側から伽藍配置が見渡しにくくなっています。先日、訪問した時は草が刈られ、立ち入り易くなっていました。 

伽藍配置
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(桜井市立埋蔵文化財センター  平成24年度特別展図録 ”阿倍臣 阿倍氏 ~桜井の古代氏族~”参照)

伽藍配置は発掘調査により、西に塔跡(基壇規模12m×12m)、東に金堂跡(基壇規模東西23m×南北18m)が中心間距離が約38m離れて存在することが分りました。塔と金堂の距離はかなり離れており、このような特徴は吉備池廃寺にも見られ、両者で共通した特徴です。 現在の法隆寺の西院伽藍の塔と金堂の中心間距離は18mです。塔と金堂を囲む回廊は北西隅と南西隅で調査が行われ、西辺の幅は約4m前後、北辺の幅は約5mとなっています。回廊の長さは南北で62m、東西で約95mと推測されています。

講堂は昭和12年の岸熊吉氏の調査では、礎石の位置などから、南北19m、東西34mの建物であったことが推定されています。
しかし、回廊の外にあったのか回廊に取り付いであったのかは、分かりません。 

安倍寺跡(左が塔基壇、右が金堂基壇)
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塔跡から金堂跡をみる
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史跡安倍寺跡
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安倍寺瓦窯跡

安倍の「七ツ井戸」から安倍寺跡までは東へ一ブロックの距離にあります。安倍寺跡の北西に整備された窯跡が保存されています。

安倍寺跡発掘調査で、塔のすぐ北側で鎌倉時代と推定される「安倍寺瓦窯」が出土しました。 瓦窯は全部で五基あり、左から1号~5号の順になっています。今年、6月に訪れたときは、背の高い草に覆われ、中がよく見えませんでしたが、今回は草が刈られ公園らしく奇麗に清掃されていました。いつもこのように綺麗であれば良いのですが…。

安倍寺は鎌倉時代に興福寺対多武峯・妙楽寺の抗争によって焼かれました。1504年(永世元年)に多武峯によって放火された記録があります。これより、安倍寺は多武峯の敵であったと言えます。この火災の後、安倍寺は安倍文殊院のある安倍寺別所に移転統合されたと考えられています。これが現在の安倍文殊院につながり法灯が保たれています。

安倍寺瓦窯は、安倍寺別院に移動する際に建立されたお寺の瓦を焼いたと考えられます。

安倍寺瓦窯公園
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現地看板
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五基(1号~5号)の瓦窯
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磐余の道を歩く その5(国史跡・安倍寺跡)

安倍寺跡(国史跡)

安倍文殊院の南西約300mの所に国史跡・安倍寺跡が史跡公園として保存されています。

安倍寺は645年の大化の改新で活躍し, 左大臣になった安倍倉梯麻呂(あべのくらはしのまろ)の創建になる寺で、平安時代末期の『東大寺要録』には崇敬寺と称されています。

 安倍寺跡は発掘調査により、塔と金堂が東西に並ぶ法隆寺式の伽藍配置であることが明らかになりました。金堂と塔の基壇跡が盛り土によって復元されています。

 発掘調査によって山田寺式の単弁蓮華文軒瓦などが出土し、この寺院の創建年代は山田寺の創建年代(641-685)と同時期だとみなされています。

・安倍御主人(あべのみうし)
  祖の安倍倉梯麻呂が650年に没した後、安倍氏の上になったのが安倍御主人(あべのみうし)です。壬申の乱で大海側で活躍し、701年には右大臣にまで登りつめました。 「竹取物語」でかぐや姫に求婚する5人の男の一人として、右大臣安倍御主人として実名で登場し、大変有名です。

なお、寺跡の西側に鎌倉時代の瓦窯跡が保存されています。

<国史跡・安倍寺跡>
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<基壇跡>
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<公園全景1>
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<公園全景2>
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<瓦窯跡:鎌倉時代>
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