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東大寺俊乗堂特別開扉

 7月5日に所属する歴史愛好会の例会で、 東大寺復興の拠点となった鐘楼が立つ丘の史跡を尋ねました。

2019年7月5日は、治承4年(1180)の平氏による東大寺焼打ち後、東大寺の復興に大きな足跡を残した俊乗房重源上人(1121〜1206)の命日に当たり、鐘楼の丘エリアに建つ俊乗堂(江戸時代建立)に東大寺の僧侶が出仕し、厳粛に法要が営まれました。

法要終了後、俊乗堂の扉が開かれ、秘仏が一般にご開帳になりました。 俊乗堂が開扉されるのは、7月5日の俊乗忌と12月16日の良弁忌の日だけです。 

ご本尊の重源上人坐像(鎌倉時代、国宝)は、口を固く結び、骨太の手には数珠を繰り出し、全体像は岩をも砕くような強固な意志を持つ、晩年の重源上人像をリアルに表す傑作です。伝快慶作と伝えられているそうですが、最近では作風からして運慶作説も有力だそうです。

正面に向かって左手には、愛染明王坐像(平安時代、重要文化財)が安置されています。この像を拝観して、西大寺の愛染明王像を思い出しました。

正面右手には、穏やかな表情の阿弥陀如来(鎌倉時代、快慶作、重要文化財)がお立ちになった像がありました。 足に怪我をされており、痛々しかったです。

俊乗堂の他、念仏堂、行基堂、鐘楼の建築様式などについて説明を受けた後、法華堂を拝観し、大湯屋へ行く予定でしたが、この日は、大湯屋は非公開のため見学はできませんでした。今後も大湯屋の公開の予定はないそうです。

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俊乗堂
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説明板
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特別開扉
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俊乗房重源上人坐像(配布パンフレットより)
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念仏堂
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鐘楼
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説明
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東大寺 大仏殿

東大寺は近鉄奈良駅から徒歩圏内にあり、交通の便がよく、いつも大勢の観光客で賑わっています。やはり何と言ってもお目当ては東大寺大仏殿の盧舎那仏です。

今から1272年前、聖武天皇は彷徨中の紫香楽宮で盧舎那大仏造立の詔を出してから9年後、東大寺に大仏を完成させた訳ですが、その大仏のおかげで、今日世界中から多くの観光客を招来しています。聖武天皇は1000年先を見据えて、国家財産としての大仏を鋳造して子孫に残し、人々の救済に役立てています。最近、東大寺では特に東南アジアの近隣諸国の若い男女の姿をよく見かけるようになりました。二月堂付近の食堂に入ると、日本人より外国人の方が多いように思います。

【東大寺南大門】 (国宝) (5間3戸、二重屋根、入母屋造、本瓦葺) 
 現在の南大門は、平重衡によって焼かれた後、1199(正治元)年に再建された鎌倉時代の建物です。幅29m, 高さ26mあり、現存する門では我が国最大です。入宋3度の重源が宋の工人・陳和卿(ちんなけい)らの技術を導入し、大仏様(天竺様)で作られています。 基礎から天井裏まで通し柱を通し、天井を張らず構造はむき出しで、水平の貫が柱を貫通する様子がよく見えます。 柱に肘木を挿入し、漸次手先を軒端へと重ねて、軒を支えています。

<南大門>
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<大仏様組物>

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<大仏様組物>
挿肘木に斗を置き、漸次手先を軒端へ重ねていく。
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<大仏様組物>
基礎から屋根裏まで通し柱を用いる。柱を貫通して挿肘木を用いる。
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貫が柱を貫通している。天井は張らず化粧屋根裏とする。
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【金剛力士像】(国宝)(鎌倉時代、寄木造
  阿形は836.3cm,吽形は842.3cmあります。阿形は向かって左側に、吽形は右側にあり、互いに向かい合っています。 法隆寺中門の阿形は右側に、吽形は左側にいます。

平成元年(1989)から5年がかりで解体修理が行われ新しい発見がありました。これまで、吽形が運慶、阿形が快慶作とされてきましたが、他に、定覚(じょうけい)と湛慶(たんけい)が大仏師として加わり、2像は同時進行で作られ、運慶が両像製作の責任者となり、慶派の奈良仏師20人が分担して、わずか69日間で完成させました。 材は1196~1201年に周防国(山口県)で伐採された檜が用いられていました。

阿形が右手に持つ金剛杵から、墨書「造東大寺大勧進大和尚南無阿弥陀仏」(重源を指す)、「大仏師法眼運慶」、「安阿弥陀仏」(快慶を指す)が見つかりました。

<阿形>
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<吽形>
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【石造獅子造】(鎌倉時代、国重要文化財)
 南大門の北側に宋の石工が1196年に彫ったすぐれた石像があります。左右どちらも口を開いており、一組のものとして造られた獅子ではないようです。 石は宋の石です。 

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【大仏殿】(金堂、江戸時代、国宝

現在の大仏殿は、江戸時代の1709年に再建された建物で、東西57m、南北50m,高さ47m、一重裳階つき寄棟造り・本瓦葺きで、正面に銅板板葺唐破風がついた世界最大の木造建築です。様式は大仏様が採用されています。 勧進職にあった公慶上人は1705年に、上棟式の後に入寂され、後継者によって再建がすすめられました。

<鏡池と大仏殿(薄氷)>
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<大仏殿:間口57m、高さ49m>
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<燈籠:天人が楽器を持つ>
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<六手先組物>
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【盧舎那仏坐像】(国宝
  高さ16m,顔の長さ5.28m,鼻の高さ96cm,目の長さ1.18m、左手には10数人が乗る大きさである。天平〜江戸時代の修復の痕跡が残る。頭部から肩の部分は江戸時代の改鋳(山田道安作)である。台座の蓮弁には蓮華像世界が線刻されており、圧巻です。脇侍は、虚空蔵菩薩像と如意輪観音像です。

<盧舎那仏坐像>
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<盧舎那仏坐像>
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<盧舎那仏坐像>
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<虚空蔵菩薩>(右脇侍)>
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<如意輪観音菩薩>(左脇侍)>
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<東大寺創建当時伽藍模型>
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<大仏殿鎌倉時代模型>
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<大仏殿江戸時代模型>
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聖武天皇・東大寺関係略年表

701年(大宝元)   文武天皇の首皇子(聖武天皇)誕生、同年藤原光明子も誕生
707年(慶雲4)6月 父文武天皇没(首皇子6歳)、7月元明天皇即位
710年(和銅3)3月 平城京遷都
714年(和銅7)6月 首皇子、皇太子となり元服する
715年(霊亀元)9月 元明天皇譲位し、元正天皇即位する。
716年(霊亀2)   光明子、皇太子妃となる
717年(養老元)   広刀自、井上内親王を産む
718年(養老2)   光明子、阿倍内親王を産む。
720年(養老4)   日本書紀完成、藤原不比等没す。
721年(養老5)12月 元明上皇没す。
724年(神亀元)   2月4日、聖武天皇即位(24歳)
728年(神亀5)   11月 皇太子基親王の冥福を祈って山房建立。僧9人住む。
733年(天平5)   金鐘寺創建、栄叡、普照唐へ派遣(中国戒師を招聘する任務)
736年(天平8)   菩提僊那、仏哲、道璿 難波津に着く。行基らが迎える。
740年(天平12) 2月 聖武天皇ら河内国知識寺の盧舎那仏に参拝。
740年(天平12) 9月 藤原広嗣の乱
740年(天平12)10月 聖武天皇平城京を離れて東国に行幸。大安寺の僧審祥招き金鐘寺にて華厳経研究開始
740年(天平12)12月 恭仁京に到り、新都造営開始
741年(天平13) 2月14日 国分寺・国分尼寺建立の詔出
742年(天平14) 栄叡、普照 揚州大明寺で鑑真和上(55歳)に会い、聖武天皇の願いとして、伝戒師の来日を請う。
742年(天平14) 8月 紫香楽離宮造営開始、12月 紫香楽宮行幸
743年(天平15)10月 近江国紫香楽宮にて聖武天皇、盧舎那大仏造立の詔を出す。
743年(天平15)  行基、大仏造営の勧進に起用される。 甲賀寺寺地開発。
744年(天平16)閏正月 難波宮行幸 2月紫香楽宮行幸、難波宮を皇都とする。
744年(天平16)11月 甲賀寺で大仏の体骨柱(鋳型の中型の心柱)建立
745年(天平17)5月11日 平城京へ再遷都する。 
745年(天平17)8月23日 平城京の東山麓の金鐘寺の寺地にて改めて大仏造営工事開始
745年(天平17)  国中連公麻呂造仏長官となる。
747年(天平19) 正月 聖武天皇病気 3月 光明皇后、天皇の病気平癒を願い新薬師寺建立発願
747年(天平19) 9月 大仏鋳造を始める。749年まで3年かかる。鋳造は8回に分けて行う。東大寺名初出。
748年(天平20) 4月 元正上皇、没する。
749年(天平21) 2月2日、行基、菅原寺にて入寂。
749年(天平21) 4月1日 聖武天皇、陸奥国での産金を大仏に告げ瑞祥を喜ぶ
749年(天平21) 7月 孝謙天皇に譲位する。
749(天平勝宝元年) 10月24日 大仏鋳造完成。大仏殿造営開始
749(天平勝宝元年) 11月24日 宇佐八幡宮を東大寺守護神として迎える
751年(天平勝宝3) 3月9日 大仏の両脇侍、観音・虚空蔵菩薩完成、大仏殿完成
752年(天平勝宝4) 二月堂創建。 実忠、修二会開始
752年(天平勝宝4) 閏3月7日 大梵鐘の鋳造完成
752年(天平勝宝4)4月9日 大仏開眼供養、開眼導師はインド僧、菩提僊那
752年(天平勝宝4)5月1日 良弁(64歳)初代東大寺別当就任
753年(天平勝宝5)12月 鑑真和上(66歳)、薩摩国秋妻屋浦に着く。
754年(天平勝宝6)4月5日 鑑真和上 東大寺大仏殿前に戒壇を設け聖武上皇、皇太后、孝謙天皇以下440余人受戒させる。
756年(天平勝宝8) 2月 聖武太上天皇没。6月 光明皇太后 遺愛品を東大寺大仏に献納。
789年        造東大寺司廃止
1180年(治承4)  12月、平重衡南都焼打ちで法華堂、二月堂など残して他焼ける
            俊乗房重源、朝廷から造東大寺勧進職に命じられる。後白河法皇、九条(藤原)兼実の援助、宋人陳和卿協力得て再建
1185年(文治元)年 大仏開眼法要
1195年       大仏殿落慶供養会 源頼朝、政子とともに数万の軍率いて参列
1567年(永禄10) 三好VS松永の戦いで大仏殿・戒壇院など諸堂焼かれるが大仏は露座のまま。
1684年(貞享元)  公慶上人 東大寺勧進職
1692年(元禄5)  大仏開眼供養
1705年(宝永2)  大仏殿上棟式、公慶上人入寂
1709年(宝永6)  大仏殿落慶供養会
1737年(元文2)  大仏殿、中門、廻廊、東西楽門がすべて完成
1888年(明治21) 奈良県再設置に伴い西廻廊を臨時会議場として最初の県議会が開催された。
1980年(昭和55) 大仏殿修理落慶法要       

東大寺 転害門

【転害門(国宝)】(奈良時代、三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺)/正面15m、側面7.73m、高さ10.64m
    <手向山八幡宮転害会の御旅所>   

  転害門(てがいもん)は東大寺西面の一番北にある門で、現在まで唯一創建当初の姿を今に伝えている門であり、国宝に指定されています。京都に通じる東京極大路(ひがしきょうごくおうじ)に面し、法華寺から通じている平城京の一条南大路(佐保路)に向かって開いているため、佐保路門(さほじもん)とも呼ばれています。
この門は法隆寺の東大門(国宝)より少し新しい天平時代の八脚門ですが、ゆるやかな勾配を持つ屋根は風格があり、円柱は太くたくましく、南向きに節がある木は山で育ったように、南向きにして使用する知恵が働いている建物としてよく知られています。鎌倉時代の東大寺復興のとき、大規模の修理が行われ、大仏様が導入され、門に華やかさが加えられています。

大仏完成直後の天平勝宝元年(749)11月24日、朝廷は宇佐の地に迎神使を遣わし、八幡神を勧請し、東大寺の守護神としてお迎えすることにしました。手向山八幡宮の八幡神がこの門を通って鎮座したことから、毎年10月5日に催行される「転害会」のお祭りの際には、神輿の御旅所となります。門内には、神輿を据える台があります。また、転害門は神様の通り道であったため、転害門には注連縄が掛けられています。その注連縄は、地元の方々によって、四年に一度新調されます。

源平合戦で敗れた平景清(たいらのかげきよ)が、大仏殿落慶供養会に訪れた源頼朝を暗殺するため、僧侶に変装してこの門に隠れたという伝説から、「景清門(かげきよもん)」とも呼ばれています。


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<奈良市観光案内(転害門横)>
 転害門横に奈良市観光案内があり、転害会についての詳細な写真や解説がなされています。


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東大寺 知足院

正倉院を出て東宝庫の角を北に曲がり、大仏殿を背にして、直進すると若草山ドライブウェイに突き当ります。その手前の右手に寂びれた参道の階段が見え、そこに知足院があります。東大寺HPの地図には載っていませんが、東大寺手帳には境内北端の位置に載っています。

 知足院は平安時代の寛平2年(890)に法相宗を学ぶ道場として建立されました。本尊は地蔵菩薩です。1180年に平重衡によって焼かれた東大寺の復興に当たっていた造東大寺長官の左大辨の藤原行隆が、大任を果たして亡くなり、娘が嘆き悲しみ、このお地蔵さんに毎日祈っていたところ、7日目に地蔵菩薩の手に、行隆の字で「兜率天の観音様のもとにいる」と書いた手紙を握っていたとのことです。そのご縁で、知足院では毎年7月24日午前8時から「地蔵会」の法要が営まれ、素敵な地蔵菩薩像が公開されます。

知足院裏山崖上の八重桜が「ナラノヤエザクラ」と命名され国の天然記念物に指定されています。三好学東京帝国大学教授が、百人一首の伊勢大輔の歌、
   「いにしえの 奈良の都の八重桜 けふ九重に 匂ひぬるかな」
に出ている八重桜を探し求め、知足院裏山崖上で発見しました。

「ナラノヤエザクラ」はほかの八重桜より開花が遅く、四月下旬から五月上旬に開花します。蕾は濃紅色を帯び開花すると淡白色で白色が強く、終わりになると花弁に紅色が増してきます。花弁の数は20~35枚、多いものでは100枚になります。現在では奈良公園などで多数見ることが出来ます。


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<背後は大仏殿>
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<知足院参道>
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<本堂>
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東大寺 指図堂

大仏殿の西側に二重の石段を登った所に指図堂があります。入口に 「圓光大師二十五霊場」と刻まれた石碑が建っています。

圓光大師とは浄土宗の開祖・法然上人(1133~1212)のことで、平安時代末に重源の招きで東大寺を訪れ、「浄土三部経」というお経の講義をしました。そのご縁で、浄土宗徒の願いにより、19世紀に、法然上人をお祀りするお堂が建立されました。堂内には法然上人の絵像が祀られています。

この地は、江戸時代に大仏再建工事中の計画図面(指図)を展示するお堂が建っていたことから、指図堂という名前が付けられています。


<指図堂>
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