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イチロー選手の快挙に拍手

 2016年6月15日、マーリンズのイチロー選手が、パドレスの本拠地サンディエゴのぺトコ・パークで、ピート・ローズのもつメジャー歴代最多安打記録4256安打を、日米通算で上回る4257安打とする快挙を達成しました。野球ファンの一人として率直にイチロー選手の快挙を祝福し、拍手したいと思います。

 私は野茂英雄選手が近鉄を退団し、ドジャースに入団した年にアメリカに滞在する機会があって、その時近所の公園で野球をしている少年たちに野茂を知っているかと聞くと、皆がトルネード投法の格好をしてくれたものです。子供たちにとってメジャーの選手は憧れの的で、その年、野茂選手が大活躍して、皆んなが野茂選手のことを知っていました。野茂選手はミスターKと呼ばれていました。Kは野球のスコアを付けるときの三振のマークで、三振を取りまくったからです。 ワシントンDC地区のローカルラジオ局のアナウンサーは放送で今日の野茂はどうだったと、常に話題にしていました。野茂選手が活躍し先鞭をつけてくれたおかげで、イチロー選手も大リーグへ移籍しやすくなりました。

 時々、DCから国道1号線を通ってボルチモアのカムデンヤード・スタジアムに出かけ野球観戦をしました。そのとき驚いたことには、子供たちも含めて多くの観客がグローブ持参で、野球見物に来ていたことです。皆がファールボールやホームランボールをキャッチするためにグローブを持ってきているのです。そしてボールがスタンドに飛び込むと一斉にボールをキャッチしようと、グローブを差し出します。アメリカでは野球が国民的スポーツとして、大衆に浸透していることを思い知らされました。私も早速運動具店でグローブを購入して見に行ったものです。7回になるとスタンドには"Take me out to the ballgame "という音楽が流れ、観客が合唱して楽しんでいました。

2001年にポスティングシステムによってシアトル・マリーナーズに移籍したイチロー選手は、この年、衝撃的な活躍をし、オールスターゲームにファン投票337万票を得て出場しました。このシーズンは新人王、MVP,首位打者、盗塁王、シルバースラッガ賞、ゴールドグラブ賞を受賞しました。2010年には10年連続200安打の記録を達成しました。メジャーへの移籍以来15年、イチロー選手は遂にピートローズの記録を抜き、今後も次々と記録を塗り代えていくことでしょう。現在のメジャーの若い選手は子供の頃イチローのプレーを見て育ちました。イチローはアメリカの子供たちにとって憧れの選手に違いありません。イチロー選手の今後の益々の活躍をお祈りいたします。


 

平成28年(2016)熊本大地震

平成28年熊本大地震は布田川・日奈久断層帯が動いた地震のようですが、30年以内の発生確率はほぼ0%~6%(土井恵治監修「地震のすべてがわかる本」(2005年発行)と予測されていた断層です。これより、はるかに確率の大きい断層でまだ動いていない断層はたくさんありますから、発生確率なるものは余りあてにならない数字であることを、示しています。発生確率に関係なく、いつどこで、地震が起きるかも知れないということを心して、生活しなければならないということだと思います。 

 M7の地震が発生したのはどの断層で、地震の結果からメカニズムがわかっても、余震がどの断層で起こるのか、予測をすることは現在の学問水準では不可能です。要するに地震断層でどこがどのように割れるかモデルが作れないので、次に起こることを予測することが不可能です。そのため、過去に発生した地震の事例を、積み上げることでしか、未来を予測するする方法が見当たらないのが現実だと思います。いち早く断層の跡を見つけて、TV放映されたように、学者は喜ぶかも知れませんが、この地震はどこまで広がるのか、阿蘇山の破局的噴火につながらないのか、中央構造線は動かないのかを、心配する人は多いと思います。

TV番組(池上彰氏)より
八代・熊本・大分へ北東方向直線状に震源

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中央構造線(動けばM8が予測されている)

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伊方原発そばを中央構造線が走る

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現在、熊本へ入るための公共の交通手段がないので、熊本へ、救援に行こうとしても行けない状態です。11万人が避難されているそうですが、避難所が満員で入れない人も多数いるようです。 民間ボランティアの投入も当然考えるべきではないのでしょうか。 


千年震災 その4

 千年に一度の地震・津波が発生している地域として、南海トラフ沿いの地震があります。1944年の東南海地震、1946年の南海地震が直近の地震ですが、伯母の話によれば、東南海地震のときは戦時中で、揺れが大きく建物の屋根瓦が波打つように揺れたそうです。
南海トラフとは四国足摺岬沖から伊豆半島付け根の駿河湾まで続くフィリッピン海プレートの沈み込み地帯のことです。
南海トラフ沿いに発生する地震を西から、
 A.南海地震(四国沖)、B.東南海地震(紀伊半島沖)、C.東海地震(御前岬沖)
と分けて考え、これらの地震が同時に発生することもあります。過去に発生した地震は次の通りです。

 684年 白鳳南海地震(A) 【日本書紀 天武13年条に記述有り、最古の記録?】
 887年 仁和五畿七道地震(A・B・C連動型?) 【三大実録に記事】
1096年 嘉保東海地震(C)
1099年 康和南海地震(A)
1361年 正平南海地震(A) 連動型超巨大地震か?
1498年 明応南海地震
1605年 慶長南海地震(?)
1707年 宝永地震(A・B・C連動型?)
1854年11月4日         安政東海地震(B) 
1854年11月5日(32時間後) 安政南海地震(A)
1944年 昭和東南海地震(B) 2年後
1946年 昭和南海地震(A)
      70年経ちました。
2016年 3月20日以降 平成南海巨大地震(?) A・B・C 連動? ; 2035年頃発生?(都司)

☆ 紀伊半島には原発はありません。中部電力が現三重県南伊勢町芦浜に建設を計画しましたが、津波被害を経験している住民の強力な反対運動で、計画を白紙撤回させました。しかし、東海地震エリアには静岡県に浜岡原発があり、巨大地震による2番目のメルトダウン事故が心配されています。都司氏は危険な原発として、1.浜岡原発 2.伊方原発(愛媛)、中央構造線の断層が動くこともありうる、3.敦賀原発、をあげています。日本海側でも、過去に津波被害が記録されています。

しかし、自然と大地の動きは、人知が及ぶ範囲を越えて複雑であり、現在の科学技術の観測技術では、いつ、どこで、どれだけの大きさの地震が起きるか、予め予測することは不可能です。 残念ながら、これらのことは地震が起こってからでないと分からないのです。しかし、プレートテクニクスの理論が提唱されたのは、1960年代です。それ以降、数十年の間に地震の理解が飛躍的に進み、震源と地震のマグニチュード、予測される津波の高さなどは、即座に分かるようになりました。 そのためには、地震学だけでなく、情報ネットワーク技術やその他の科学の寄与があります。 

参考文献
(1)山岡耕春「南海トラフ地震」岩波新書、2016年1月20日
(2)東大地震研 土井恵治監修「地震のすべてがわかる本」成美堂出版、2005年



千年震災 その3

 今回の津波災害は、1933年(昭和8年)の昭和三陸津波や、1896年(明治29年)の明治三陸津波を上回る規模でした。都司氏の調査によれば、津波の浸水高度が30mを越えた箇所が明治の津波では二ヵ所しかありませんでしたが、今回の津波ではそれをはるかに上回る地点で測定されました。例えば、大船渡市では38.2m、陸前高田市では32.6mです。宮古市田老町では六地点で30mを上回りました。

 また、福島第1原子力発電所には14~15メートルの津波がきました。想定高さを5.7mとして大津波に対する対策を怠ってきたため、想定の約2.5倍の津波がきて、原子炉の炉心熔融という起こしてはならない大事故を引き起こし、10数万人が住居を追われ避難民となりました。

 このような大きな津波を歴史上にさぐると、千年前の貞観地震津波までさかのぼります。これまでは、津波避難の場合は、鉄筋コンクリートのビルの3階以上に避難すればいいとされてきたが、今回は明らかにそれを上回る津波であって、6階以上に逃げないと助からない、非常に大きな千年に一度の津波でした。

 千年に一度の地震・津波がきても、人の命は守らなければならない、原発の事故は絶対起こしてはならないということ、千年に一度の地震・津波や1万年に一度の破局的火山噴火に備えて、原発は絶対再稼働してはいけないということを学ぶべきだと思います。

千年震災 その2

元東大史料編纂所教授の保立道久氏はその著書「歴史のなかの大地動乱―奈良・平安の地震と天皇」(岩波新書、文献1)の中で、「三大実録」の貞観地震の記述について、読み下し文と、現代語訳を掲載しているので、引用させて頂く。

『日本三大実録』貞観11年5月26日条<原文>
五月・・・廿六日癸未 陸奧國地大震動 流光如晝隱映 頃之 人民叫呼 伏不能起 或屋仆壓死 或地裂埋殪 馬牛駭奔 或相昇踏 城(郭)倉庫 門櫓墻壁 頽落顛覆 不知其數 海口哮吼 聲似雷霆 驚濤涌潮 泝洄漲長 忽至城下 去海數十百里 浩々不辨其涯諸 原野道路 惣爲滄溟 乘船不遑 登山難及 溺死者千許 資産苗稼 殆無孑遺焉

<保立氏、読み下し文、文献1 p130>
 陸奥国の地、大いに震動す。流光、昼の如く隠映す。しばらく人民叫呼(きょうこ)して、伏して起きることあたはず。あるいは屋仆(たおれ)て圧死し、あるいは地裂けて埋殪(まいえい)(埋死)す。馬牛は駭奔(がいほん)し、あるいは互いに昇踏(しょうとう)す。城郭・倉庫・門櫓(もんろ)・墻壁(しょうへき)など頽落(たいらく)して顚覆(てんぷく)すること、その数を知らず。海口は哮吼(こうこう)し、その声、雷霆(らいてい)に似る。驚濤(きょうとう)と涌潮(ようちょう)と、泝洄(そかい)し、漲長(ちょうちょう)して、たちまちに城下にいたる。海を去ること数十百里、 浩々としてその涯を弁ぜす。原野道路、すべて滄溟(そうめい)となる。 船に乗るいとまあらず、山に登るも及びがたし。 溺死するもの千ばかり、資産・苗稼(びょうか)ほとんどひとつとして遺(のこ)ることなし。 

<保立氏、現代語訳、文献1 p130~p131>
 陸奥国の大地が大いに震動した。流光が昼のように空を隠映(おおい照らした)。その直後、人民は叫び呼び、伏して起きあがることもできない。あるいは家屋がたおれて、その下で圧死したり、あるいは地面が裂けて、その中に埋まって死んでしまう。馬牛は、驚き走って、互いに踏みつけ合うという有様である。城郭や倉庫、また櫓門、垣壁などが崩れおち、ひっくり返ることが数知れない。海口は吠えたてて、その声は雷電のようであった。そして、激しい波と高潮がやってきてさかのぼり、また漲り(みなぎり)進んで、たちまち多賀城の直下まで到来した。海を離れること数百里の距離まで冠水した様子は、広々としてその果てを区別することができない。原野や道路はすべて青海原のようになってしまった。舟に乗る余裕もなく、山に登る時間もなく、その中で、溺死するものが千余人にも及んだ。資産や田畠の作物は、ひとつとしてのこることなく全滅してしまった。

地震の特徴
1.地震と津波は夜襲ってきた
  「流光、昼の如く隠映す」とあるので、地震は夜発生し、津波は夜に襲ってきたと考えられる。 地震による発光があり夜空を昼  のように照らしたとある。都司氏は海底に堆積した泥のようなものの中にバクテリアによるメタンが満ちて、地震のときにそれが  泡のように上がってきて、火がつくらしい、と述べています。この発光のメカニズムについてはまだよく分かっていません。
2.多賀城が地震の直撃を受けた
  奈良時代から陸奥国の国府は多賀城に築かれた。この記録によれば、「城郭や倉庫、また櫓門、墻壁が崩れ落ちた」とあるので、多賀城と城下は地震の直撃を受けたことが分る。
3.海口は吠えたてて、その声は雷電のようであった
  津波は「海口が吠え、雷電」のような轟音を響かせ押し寄せる。多賀城城下まで津波は押し寄せている。
4.海を離れること数十百里の解釈
   平安時代の1里は500mと600mの説がある。数十百里は数十里から百里までの間であると解釈できます。70里と解釈し、1里=600mとすると42kmとなります。津波は川をさかのぼり42km上流まで到達したと考えられます。

文献
(1) 保立道久「歴史のなかの大地動乱―奈良・平安の地震と天皇」(岩波新書、2012年)
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