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五條市の史跡を歩く その3

栄山寺(えいざんじ) (五條市小島町)

 荒坂窯跡からバスで吉野川沿岸に所在する古刹・栄山寺へ移動しました。 藤原不比等(659-720)の長男・藤原武智麻呂(680-737)は719年(養老3年)、平城京から60キロほど南下したこの吉野川の風光明媚の地に、もともと前山寺(さきやまでら)と称された、栄山寺(えいざんじ)を建立しました。藤原武智麻呂を祖とする藤原南家の菩提寺として鎌倉時代から室町時代まで大いに栄えました。

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<本堂>
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<説明>
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<ご本尊:薬師如来坐像> 国重要文化財、室町初期
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<石燈籠> 国重要文化財
 本堂正面に建つ石燈籠で、弘安七年(1284)の銘があり、国の重要文化財に指定されています。
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<八角円堂> 国宝
 境内に現存する奈良時代の建物国宝八角堂は、藤原武智麻呂(680-737)の第二子藤原仲麻呂(706-764)が父武智麻呂を供養するために、天平宝字(757-765)末年に建立したと伝えられています。武智麻呂のお墓は奈良市佐保山にありましたが、「後阿陀の墓」(栄山寺後方の山腹)に改葬され、そのときに八角堂が建立されました。

 この八角堂は国宝の法隆寺夢殿と対比されますが、平面は差し渡しで三割ほど小さく、軒の出も約八割です。また夢殿の庇と身舎(もや)は八本の柱ですが、八角堂の身舎の柱は4本で格子天井となっています。内陣に4本ある八角形の柱や天蓋などに花文や飛天の極彩色の絵の跡が残っています。本尊は大日如来坐像で、堂内に十二神将像(国重要文化財)阿弥陀・地蔵・如来形の像が安置されています。

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<八角円堂> 国宝、奈良時代
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<屋根に石製宝珠>
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<梵鐘> 国宝
 もとは山城国道澄寺(どうちょうじ)の梵鐘をここ栄山寺に移されました。銘文が四区に陽鋳されており、菅原道真撰、小野道風の書と伝えられています。銘文より、道澄寺は藤原武智麻呂五世の孫道明とその叔父橘澄清の共同建立になり、二人の名より道澄寺と名付けたこと、藤原道明の寄進により、917年(延喜17年)11月3日に完成をみたことが分ります。高雄の神護寺(京都市右京区)、宇治の平等院と並び平安の天下の三名鐘として知られます。

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<釣鐘堂>
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<精巧な造りの龍頭>
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銘文
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<南朝栄山寺行宮跡> 国史跡
 南北朝期に栄山寺は南朝の後村上・長慶・後亀山三天皇の御在所となった所で、行宮跡として国の史跡に指定されており、本堂前に石碑が建っています。
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<塔ノ堂(大日堂)> 国重要文化財、室町時代
 塔ノ堂(大日堂)という名称は天文年間(1532-1555)に本堂とともに焼失した多宝塔にちなむそうです。
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<石造七重塔> 国重要文化財、鎌倉初期
 大日堂の前に凝灰岩製で鎌倉時代初期の造立とされる石造り七重塔が建っています。なかなか重厚感があります。
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